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第5話

 こんな形で私服姿の秋生さんを見るとは、想像すらもしていなかった。  コットンのパンツにロングTシャツ。その上にコートのようなカーディガンを羽織った秋生さんは、髪を下ろしていた。髪を下ろすと秋生さんは若く見える。そういう恰好をしていると、さらに実年齢よりも下に見えた。――それでも、僕よりは年上に見えるけれど。  僕はといえば、チェックのシャツをジャケットのように羽織り、ジーンズにVネックのTシャツという恰好だ。 「あの、秋生さん。お土産とか、ほんとうになにもなくてよかったんでしょうか」  お邪魔するのに手土産をと思ったけれど、なにを持って行っていいのかわからない。秋生さんとかぶってもいけないからと相談したら、「なにもいらない」と返された。相手が気を遣うからと言われて、そのときはそういうものかと納得をしたけれどやっぱり気になる。 「どうしても気になるのなら、娘さん用に文房具でも買えばいい」  秋生さんは指を伸ばして、駅と繋がっているショッピングモールを示した。待ち合わせ時間ははっきりと決めていないから、ちょっと文具屋へ寄るくらいなら問題ない。 「どんなものがいいか、一緒に見立ててくれますか? 娘さんの好みとか、わからないんで」 「俺だってわからないさ。女の子のことは、さっぱり」  軽く肩をすくめる秋生さんは、心なしかウキウキしているように見える。みぞおちのあたりで、鋭い痛みに似た熱がチリリと弾けた。藤岡さんのことが好きなんですか。そんな質問が喉奥までせり上がり、ひどく子どもじみた嫉妬だなって自嘲した。 「ケーキとかお菓子とかなら、気楽に選べるんですけどね」  文房具店に向かいながら、階下の食品売り場で適当に済ませたくなる。 「ご相伴にあずかるのに、食べ物を持っていくのはどうだろうなぁ」 「日持ちのするものなら、いいんじゃないですか?」 「お持たせですが、と出しそうな人なんだ。佳代子さんは」  さらりと秋生さんの唇から女性の名前が出た衝撃に、僕は立ち止まった。 「……佳代子さん?」 「藤岡の奥さんの名前だ。元、同僚だよ」  僕の驚きなんてすこしも気づかず、秋生さんはなんでもない話題として続ける。 「ずいぶんと親しいんですね。下の名前で呼ぶなんて」  わずかにやっかみを含んだ僕の声音に気づいているのか、いないのか。秋生さんは僕の肩に手を置きながら、「琢磨くんの年齢に近いくらい、長い付き合いだからね」と文房具屋へ入った。  僕の年齢に近いくらいの期間、付き合っている。  時間は親密度に関係しないとわかってはいるけれど、それはとても僕の腹の奥――臍の下あたりにズシンと響いた。  文房具屋で大人っぽく、けれどかわいらしいレターセットを選んで土産にすると、藤岡さんの娘さんたちに大喜びされた。この年齢の女の子は、メールやメッセージアプリで会話をすると同時に、特に親しい友人とは手紙のやり取りもするのだと知って不思議になった。なにがどう違うのだろう。けれどまあ、喜ばれてよかった。  藤岡さんは会社とすこしも態度が変わらない。気さくな笑顔と大きな声で僕たちを迎え入れると、妻の佳代子さん任せにすることなくこまごまと動いてもてなしてくれた。  ドラマの中から抜け出した、理想的な家族。  それが藤岡さん一家に対する僕の印象だった。だからこそ裏にはなにかあるのではと疑ってしまう。それくらい完璧でまぶしくて、けれどとても自然だった。  疑念のもとは自覚している。秋生さんがひどくくつろいだ表情で溶け込んでいることだ。存在を完璧に受け入れられていて、親族のひとりみたいだ。ふたりの娘も秋生さんになついていて、それがあるから僕にも親しくしてくれる。  そう、感じた。  僕は終始とまどっていて、そんなに緊張しなくてもいいのよと佳代子さんに言われて恥ずかしくなった。  図々しいよりもずっといいが、仕事では図々しくならなくちゃいけない場合もあるぞと言った藤岡さんに、苦味のある笑みを返す。秋生さんを視界の端で確認すると、年下を見守る保護者めいた目で僕を見ていた。  この場で僕は、とても中途半端な立ち位置にいる。受け入れ態勢が万全な藤岡さん家族。僕のことを、あくまでも会社の後輩として扱う秋生さん。その中に心をくつろげられない僕は、とても居心地が悪かった。表面上は笑みを絶やさずにいたけれど。  だから、そろそろおいとまするよと秋生さんが腰を上げたときにはホッとした。