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第4話
くぐもったうなり声を発している秋生さんの腰を掴んで、思い切り体をぶつける。
会社の、会議室で。
「んっ、んふ……、ふっ、んふぅう……、うっ、う」
壁に両手をついている秋生さんが腰を振り、もっともっとと僕を求めて締めつけてくる。
なんて淫らできれいなんだろう。
会社での情交は制約がありすぎる。
髪を乱さないように。
スーツやシャツにシワがよらないように。
誰かが来ても素早く身支度が整えられるように。
匂いを残さないように。
声が漏れ聞こえるなんて論外だ。
だから僕たちは即物的に、必要な部分だけを空気にさらして最低限の準備だけで繋がっている。
愛撫らしい愛撫なんてできない行為は獣の交尾みたいで、味気ないぶん生々しい肉欲を味わえた。求愛行動のキスをして、受け入れた秋生さんは壁に手を着き尻を突き出す。僕は秋生さんの口に清潔なタオルを丸めて押し込み、ジェルを垂らして秘孔をほぐす。興奮に頭をもたげた秋生さんの分身が先走りをこぼす前にゴムを嵌めて、床や脱ぎかけのズボンが汚れないようにする。秘孔がほぐれたら僕もゴムを装着して繋がる。
すこしも汚さないように。
床や服に精の名残がつかないように。
秋生さんにゴムをつける作業は、とても興奮する。じっと僕のするままになっている秋生さん、という状況が僕を興奮させている。
秋生さんが言うことを聞いてくれるなら、どんな行為でも僕は興奮するだろう。それがただ“なにもせずに待つ”という行為であっても。
従順に“待て”をする秋生さん。
想像するだけで胸の奥が膨らんで、体が熱くなる。
そうだ。
どうせなら秋生さんを調教しよう。しっかりと調教された僕だけの飼い犬にしよう。
おかしな妄想に欲望を膨らませて、愉悦に浸りながら秋生さんを責める。
「ふっ、んぅ、う……、うっ、うう」
僕の突きが激しくなると、秋生さんのうなりが苦しげなものになった。眉根を寄せて、けれどそれは快楽のためで。身をよじる秋生さんは、乳首をいじられたがっているのだとわかった。そこをされるの、秋生さんは好きだから。
僕は腰の動きを緩めて腕を伸ばした。シャツをめくって秋生さんの背中をくすぐる。ビクンと震えた秋生さんの内側が、ギュウウッと僕にすがりついてきた。――かわいいなぁ。
「秋生さん」
ふだんはなんともないくせに、深いキスをすれば性感帯に変わる背中や脇腹を撫でていると、秋生さんが体を揺らしておねだりしてくる。
「欲しいんですか?」
「んっ、んん」
肩越しに振り向いた秋生さんの目は快楽に潤んでいた。足元からつむじ風のように快感が立ち上り、僕はうっとりと秋生さんの背中に唇を押し当てた。
「んぅ、うっ……む、ふぅう」
ちいさく震える秋生さんの肌は、汗でしっとりと濡れている。終わったらボディシートで拭かなきゃいけないんだし、もういっそ全裸で繋がってしまえばいいんじゃないかな。
ああ、そうだ。
次からはそうしよう。
会議室で、全裸で乱れる秋生さんか――。
「ふふ」
妙案に笑った僕は秋生さんの胸に手を伸ばして、触れられたがっている突起に指をかけた。ぷっくりと膨らんだそこをつまむと、秋生さんは喉をそらして喜びを示した。クリクリと刺激しながら腰を動かせば、秋生さんはゆらゆら揺れて快感を追いかける。
「秋生さん」
心の底から湧き上がる想いが、勝手に口からこぼれ出る。
「愛しています……、秋生さん。この世の誰よりも、なによりも」
雑じりけのない気持ちを秋生さんの背中に置いて、僕は勇躍した。
本能をむき出しにした秋生さんは奔放すぎて、その姿に劣情が引きずられる。乱れる秋生さんは、普段の冷静で柔和で隙のない姿とはかけ離れていた。いままで秋生さんの相手をしてきた男は、きっと秋生さんを甘やかせてきたのだろう。だからこれほど無邪気に快感の虜になれるんだ。
「秋生さん」
「んふっ、ふ、んぅうううっ!」
秋生さんが果てる。僕も放った。痙攣する秋生さんの最奥で余韻を味わい、ゆっくりと抜く。ゴムの先にはたっぷりと性の証が溜まっていて、秋生さんも当然そうで、惜しみながらも両方を外してビニール袋に入れて縛った。しっかりと、匂いが漏れないように。
秋生さんは小刻みに震えながら、僕が口のタオルを抜くのを待っている。いたずらっぽく輝く瞳に官能の余韻が滲んでいて、ドキドキした。甘やかされている気分になる。
「秋生さん」
タオルを取ると、ふふっと笑った秋生さんにキスをされた。
