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第4話 大事なんて言わないでくれ

空港を飛び立った飛行機は、夜の闇を切り裂くように安定した飛行を続けていた。 ビジネスクラスの静かな機内。 鳳が隣の座席に目を向けると、筒香がシートにぐったりと深く身体を沈めたまま、微動だにしていなかった。 (……やっぱり、相当追い詰められているのかな…) 今朝、空港のロビーで顔を見たときから気になっていた。 普段からあまり血色の良くない彼だが、今日はまるで死人のように青白く、無意識なのか唇の端を痛々しく噛み締めている。呼吸の浅さも気になった。 きっと、今回の海外買収案件のプレッシャーが、彼の細い肩に重くのしかかりすぎているのだ。 新卒生抜きのエリートたちが集う部署で、彼は誰よりも圧倒的な才能でコードを書き、命を削るようにして結果を出してきた。 誰にも自分の内側を見せない彼だからこそ、この巨大プロジェクトの責任を一人で背負い込んで、押し潰されそうになっているに違いなかった。 「ねえ、筒香」 そっと声をかけると、筒香はびくりと肩を揺らし、慌てたように視線を目の前のノートパソコンへと落とした。 「…なんですか、鳳さん」 掠れて僅かに震えるその声に、鳳は胸の奥がチクリと痛んだ。 「いや、ずっと画面ばかり見てるからさ。少しは目を休めたらどうかなって。現地に着くまであと少しだし、機内食もほとんど手をつけてなかっただろ?」 そうして鳳は、自分のビジネスバッグから取り出したペットボトルの水をそっと筒香の手に差し出した。 筒香はしばらくその水をぼんやりと見つめていたが、やがて生気のない手つきでそれを受け取り、か細い声で呟いた。 「…ありがとう、ございます。気遣いには及びませんが…」 「いいや、このくらいはさせてくれよ。だって、僕たちは今、大事なパートナーなんだからさ」 「…………っ…」 鳳のその言葉を聞いた瞬間、筒香の顔が苦しげに歪んだ事に気がついた。 まるで棘のついた毒でも飲み込んだかのように目を伏せ、ぎゅっと自分の膝を掴んでいる。 (あ…、また苦しそうにしてる…。二人で挑む仕事なんだから、そんなに一人で抱え込まなくてもいいのに…) (──それとも、何か別の悩みがあるのか?) 鳳はもどかしさを覚えながらも、これ以上踏み込みすぎて筒香に更なる壁を作られてはたまらないと、それ以上追及するのは控えた。 現地に着いたら、予約してある落ち着いたレストランで美味しい料理を食べさせて、少しでも彼の気持ちをほぐせたら良いけど…。 離陸の前、空港に着いた時に 「この仕事が終わったら、二人で少し街を歩こうよ」と約束した時の、筒香の少し驚いたような顔を思い出して、鳳は小さく微笑んだ。 そう呑気に考える鳳の隣で、筒香が今まさに「白洲の手が届かない恐怖」と、自分の手で、このどこまでも底抜けに親切で明るい男の未来を叩き潰さなければならない罪悪感で狂いかけていることなど知る由もなく────。 飛行機は、冷たい夜の雲海を突き進んでいる。そして、残酷にも目的地へと着実に近付いていた。 *** 現地での重要商談は、筒香の圧倒的な処理能力と、鳳の巧みな交渉術が見事に噛み合って無事に成立した。現地の役員たちが惜しみない拍手を送り、握手を求めてくる。プロジェクトの成功が確定した瞬間だった。 (やった……! やったぞ…!ありがとう、筒香……!) 鳳は胸いっぱいの歓喜と達成感に包まれながら、隣に立つ筒香の顔を見た。 だが、彼の顔には成功の喜びなど微塵もない。 ただでさえ青白かった肌は真っ白に透け、いつ倒れてもおかしくないほど呼吸も途切れ途切れになっていた。 「筒香! 本当にすごいよ、君のおかげだ……! ……って、大丈夫か!? 顔色が……」 「…大、丈夫……。無事に終わって、良かった……」 筒香は掠れた声でそう答えるのが限界だった。 鳳はその様子を見て、即座に街歩きの約束を撤回することに決めた。 「よし、今日はもうホテルに戻ろう。街歩きはナシだ。筒香は部屋でゆっくり横になってて!僕が近くの店で何か買ってくるから、食べられそうだったら一緒に食べよう」 そう言ってホテルの部屋に着くと、鳳は筒香をベッドの端に腰掛けさせ、上着を脱がせてネクタイを緩め甲斐甲斐しく世話を焼いた。 「よし、すぐ戻るからさ。大人しく待っててよ、相棒!」 鳳は屈託のない満面の笑みを筒香に向けると、買い出しのために部屋のドアを開け、廊下へと出て行った。 ——ガチャン、と重いドアが閉まる音が響く。 その瞬間、筒香の視界がぐにゃりと歪んだ。 (鳳…待ってくれ……) 遠ざかっていく鳳の足音に向かって、喉の奥から悲鳴のような言葉が競り上がってきた。 (行かないでくれ……。ずっとそばにいてくれ……俺を一人にしないでくれ……!) 本当は、掴みかかってでも鳳を引き留めたかった。 一人になれば、白洲の手がない恐怖と、自分の手で今回の鳳が命を掛けてきたプロジェクトの成功ごと全てを破壊しなければならない悪夢に狂いそうなほどに喉の奥が締め付けられた。 だが、それが叶うはずもなく筒香は小さくなっていく鳳の足音を絶望の中で聴いていた。 静まり返ったホテルの客室。 一人きりになった暗闇の中で、筒香は激しい過呼吸に襲われ、胸を掻きむしった。

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