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第8話
母の言った通り、拓海はほぼ1人で生活をしている。高校生になったあたりから父親は他の女の家を渡り歩いてばかりで、年に数回しか帰ってこないらしい。父親とは不仲だから、むしろありがたいのだと言っていた。彼の父親嫌いは筋金入りで、たとえ自分の家であっても父を連想させる場所には近づかない。お風呂やキッチンを利用する以外は、1日の大半を自室だけで過ごしている。だから僕も何十回とここへ来ているのに、拓海の部屋以外は1度も見たことがなかった。
「着いたよ」と連絡を送れば、すぐに既読がつく。次いでカチャリと鍵が外される音が響いた。扉が開いたかと思えば腕を掴まれる。そのまま無言で引っ張られ、彼の部屋へと連れ込まれた。
「座って」
促されて、僕はベッドの端に座る。いつもならもっと優しいのに、拓海の声は冷たかった。
「拓海、もしかして怒ってる……?」
「怒ってないよ」
そう言いつつ、目も合わせてくれない。
「じゃあなんで」
「……ただ、悲しかっただけ」
表情は見せず下を向いたまま、拓海が近付いてきた。腰の周りに手がまわされ、そのまま勢いよく抱きつかれる。
「ちょっ、危なっ!」
身体にしっかりと力を入れていなかった僕は、突然の重みに耐えきれずベッドに倒れこむ。当然拓海も一緒に倒れるわけで、ベッドの上で男子2人が抱きあうという奇妙な構図ができた。
「拓海……?」
すぐに離れると思ったのに、彼は予想に反して逆に抱きしめる力を強くする。
耳もとで、泣きそうな声が放たれた。
「千秋ちゃん、彼女と別れて」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。この状況と彼女の話とはあまりにもかけ離れているように思えて、その意図が掴めない。
「彼女?」
「彼女が出来たからなんでしょう?僕とのキスを拒むのは。それとも……僕のことが嫌いになった?」
それは、あの時の拓海に似ていた。消えるつもりだと宣言した、あの日の拓海に。
「違う。嫌いになったとか、そういう理由じゃない」
「じゃあ、何?」
「僕は、この関係は拓海の為にならないと思ったから……」
「僕の、ため?」
温度が下がる。彼の全身で僕を咎めるような空気に、本心からの言葉さえ言い訳のようにしかならなかった。
「それでも、ダメ。僕を一番にして。千秋ちゃんの一番でいたい」
だんだん、彼が何を言っているのかわからなくなる。
「『千秋ちゃんが幸せになってくれるのは嬉しい』って言ったのは本当。でも、僕のことを忘れてほしくない、いつでも僕を優先してほしい」
拓海は僕に、何を求めてるんだろう。
「彼女は彼女だろ?別に拓海と遊べなくなるわけじゃない」
「ううん、絶対千秋ちゃんは僕より彼女を優先する時がくる。だって親友より彼女の方が大事でしょう?」
ずっと近くで見てきた彼の悪い癖。人の気持ちを決めつけて、勝手に傷付く。
「なんでそうなるの。そんなに僕が信じられない?」
そう言えば、拓海がゆっくりと顔をあげた。その顔には、下手な作り笑いの表情が浮かんでいる。
「信じたいよ」
声にならないまま、彼の口がそう動いた。
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