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お月見?

 吾妻橋から隅田川沿いに少し上流へ歩いて行くと、川風と夕陽を受けてけものの被毛のように波打って光る(すすき)の一群があり、その中を子供たちが歩いていた。 「薄をとっているのかい?」 一日から(あわせ)に衣替えしたばかりの舟而は、紺無地の紬の着物に、銀鼠(ぎんねず)色の縞の馬乗袴をつけ、紺足袋に朴歯(ほおば)下駄を履いた姿で、髪を風に遊ばせながら子供たちに声を掛けた。 「うん! 今日はお月見だから、おっかさんに言われて来てんだ! まだたんとあるから、おじさんもとってあげようか?」 子供たちの中では一番年嵩(としかさ)と思われる、絣の着物に兵児帯(へこおび)を結んだ毬栗(いがぐり)頭の男の子が、元気な声で舟而の世話を焼く。 「おじさん……。まあ、とにかく二、三本わけてくれよ」 舟而が土手の斜面にしゃがみながら言うと、穂が一等艶やかに光るものを三本()って、爪の間に土が入り込んだ手で持って来てくれた。 「ありがとう。キャラメルは好きかい?」 箱を開けて差し出すと、薄の群れの中からわらわらと子供たちが出てきた。 「いいなあ!」 「ねぇ、じろチャン、なんでキャラメルもらってんの?」 「わあ、キャラメル? どしたの?」 舟而はその人数の多さに、キャラメルの箱ごと男の子に渡した。 「数が足りないかも知れないけど、喧嘩しないようにやってくれ」 「半分ずつだ! ちゃんと並べよ、ダメだ、小さい子から! 横入りすんなよ!」 男の子は、大きくて平らな石の上にキャラメルの箱を置き、近くの段差の陰に積み上げてある小石を退かして、小さな洞穴のようになっているところから小刀を取り出すと、その小刀でキャラメルを半分に切り分け始めた。  舟而は頃合を見て立ち上がり、男の子の毬栗頭をぽんぽんと撫でた。 「坊や、どうもありがとうな」 「うん、キャラメルごっそさま(ご馳走様)。またね」 男の子は、人形を抱えた小さな女の子の口にキャラメルの半分を入れてやりながら、返事をした。  舟而はもらった薄を手に、夕闇に追い立てられるようにして本所区の借家へ帰る。 「おかえりなさいまし!」 土間から白帆の澄んだ声がした。  白帆は小町鼠色(こまちねずいろ)の細い縞の紬を着て、真っ白な足袋を履き、片襷に前掛け姿で、鍋いっぱいに沸かした湯から、白くて丸い団子を引き上げているところだった。 「大川(おおかわ=隅田川)の河川敷にいた子供に選んでもらったよ」 舟而は白帆に向かって、三本の薄を小さく振って見せた。 「まあ! 王様の馬の尻尾みたよな、きれいな薄ですね。日頃からその場所で遊び慣れている子供たちの方が、いいものを知ってます」 ボウルに張った水の中へ団子を泳がせながら、白帆は切れ長な目を細めた。 「まったくだね。大きくて平らな石の置き場所も、小刀の隠し場所も、全部決まっているようだった」  舟而は茶箪笥の一番下から粉引の花瓶を、引き出しから花鋏を取り出して流しの前に立つと、白帆の隣で花鋏を手に、考え考え三本の薄をいける。  しかし考えれば考えるほど、薄の茎は短くなり、穂は花瓶の口に近付いていって、舟而はちらりと白帆を見た。  白帆の手は、水を切った団子を団扇であおいで、照りを出している最中だったが、目は舟而の方を向き、子供の工作を見守る母親のように口を開きかけては飲み込むのを繰り返していたので、すぐに視線がぶつかった。 「団子をあおぐのと、薄をいけるの、交替してくれないか? このままじゃ、薄が水草になる」 「ふふっ、かしこまりました」 白帆は団扇を舟而に差し出し、代わりに花鋏を受け取った。  三本の薄は白帆の手に渡ると、急にしっとりとした艶を持ち始め、主役となる一本がしっかりと真ん中に立ち、隣に脇役が添えられ、最後に二本の間を取り持つ一本がいけられた。 「見事なもんだ」 「いけばな白帆流にござりまする」 うやうやしくお辞儀をしてから、白帆はちょいと肩を竦めて笑った。  夕食を済ませ、銭湯で互いの背中を流して帰ってくると、ほぼ満月に近い月が高いところまで上がっていた。  二人は濡れ縁に薄と団子を持ち出し、さらに白帆は 「月見酒はいかがですか」 と、盆に載せた徳利と、平型の盃を持ち出した。 「ああ、いいね」  白帆に酒を注いでもらうと、白い盃の中に月の光が映ってゆらゆら揺れる。舟而は揺れる月ごと酒を口に含んだ。 「きれいな月ですねぇ」  白帆は月を見上げ、舞台に立つ先輩役者に憧れるような声を出した。 「ああ」  舟而は静かに深呼吸して、濡れ縁に置かれた白帆の手にそっと自分の手を重ねた。 「ふふっ、先生の手は温かです」 振り返った白帆はそれだけ言うと、また夜空へ視線を戻した。  白帆は月を見上げているが、舟而は白帆の瞳に映る月を見た。 「お前さんの澄み切った漆黒の瞳に浮かぶ月のほうが、空に浮かぶ月より美しい。……なんて臆面もなく言えたら、苦労はしないんだよな」 口の中だけで呟いた言葉を酒と共に飲み込む。 「ねぇ、先生。月っていうのは、温かいんでしょか、冷たいんでしょか。私、触ってみたいです」  白い足袋を履いた足を揺らしながら、白帆は翳りのない明るい声のまま話し続けた。 「未来には、月に手が届く人もいるんでしょかね。触ってみる人もいるんでしょか」 「月へ行きたいのかい?」 「ええ、行ってみたいです。ねぇ先生、連れて行ってください」 舟而は盃に浮かぶ月を一息に飲み、呟いた。 「月にも上る心地にだけなら、今すぐにでもしてやれるけど」 「まあっ、本当ですか?」 おかっぱの黒髪を広げて振り返った白帆と目が合って、舟而の方が目を逸らす。 「んー、そう無邪気に喜ばれると、僕としては大層後ろめたい」  白帆は首を傾げ、舟而は手酌で注いだ酒を口に含むと、白帆の肩を抱き寄せて、口から口へと酒を移した。 「……ン…………っ」  飲み込み切れずに零した酒を、舟而は首筋から顎を経て口の端まで、そっと舌先で舐めてやった。  白帆は自ら顎を上げて喉を晒し、舟而の舌が辿る間、腕の中で小さく身体を震わせていた。 「寝間へ行って、一緒に月へ上るような気持ちになるかい?」 耳に唇を触れさせながら問うと、白帆は身体の力を抜いて舟而の胸にもたれかかり、それから急に声を上げて、背筋を伸ばした。 「あっ!」 「どうしたんだい?」 「お団子! 硬くなる前に食べたいんです。月へ行くのは、お団子を食べてからでもいいですか?!」 舟而は目を丸くして、それから弾けるように笑った。 「月までは長旅になるから、しっかり腹拵えをしておくといいよ。あせらず、ゆっくり食べなさい」 団子をひとくち頬張るごとに笑顔になる白帆を見ながら、舟而は目を弓形に細めた。 「月を見るより、白帆を見ている方が面白い。ずっとずっと見てやろう」

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