僕もそそくさと立ち上がり、おいしかったですと玄関に向かう。夕食も食べていけばいいのにと藤岡さんは言い、奥さんもそのつもりで準備しているからとひきとめてくれた。秋生さんはやんわりと断りを入れて靴を履き、それじゃあと外に出る。僕も頭を下げて後に続いた。  手を振ってくる娘さんたちに手を振り返して駅へと向かう。角を曲がって藤岡さんの家が見えなくなってから、僕は口を開いた。 「秋生さん。ホテル、行きましょう」 「どうしたんだ。藪から棒に」 「昨日、シてないじゃないですか」  今日のために、週に一度の逢瀬はやめておこうと秋生さんに言われた。歩き方が不自然になったら困るだろう? 藤岡は大ざっぱなくせに他人の不調には目ざといんだ。――そう言った秋生さんの目はとても優しかった。 「だから、いいでしょう?」  僕の知らない秋生さんを打ち砕きたい。秋生さんの隅々まで僕で満たしたい。秋生さんの恋人は僕なんだ。誰よりも秋生さんを知っているのは、僕でいたい。秋生さんのどんな表情もすべて、僕のためであってほしい。  子どもじみた嫉妬だとは、わかっている。かなうはずのない望みだとも。だけれど落ち着かない。――僕の知らない秋生さんを目の当たりにした衝撃に、嫉妬と独占欲がうなりを上げていた。  艶然とほほえんだ秋生さんは僕の小指に軽く指を絡めると、すぐに離して駅とは違う方向に歩きはじめた。  背中を追いかけながら、このあたりのホテル事情にも詳しいのかと胃のあたりに泥が溜まっているような気分になった。相手は藤岡さんですかと疑う僕と、藤岡さんと秋生さんの間に肉体関係はまったくないと確信している僕がいる。  ビジネスホテルのように簡素な外観のホテルに入った秋生さんは、慣れた手つきで部屋を選んでエレベーターに乗り込んだ。箱の中に閉じ込められて、上階へ運ばれる間にキスをしたくなったけれどガマンする。ちょっとでも触れてしまえば、止まらなくなる自信があった。  箱が止まって扉が開いて、秋生さんに先導されて部屋に入ると、そこは外観からは想像もできないくらい刺激的だった。ガラス張りのシャワールームとダブルのベッドは普通だけれど、壁に十字架の磔台が設置されている。奥のチェストにはムチや首輪、バイブなどが並んでいた。 「そういう趣向の人が訪れる店だから、男同士でも抵抗なく入れるんだ」  服を脱ぎながら秋生さんが教えてくれた。利用したことのある言い方に、どう答えれば正解なのか。  そういう趣味があるんですか?  前に誰かと来たことがあるんですね。  その相手は藤岡さんですか。  どれもこれも余裕のなさを表していて情けなくなる。秋生さんはさっさとシャワールームに入ってしまった。いつもはキスを楽しんでから、僕をなだめて入るのに。昨日、おあずけを食らった僕が止まらないかもしれないと考えたのか、秋生さんも僕を欲しがってくれているのか。  後者だと確信を持てない口惜しさが、チェストの中の道具に手を伸ばさせる。独占欲が視線を首輪に固定した。衝動的に首輪を購入してから、ほかのものも物色する。  これのほかに、そそられるものはなかった。秋生さんを僕のものだと示す道具のほかは、どれも低俗で悪趣味な道具にしか感じられなかった。  棚の下段に視線を移してアナルプラグを見つける。これを栓にすれば、会社で僕を注いでも服を汚さずに済むと考えて購入した。いくら薄くてもゴム越しに秋生さんを感じるなんて嫌だから。  ボディバッグにアナルプラグを押し込んで、服を脱ぐ。全裸になる前にシャワーの音が止まった。出てきた秋生さんに腕を伸ばして首輪をつけながらキスをする。秋生さんの腕が僕の腰にまわり、キスが返された。 「これは、どういった趣向かな?」  動じないのは経験済みのプレイだからか、単なる好奇心からか。――どちらでもいい。嫌悪されていないのだから。 「秋生さんの飼い主になるって意思表示です」  きょとんと眉を持ち上げて、秋生さんは僕の目の奥を確認する。本気か冗談かを見極められる前に唇を重ねて、秋生さんの肩を押した。膝を折った秋生さんに顔をかぶせて舌を伸ばし、口腔を蹂躙する。秋生さんは僕の背中に手を滑らせて、口淫に応戦した。 「んっ、ふ……、ふぅ、うんぅう」  くぐもった秋生さんの呼気は、僕とおなじくらい興奮している。今日の秋生さんは積極的だ。――どうして? わからない。わからないけど、水を差す必要なんてない。僕は秋生さんを窒息させる勢いでキスをして、秋生さんはあえぎながらも大人の余裕でおぼれずにいる。  舌が疲れてだるくなるまでキスをして、ようやく唇を離した僕たちの息は全力疾走をした直後みたいに上がっていた。  