「さあ、仕事に戻ろうか」
浅く息を乱しながらも会社員の顔に戻った秋生さんに、「はい」と答えてタオルを片づけ身支度を整える。どこにも証拠が残っていないか確かめて、匂いに敏感な人が来てもいいように換気のために窓を開けた。
「資料は持った?」
「はい、久永さん」
会社員らしく名字で呼ぶ。気を緩めれば下の名前で呼びそうになる僕とは違い、秋生さんは近すぎず遠すぎもしない距離を簡単に取り戻す。これは経験の差なのだろうか。それとも、秋生さんにとって僕は切り替えが簡単な相手なのか。
シャキッと背筋を伸ばして歩く秋生さんの足腰を、立たなくなるまで会議室で犯したらどうなるのかな。その前に秋生さんは僕を止めるだろうか。それとも苦笑して仕事の段取りを変更する? 試してみたい欲求をムクムクと湧きたたせている間に、会議室から商品開発部へと到着した。
僕と秋生さんがまとめた意見を、開発部のプロジェクト担当者に報告して具体案を詰めていく。と言っても、そこまで計画が進んでいるわけじゃない。週に一度はこうして進歩状況を相手に伝えて、僕たちがどういう方向性で行くつもりなのかを知ってもらうのが目的だ。
「お、久永」
担当者の堀江さんに書類を渡していると、横から声が飛んできた。見るからに人畜無害そうな、世の中の不幸が避けて通るんじゃないかって思うくらいに平穏な笑顔を浮かべた中年男性が近づいてくる。上等ではないけれど、パリッとしたスーツに身を包んでいるこの人は誰だろう。
「これがウワサのレポートくんか」
ずいぶんと安直なあだ名だなと思いつつ、頭を下げて名前を告げた。
「俺は藤岡だ。久永とは同期入社でな。なかなかそつなく仕事をこなす、頼りになる先輩だろう? 久永は」
藤岡さんに褒められて、秋生さんは謙遜しながらも照れた。その反応に僕は驚く。秋生さんの照れる顔なんてはじめて見た。
「あの、藤岡さんと久永さんって仲がいいんですか?」
「ん? 同期の中では仲がいいと思うぞ。久永はうっとうしいって思っているかもしれないけどな」
「藤岡にはいつも世話になりっぱなしだからな。感謝こそすれ、だ」
豪快に笑う藤岡さんの左手薬指には銀色の指輪が嵌められている。
「ご結婚なされているんですね」
「ああ、そうだ。どういうわけか男前の久永がまだで、俺みたいな平凡な奴が結婚している。娘がふたりいてなぁ。ああ、そうだ。ええと岩崎くんだったか」
「岩井です」
「そうそう、すまんすまん。岩井くんも今度、久永と一緒に俺の家に遊びに来るといい。小学生の娘が最近、お菓子作りをはじめてな。俺ひとりじゃあ食べきれないんだ」
秋生さんと一緒にだって?!
お腹をさする藤岡さんの言葉に、驚きのあまり見開きそうになった目をかろうじてこらえて笑顔を返した。
「ええ、ぜひ。僕、ひとり暮らしで友人もそんなに多くないので、けっこうヒマなんですよ」
「そうなのか。彼女は?」
「いません」
秋生さんと付き合っています、と心の中で付け加える。
「なら、メシも適当なものになりがちだろう。よし、次の土曜にでも俺の家に来い。昼飯を食わせてやるよ。――予定は大丈夫か?」
「僕は、もちろん」
遠慮がちに見えるよう、顎を引いて言葉をわざと詰まらせながら横目で秋生さんを見る。藤岡さんの好感度を上げておけば、僕の知らない秋生さんを教えてもらえると確信して。
「久永は? 用事あるのか」
「……いや、とくには」
「なら大丈夫だな。真紀も早苗も喜ぶぞ。なんせあいつら、パパより久永がいいって平気な顔して言うからな」
そう笑い飛ばせるのは、愛されている確証を漠然とでも持っているから。つまり藤岡さんの家庭は円満で、秋生さんと浮気をしている可能性はないと判断する。じゃあ、秋生さんのさっきの反応はなんだったんだ?
「それじゃ、土曜日の……そうだなぁ。時間はまたメールする」
ポンッと気安く秋生さんの肩に置かれた藤岡さんの手は、なんの意図も持っていなかった。秋生さんは僕がいままで見たこともない親しみのこもった作為のない笑顔で、「わかった」と軽く手を上げて別れを示した。
なんで、そんな顔をしているんですか。
喉元までせり上がった言葉を必死に飲み込み、僕は「楽しみですね」と声をかけた。
「ああ」
そう言った秋生さんは、あこがれの人を前にした少女みたいな表情をしていた。
すくなくとも、僕の目にはそう映った。
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