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第8話
どうすれば秋生さんと対等になれるんだろう。
対等になれないまでも、頼られる存在になりたい。
どれほど追いかけても手の届かない相手にすこしでも長く触れていたくて、僕は帰宅してから眠るまでの間に仕事を片づけることに決めた。
僕の生活の中心には秋生さんがいる。秋生さんを中心として、僕の世界は回っていた。
秋生さん。
秋生さん。
秋生さん。
さまざまな秋生さんが僕の内側に住んでいる。触れれば触れるほど掴みどころがなくなってしまう秋生さん。知れば知るほどわからなくなっていく秋生さん。
「ああ」
物憂い息を吐き出して、ノートパソコンから顔を上げた。コーヒーでも飲んで、ちょっと休憩をしよう。
席を立ち、電気ケトルに水を入れる。時計を見るともうすぐ日付が変わる時刻だった。コーヒーを飲むのを止めて、シャワーを浴びて眠ることにする。
電気ケトルのスイッチを切って水を捨て、必要なものを手にして浴室に入った。
今日の秋生さんはなんだかいつもと違っていた。どこがどうとはハッキリ言えないけれど、なにかがすこし違っていた。
いつもより乱れていた? それは僕が執拗に求めたからじゃないのか。
リードされる感じがいつもよりもすくなかったのは、僕が飼い主になるなんて言ったからかもしれない。
「くそ」
秋生さんはいつも大人びていて、自分の幼さや未熟さをひしひしと感じてしまう。必死に背伸びをしても、足元にも及ばない。けれど余裕のあるフリなんてできやしない。秋生さんが欲しい。愛したくてしかたがない。想いをぶつけたくてたまらない。
だから、だろうか。
独りよがりだから、だから空回りをしているんじゃないか? 秋生さんの気持ちを置いてけぼりにしているから、翻弄されるばかりで秋生さんを手に入れられないのだとしたら。
「秋生さんの気持ち……、か」
どれほど愛していると伝えても、秋生さんの唇からその言葉は漏れてこない。わかっているよと言ってくれたけど、本当にそうだろうか。わかっていて、だからこそあの態度なのだとしたら、僕はいつまでも秋生さんにとって世話をして守らなければならない子どものままだ。
歯がゆい。
二十歳のころ、金曜日の終電までは秋生さんを独占できるといい気になっていた。いま振り返れば秋生さんは、不慣れな僕が変な奴に絡まれないよう守ってくれていたのだとわかる。その程度には成長した。けれどまだ足りない。秋生さんの隣に立つには、まだまだ未熟だ。
どうすればいい。
なにをすればいい。
わからない。
わからないからただ、体を求めてしまう。開かれない心の代わりに、体を拓こうと必死になる。そうして乱れた秋生さんの姿に、事後の余韻に浸る秋生さんの無防備な表情に酔いしれて、つかの間の幻想を抱いて――すぐに普段通りに戻る秋生さんの姿に未熟さを痛感する。
「ほかに、どうすればいいんですか」
届かないとわかっていながら、直接に問えない質問を幻の秋生さんにぶつけてみる。当然ながら答えはない。
「秋生さんを手に入れるには、どうなればいいのか教えてください」
それがわかれば、どんな方法であっても実践する。入社をするため必死になって、友人も巻き込みレポートを作成した。あれ以上の情熱を持って取り組むから、だから誰か教えてくれ。どうすれば大人の男になれる? 秋生さんと肩を並べられる? いますぐになんて贅沢は言わない。簡単な方法なんてワガママも言わない。ただ秋生さんが僕から離れてしまう前に、秋生さんを僕から離れられないようにしたい。
「……首輪」
秋生さんはまだ持ってくれているだろうか。あれを持ってきてくださいとメールを送って、秋生さんが持ってきてくれたら“ごっこ遊び”と称して躾をするのはどうだろう。いきなり人間的に成長なんてできないから、時間を稼ぐために体を拓いてしまうんだ。――そうして離れがたくしてしまえばいい。
考えごとをしている間にも、自動的に体は動いて風呂を終えた。
パソコンの前に戻ってブラウザを開く。人間の躾なんてしたことがないから、どうすればいいのか調べよう。獣のように快楽に落としてしまえばいいと決意したのはいいけれど、結果は秋生さんの誘惑に負けてしまった。あのときのようにならないためには、どうすればいいか。秋生さんの魅力に抗えるわけはないから、誘いをかけられない“ごっこ遊び”に興じてもらう方法を見つけないと。
検索をしていると、ふいに藤岡さんに向けられた秋生さんのくったくのない笑顔が意識の前に現れた。僕の年齢とおなじくらいの期間、付き合いがあるって言っていたな。
市場調査で大切なのは、商品そのものを中心に考えるのではなく、商品の置かれている状況を踏まえなければならない。ターゲットを絞って開発された商品であっても、想定外の層にウケる場合がある。その理由を調べるには商品そのものではなく、背景を調べる。背景を知ってから商品にフォーカスを当てて理由を分析する。それとおなじで秋生さんそのものではなく、秋生さんの周囲に目を配ってみるのはどうだろう。藤岡さんという調査をするのに最適な人材と知り合えたのだから、それを活用しない手はないよな。
ふむ、と自分の考えに同意してブラウザを閉じ、仕事の資料を立ち上げる。秋生さんではない“誰か”を想定した躾の方法を調べるよりも、藤岡さんから秋生さんについて聞き出すほうが実益はありそうだ。
タタン、と軽やかにキーボードを叩いて仕事を進める。秋生さんと会える時間は有効に使わなければ。
どういうわけか金曜日の仕事後にしかプライベートをくれない人に、土曜日の約束を強引ながらもすんなりと取りつけた藤岡さんの意見を取り入れて、いまよりもっと深く秋生さんの生活に入り込む。それまでにできることは、しっかりとやっておこう。
秋生さんの肌に僕という存在を刻みつける時間を作るため、僕は上司に進行状況報告として提出する明日の分の資料を完成させてから布団に入った。
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