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第8話
うっとりと瞳を閉じたところで山王の手が止まった。
それとほぼ同時に雪がはっと我に返り、丸い目をぱちっと見開き撫でられていた黒い耳をピンと伸ばした。
「な、なに気易く触ってんだよっ……!」
雪は山王の手をパシッと叩き落とし、大袈裟に避けるように身体を捩じる。
山王が驚いた様子で雪を見ていたが、すぐその整った顔にさも面白いと言わんばかりの不敵な笑みを湛えた。
その表情を見た雪は山王をきっと睨む。
恐ろしく思っていた相手なのに、ほんの少しの間とはいえ大事な耳を撫でられ、その上心地よさに瞼を落としたなんて。
しかも自分をバカにしたように笑っている。
一気に羞恥心が湧き上がり、雪の白い頬がピンクに染まった。
「なんだ。思いの外元気だな。こちらとしても泣かれたりしては余計な誤解を招くこととなるし迷惑だと思っていたところだ。そんなに元気なら立てるな?」
「当たり前だろ」
いつの間にか手足の震えは止まり、雪はすっくと立ち上がる。
一刻も早くこの場を立ち去りたくて、無言で雪は歩き出した。
「おい、そっちは昇降口じゃないぞ」
背後からそう声をかけられ雪の足が止まる。
雪は形の良い中生的な眉をハの字に下げて山王の方へ振り返った。
何をバカなと思っていたが、本当に自分は肉食組の奴らに嵌められるべくしてここへ追い込まれたのだろうということにやっと気付いたのだった。
方向感覚を失うほど精神的にも追い詰められていたのだ。
だから山王の姿にも必要以上に怯えるはめになり、そして現在、帰り道がわからなくなってしまっている。
雪は今非常に困っていた。
それを山王が知るはずもないのだが、思わず縋る表情を向けてしまうのは、雪の本能の一部なのだろう。
「どうした?まさか帰り道がわからないのか?」
その通りだった。このまま草木の生い茂る中庭を走り抜けて帰る自信がない。
追い回されてどこをどう通ってここまでやってきたのかもわからずに相当な距離を走ってきたことや、よく考えれば周辺は肉食組のエリア内だ。
どんなに強がっても恐怖に打ち勝つことができない雪は、山王を見上げ、黙ってこくんと頷いた。
「ちょっと待ってろ。教師にお前を送り届けると伝えてくる。ここを動くなよ」
山王はそう言って教室へ一旦戻ったようだったが、程なくして何事もなかったかのように戻ってきた。
雪は山王の姿を見てほっとした。
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