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違う、そうじゃない。(上)

 舟而と白帆の住まいは上野公園と谷中墓地、そして寺町に囲まれたような立地で、舟而の朝の散歩は寺町を選ぶことが多い。  作家という職業の割には朝早く起きて、自ら朝食も作り、散歩の習慣も欠かさない舟而だが、寺の朝の早さにはかなわない。  幅広の台に黒の本天の鼻緒をすげた、実用一点張りの下駄を素足に突っかけて散歩する頃には、朝の読経は済まされ、焚かれた香の澄んだ匂いが道端まで流れ()でて、寺の中では若い僧侶が規則正しく箒を動かし、全身を使って雑巾を押し、作務に邁進している。 「皆さん、ご精が出ますねぇ」 今日の散歩は白帆も一緒だ。繁柾の下駄を履いて笑みを浮かべて歩いている。 舟而の隣を軽やかに歩いているかと思えば、突然道端に咲く小さな花に足を止め、次には駆け足で舟而を追い越してから振り返って、舟而が歩いてくるの待っているという具合だ。 「ねぇ、先生。あの小僧さん、猫と遊んでます」  舟而は整然とした様子や、秩序に沿った人の動きに目を向けるが、白帆は景色の中のちょっとしたほころび(・・・・)に目を向ける。  境内の陰で、小枝を振って仔猫をじゃらしている小僧がいた。仔猫を見る目は細められ、口元には笑みが浮かんでいて、厳しい日課の束の間の楽しみというところだろうか。 「ねぇ、先生。縄師さんって、子供たちのことは縛らないんでしょうか」 「はっ? 子供っ?!」 遊ぶ小僧と猫に目を細めていたところへの発言に、舟而は刮目して白帆を見た。  しかし白帆は頬に揃えた指をあて、澄んだ目をして、いつの間にか今度は境内に遊ぶ子供たちを見ている。子供たちはクスノキに登り、枝に掴まってぶらぶらと身体を揺らしていた。 「木の枝や何かに縛って吊るしてやったら、子供たちは大喜びでしょうに。そう思いません?」  少し年長の子供は枝に膝の裏をひっかけて逆さまにぶら下がっている。その輪の中へ混ざって行こうと足を踏み出した白帆の手首を、舟而は素早く掴んで引き戻した。 「白帆。桜林堂で小鯛焼きを買おうか」 「わーい、参りましょっ! 桜林堂の小鯛焼きは、頭から尻尾まであんこが詰まっていて、大好き!」 「やれやれ……」  白帆と暮らすようになってからは、撞球(ビリヤード)を始めあらゆる遊戯への興味が失せて、酒も煙草もほとんど口にしなくなり、本を買うほかは、白帆に物を買ってやるくらいしか小遣いの使い道はない。舟而は懐から取り出した紺色のがま口で、桧葉(ヒバ)を敷いた折詰いっぱいに小鯛焼きを買ってやった。 「頼むから、そろそろ縄遊びから離れてくれ」  白帆の口の端についた粒あんを摘み取って食べつつ、舟而は小さく呟いた。  夜、湯上りの白帆は真珠色の肌を上気させ、寝間着姿で布団の上に横座りしながら、まだ楽しそうにお喋りをしている。 「ねぇ、先生。この部屋の鴨居に縄を掛けましょうか。ぶら下がったら楽しいと思うんですよ」 舟而は天井を見上げて息を吹いた。 「緊縛や吊るしっていうのは、そういうものじゃないんだよ。まったく、何と説明したらいいかな」  舟而は箪笥から腰紐を取り出して、白帆の前に座るとその細い両手首をまとめて緩く蝶結びにした。 「僕は縄師のようにはできないから、これだけ」 「わあ、これで鴨居から吊るすんですか?」  白帆の目は明らかに輝きを増していて、舟而は小さく溜息をつき、箪笥からもう一本腰紐を取り出した。白帆を鴨居の下に立たせると、もう一本の腰紐を鴨居に掛けて、その両端を白帆の手に握らせた。 「吊るすのは危ないから、自分で好きなように掴まっていなさい」 ほとんど投げやりにそう言ったが、白帆は腰紐の鴨居に近い部分を両手で掴むと脇を締め、肘に身体を引き付けさらに両足を上げて、鴨居にぶら下がって遊ぶ。 「わーい!」 「お姫様の衣装を着て芝居をする力は半端じゃないな」  舟而は片頬を上げ、腕を組んでしばらく白帆の姿を眺めていたが、白帆が足を振り上げ、鴨居の上の欄間へ爪先が触れ、寝間着の裾が乱れて白い腿がすべて露わになったとき、揺れる白帆を抱き締めた。 「そんなに僕に見せつけて、どんな遊びがしたいんだい?」 ふうっと耳に息を吹きかけると、白帆は舟而の腕の中へ落ちた。 「駄目だよ、白帆。ちゃんと紐に掴まって立っていなさい」  白帆が素直に腰紐に掴まって立つと、舟而はその前にひざまずき、そっと寝間着の裾を左右に開いて、その膝の内側へ唇を押し付けた。

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