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第2話

 しなやかに背中がしなる。逃げる体を引き寄せて噛みつくようなキスをすれば、僕の肩に爪が食い込む。腰をグッと近づけて深い場所まで僕を埋めると、鼻にかかった切ない息が僕の口内に注がれた。 「秋生さん」 「あ……、は、ぁあ、あ――」  秋生さんの細かな震えが僕に伝わる。しつこいくらいにキスをしながら体を揺らして、秋生さんの内側を僕の熱で擦り溶かした。 「ふぁ、あ……、んっ、ふぅう」 「呼んでください、秋生さん……、ねぇ、あなたを抱いている相手は、誰ですか」 「は、ぁ――」  まつげを震わせて目を開けた秋生さんの、濡れた瞳が僕を見つめる。うわずった顔に浮かんだ笑みが艶っぽすぎて、僕の欲望がビクンと大きく震えた。 「っは、……琢磨く、ぅんっ」  嬌声まじりの呼び声に、僕は勇躍する。 「秋生さん、秋生さん」 「はっ、ああ、琢磨くんっ、ぁ、た、くまぁあ」  切羽詰まった僕に追い立てられる秋生さんは、すすり泣きと悲鳴の間のような声で僕を呼びながら、身をくねらせた。普段の冷静で落ち着いた態度からは想像もできないほど、なまめかしく乱れた姿と鼻にかかった甘え声ですがりつかれて興奮しない奴なんているのかな。  秋生さんがモテる理由を体感するたび、僕はムラムラと嫉妬を燃料にして支配欲を焚きつける。鎖骨に歯を立て強く吸い、僕のしるしをクッキリと刻みつけた。 「んぁ、あっ、琢磨くん……、ぅ」  こんなものじゃ、まだまだ足りない。汗が吹き出るほど激しく秋生さんを突き上げながら、僕は秋生さんの胸肌にマーキングをしていく。前のしるしは消えてしまった。だから新しく、所有のしるしを刻みつける。これを見た誰かを威嚇するために。 「はっ、ぁ、ああ、ぁんぅうっ、く、ふぁああっ!」  グッと僕にすがりついて、秋生さんがあどけない悲鳴を上げた。体を硬くした秋生さんから放たれた熱が、僕の腹にぶちまけられる。 「は、ぁあ……、ぁ」 「もうすこし、がんばってください……、秋生さん」  ラストスパートをかけると、秋生さんはふにゃふにゃに溶けた顔で笑ってくれた。その顔を見ると、僕はいつも目の前が真っ白になって想いをほとばしらせてしまう。 「くっ、ぅ」 「はふぁ……、あ、あぁ」  僕のすべてを余すところなく秋生さんの深いところに注いでから、残滓が筒内に残らないよう、ゆるやかに腰を動かす。  ゆらゆら、ゆらゆら。  想いの余韻に僕が揺れると秋生さんも一緒に揺れて、無防備に満ち足りた笑顔を見せてくれる。  その時間が、セックスそのものよりもずっと好きで、そんな顔をもっとずっと向けてくれたらいいのにな、とキスをした。 「ふぅ」  官能の酩酊を吐き出した秋生さんに、トントンと軽く背中を叩かれる。抜いてくれ、という合図に名残を惜しみつつ体を離すと、ふふっと大人の顔に戻った秋生さんが自分の胸を撫でた。 「また派手につけてくれたね?」 「僕のものだっていう、しるしですから」 「こんなことをしなくても、俺は琢磨くんの恋人だと自覚をしているよ。浮気をするつもりはないさ。現に、あのバーにも行っていない」  それでも安心できないのだと、心の中でつぶやいた。声に出してしまえば、ひどくガキっぽくてみじめな気持ちになりそうだから。 「三日もすれば消えるから、いいじゃないですか」 「そうとわかっているのに、どうしてつけたがるのかな」  答えを知っている顔で秋生さんがほほえむ。  ずるい、と思う。  なんでも見通している大人の顔。さっきまでの無防備で無垢な笑顔は影も形も見当たらない。 「秋生さん、好きです」 「ありがとう」  そうじゃなくて――。  