勃起した僕を秋生さんが握る。秋生さんはしゃぶるのが好きだ。僕が興奮する姿を見て、いつも楽しそうにする。そして口の中が性感帯な秋生さんは、僕が腰を動かして先っぽで上あごをこすったり頬裏を押したりすると、うっとりと目を細める。そうやって互いに高まり、僕は秋生さんの口の中に精を放つ。 「うっ……」  短くうめいた僕の尻をつかんで筒内のものを吸い上げた秋生さんの唇が妖艶に歪むから、僕味のする唇にキスをしてしまった。抗いがたい魅力を放つ秋生さんのすべてに翻弄されてしまう。僕が翻弄したいのに。 「秋生さん」  かすれた声で呼べば、秋生さんはうれしそうに目を細める。どこか余裕を残したままのその顔を無防備な親愛に変えたくて、がっつきたがる性欲を押さえた。秋生さんの首にある、僕がつけた首輪。こんなものより、気持ちの首輪で捕えたい。 「これから俺は、琢磨くんに調教をされるのかな?」  冗談めいた口調に首を振る。 「調教じゃありません。飼い主として、躾をするんですよ。僕以外の誰にもなびかないように、主人が誰かを教え込むんです」 「俺は犬かい?」 「いいえ……。久永秋生という名前の、唯一無二の獣です」 「君のほうがよっぽど獣じみた目をしているよ、琢磨くん」  クスクスと動く秋生さんの喉で首輪が揺れる。それに指をかけて自分の腕をリードがわりにベッドへ導いた。秋生さんはおとなしくついてくる。この趣向を面白がっている瞳で。  僕程度の若造には屈しないと言われているみたいだ。  劣等感のための妄想だとわかっていても、薄暗い気持ちは止まらない。秋生さんが腰に巻いていたバスタオルを僕にかけた。 「きちんと拭いてくれないと、風邪をひいてしまう」  バスタオルを秋生さんの頭にかぶせて、両手でかき回す。秋生さんはおとなしくしている。これを遊びだと思っているのか、協力的な秋生さんの態度に腹が立った。同時に愛おしくてたまらなくなる。  秋生さんを前にすると、僕の心は無数に分裂する。いろんな僕が混在してわけがわからなくなる。その中でも特に存在感が強いのは、乱暴な独占欲と慈しみたい優しい感情。相反するはずのそれらは無理なく同居して僕を動かす。  僕は丁寧に秋生さんの全身をバスタオルで拭いた。これじゃあ僕が秋生さんの下僕みたいだ。秋生さんという僕の心の支配者を世話する係。それでもいいと思いかけた自分を叱る。  そうじゃないだろう。秋生さんを支配したいんじゃないのか。なにもかもをゆだねられたいから、飼い主なんて言ったんじゃないか。  秋生さんの欲の証が隆々とそびえている。指を絡めてくすぐりながら、肩に顔を伏せてキスをした。  じっくりと快楽であぶって、トロトロに溶かして、欲しいと懇願させるために、ゆるやかに愛撫する。 「ああ、あ……、琢磨くん」  切ない声に性急になりかける。  だめだ、落ち着け。さきにヌいてもらったんだから、秋生さんより余裕があるだろう? 思い出せ。淫蕩にたゆたう秋生さんの無防備な表情を。なにもかもを僕にゆだねている姿を。あれが欲しいなら自分の欲をコントロールしろ。 「ふっ、んぁ、あ、ああ」  甘いあえぎと熱に染まる肌に理性が削られる。尖った胸先に歯を立てれば、秋生さんの腰が跳ねた。そこを唇で責めながら、蜜を浮かせた肉欲を指の腹で執拗にいじり倒す。 「は、ぁ……、ああ、あっ、琢磨くん……、ぅ、うう」  獰猛に喉を鳴らして理性のタガを食い破ろうとする本能は、秋生さんの淫らな声にエネルギーを注がれて臨戦態勢に入った。股間が脈打ち、はやく秋生さんの内側に入りたいと訴える。愛撫する手を奥に伸ばして尻の谷をなぞると、秋生さんの脚が僕の腰にかかった。尻を浮かせて繋がりやすい体勢を取った秋生さんは、枕元にあるジェルに手を伸ばすと、それで僕の額をコツンと叩いた。 「琢磨くん……、ほら」  その先の「はやく」を聞きたいのに、言ってはくれない余裕を砕きたい。陰茎は準備万端とばかりに蜜で濡れそぼっているのに、秋生さんの瞳はまだ理性の光を残している。  この余裕は経験の過多が理由? それとも単純な欲の深さ? あるいは想いの――求める気持ちの差異が原因なのか。  受け取らない僕の手に、ジェルが押しつけられる。 「君も獣になればいい。――ともに獣に成り下がって、本能のままにむさぼりあおう」  淫靡な微笑に誘われて、僕のガマンはあっけなく陥落してしまった。

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