いら立つ僕は秋生さんを抱きしめる、というか、抱きつく。すると秋生さんは幼い子どもをあやす手つきで僕を包んだ。ひどく幸福で、ひどくみじめな時間。どうして秋生さんは僕にもっとゆだねてくれないのかと、ひしひしと未熟な自分を噛みしめながら恨みがましく首筋にキスをした。 「ふふ、くすぐったいな」  まるで飼い犬を相手にしているみたいな秋生さんの声と手つき。僕は本当に、この人の恋人なのかと不安になる瞬間。 「秋生さん」 「うん?」 「キス、してください」  目じりに優しいシワをよせて、秋生さんはキスをしてくれる。それは決して官能的ではなくて、けれど親密な雰囲気があって、たしかにこの人に愛されているのだと感じられる。そしてその安心感の中には、庇護されている側の持つ感情が混ざっていた。――僕はいつまでも、秋生さんにとって子ども同然の相手なのか。だから対等には扱ってもらえないのか。 「今度、秋生さんの家に行きたいです」 「ん?」 「僕の部屋でもいいです。――ホテル以外で愛し合いたいんです」 「どうして? ホテルのほうが楽だろう。なんでもそろっているし、シーツの汚れなんかも気にしなくて済む。もし誰か、会社の連中にでも入るところを見つかったら、なんて心配をしているのなら気にしなくても大丈夫だよ。このあたりなら出くわす心配はないからね」 「それは、秋生さんの経験則ですか」  おや、と秋生さんの眉が片方だけ持ち上がる。 「今日はいやに、つっかかってくるね」 「べつに、つっかかっているわけじゃないです」  よしよし、と頭を撫でられる。 「さあ、そろそろ起きてなにか食べに行こう。お腹がすいたな。――琢磨くんは、なにが食べたい?」 「……秋生さんが食べたいです」 「はは。それはさっき食べただろう?」  聞き分けなさいと雰囲気で言われる。秋生さんは僕の腕から離れてシャワールームに向かった。擦りガラスに隔てられたシャワールームの中で、秋生さんが僕の名残を洗い流している。ぼやけた影は秋生さんの心そのものな気がして、得体のしれない歯がゆさが足元から湧き起こった。  僕がもっとはやく生まれていれば、秋生さんは無防備なあの笑顔を常に浮かべてくれるのか。 「秋生さん」  答えが知りたい。  けれどそれを聞くのはとても子どもじみている。僕と秋生さんの距離を縮めるには、どうすればいいのだろう。 「お先に」  出てきた秋生さんと入れ替わりに、ベッドから降りて湯気のこもるシャワールームに入った。  腹にかかった秋生さんのかけらを指にすくって舐める。単純に味だけを評価するならおいしいものではないけれど、秋生さんの一部だと考えれば極上のブランド牛よりもずっと貴重な味わいだ。惜しみながらも洗い流して、情事の名残を消したさっぱりとした体で出ると秋生さんはきっちりとスーツを着込んでいた。  僕もスーツを身に着けて、カバンを手にする。  会計を済ませて繁華街に向かうと、陽気な酔いの気配が夜気に混ざって漂っていた。金曜日の夜はいつもこんな感じだ。街の雰囲気が秋生さんと過ごした濃密な時間を急速に遠ざけて、過去のものにしてしまう。  どちらかの家ならきっと、こんなことにはならないのに。 「どの店に入ろうか。――まあ、どこもいっぱいだろうけど」  こうして並ぶ僕たちを、誰もが恋人同士と見なさない。上司と部下だと思うだろう。僕ですら、そう感じているのだから。 「秋生さん」 「うん?」 「あの路地にあった、バーみたいな居酒屋はどうですか? あそこなら、席が空いているかもしれないです」 「路地? ああ、あの店か。うん、いいね。じゃあ、そこにしようか」  本通りから折れて、いくつもの店が入っている商業ビルの入り口に向かう。目的の店は四階で、エレベーターの横に今日のおすすめが書かれている店の看板が立てられていた。そこにつりさげられている通常メニューの薄い冊子を、エレベーターが降りてくるまでながめて待つ。 「おいしそうだね」  肩越しにメニューをのぞかれ、ドキッとした。  あんなに激しく体をぶつけあったのに、この程度で緊張をしてしまうのは秋生さんが付き合う前とおなじ態度でいるからだ。甘やかな恋人同士の気配なんて、人目のない場所でも出してはくれない。  エレベーターが着て、乗り込んで、そっと指に指を絡める。笑顔をくれた秋生さんは、指に力を込めてはくれない。一方的に僕が握るだけだ。  こういうちいさな反応が切なくてたまらない。恋人として、僕は認められているのかと不安になる。いつか飽きられて、あっさりと捨てられる。そんな予感を覚えてしまう。  お店はインドあたりの国を連想させる内装だった。不思議な木彫りの置物がそこここにある。インドじゃなくて、インディアン系なのかもしれない。こういうものに詳しくないから、よくわからない。  飲み物を注文して、届くまでに料理をいくつか選ぶ。ラム肉の料理がほとんどで、料理名は耳慣れないものばかりだった。簡単な説明書きがないと想像もつかない品名を、ビールを運んでくれた店員に告げて乾杯をする。  会話はとくにない。というか、会社の話題を避けるとテレビやニュースなんかの話題しか残らない。こうしているだけでも僕は幸せだけど、秋生さんはどうなんだろう。おしゃべりな男と寡黙な男、どちらが好みなのかな。  ラム肉料理は食べつけないけれど、どれもとてもおいしかった。秋生さんの箸もよく進んでいて、この店を思い出してよかったとホッとする。味の好みにうるさいわけではなさそうだけど、どうせならおいしい店で過ごしたい。  秋生さんの好き嫌いすら、僕はまだ知らなかった。好きな愛撫や体位は覚えたのに――。 「お腹はもう大丈夫かな」 「はい。もう、お腹いっぱいです」 「それじゃあ、終電まで駅前でコーヒーでも飲もうか」  バーに通っていたころと変わらない。金曜日の退勤時間から終電前の間だけ、僕は秋生さんと過ごす。土日や祝日にデートを申し込んではみたけれど、仕事の疲れを抜きたいからと断られた。おじさんになると、ひとりでゆっくり過ごさないと仕事の疲れが抜けないんだ、と。  べつにセックスをしなくても、映画を観に行くとかブラブラ散歩をするだけでもかまわ ないのに。どちらかの家で、なにもせずに過ごすだけでも楽しいのに。  そう言って断られたらどうしようと不安になってしまうくらい、秋生さんの心が見えない。  伝票はいつも秋生さんが先に取ってしまう。僕が払いたいと食い下がると、じゃあ次の店はおごってくれと言われるのはいつものことで、そこでもまた距離を感じてしまう。  秋生さんいわく、僕よりも収入が多いし特に趣味もないから、こういう機会にお金を使わせてほしい、らしい。  いつまでも年下扱いされるふがいなさに落ち込んで、うつむき加減でレジへ向かう僕の目に、大きすぎる男根を突き出している木像が映った。ギョッとして顔を上げると、交合している男女の木像がある。デフォルメされているので、いやらしさは感じられない。むしろ滑稽ですらある。人間というより、獣の交尾みたいだ。  獣の交尾、か。 「どうしたんだ、琢磨くん」 「あ、いえ。おもしろいなぁと思って」  なんともない顔で言いながら、僕の頭は不埒な閃きを浮かべていた。  心を開いてくれないのなら、体を拓けばいいじゃないか――、と。

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