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秋の味覚
「桃栗三年柿八年という言葉通りだな」
舟而は上野松木町の庭に出て、栗の木を見上げた。
あれだけ色気のある演技をするくせに、舞台を降りたら色気より食い気な白帆のために、庭には食べられる実をつける木ばかりを植えた。
吾妻橋の向こうの借家から越してきて三年。言い慣わされた通りに実をつけた栗の木である。
「初めて実をつけたのに、こんなに大きくて立派です」
一緒に庭に出た白帆も、履いた庭下駄の歯で、毬 をそっと左右に割り開き、露出した雫型の栗へ手を伸ばした。
「痛っ」
白帆が驚いて指先を引っ込めたのと同時に、通用口の木戸が開いて、隣の銀杏 家から門人たちがなだれ込んできた。
「お嬢様っ! 栗なんて触っちゃいけません!」
「嫌っ! 私は渋皮煮が食べたいのっ!」
「でしたらこちらでお待ちくださいっ」
白帆は抱え上げられ、濡れ縁に座らされてしまい、その代わりに門人たちが一斉に栗拾いを始めた。
「あ、三つ栗だ! 見ろよ、真ん中の栗はこんなに平べったいぞ!」
「やあ、これは大きくていい栗だ!」
「いてっ! 上から降って来た!」
「お前の頭を仲間だと思って、寄って来たんだろ」
門人たちは満面の笑みを浮かべ、声を弾ませて栗を拾っている。
濡れ縁に座らされた白帆の頬は自然に膨らみ、赤い唇が尖っていった。
舟而が隣に腰掛け、指先で白帆の頬を突くと、タイヤのパンクするような音と共に空気が抜ける。
「私は子供じゃありません」
「ああ。わかってる。お前さんは二十歳。立派な大人だ」
「栗拾いくらい、自分でできます」
「知ってるよ」
「私も栗拾いがしたいです」
白帆の頬はまたぷうっと膨らんだ。舟而はこみ上げてくる笑いを拳で隠し、白帆のおかっぱ頭をぽんぽんと撫でた。
「栗は煮てくれないのい?」
「え?」
振り向く白帆に、舟而は目を弓形に細めて笑い掛けた。
「僕は栗の渋皮煮が食べたい。栗拾いの代わりに、栗を煮てくれないか」
「は、はい……?」
「栗は誰にでも拾えるし、鬼皮を剥くこともできるけど、僕の好きな味に料れるのは、日本広しと言えども、お前さんただ一人だ。僕の好きなように甘く煮ておくれ」
白帆はたちまち笑顔になった。
「はい! 先生も甘党でらっしゃいますもんね。お砂糖を奢って甘ぁく煮ますねっ」
舟而は何も言わず、ただ目を弓形に細めた。
「お嬢様っ! 鬼皮を剥くなんて危ないです! 包丁が滑って指を怪我したら一大事です!」
案の定、門人たちが大騒ぎして、白帆はまな板から遠ざけられたが、舟而がもう一度
「味付けはお前さんにしかできないよ」
と耳元で囁くと、白帆は自分の頬を両手で挟みながら、耳を赤くして頷いた。
鬼皮を剥いた門人たちが帰っていくと、白帆は鍋一杯の栗を三回も茹でこぼし、表面を歯ブラシで磨いて丹念に産毛を取り除いてから、ザラメ糖の壺を取り出した。
大きな匙を壺の中へ差し入れては、ザラメ糖を掬って鍋の中へ、ざらざら、ざらざらと入れていく。
台所の隅に置かれた椅子に座り、組んだ脚の膝を両手で抱えて、白帆の様子を眺めていたが、匙が五往復を超えたあたりで舟而は立ち上がり、白帆の隣へ立った。
白帆は澄んだ声で楽しそうに歌を歌いながら、さらにザラメ糖を追加していく。
「一体、どれだけ入れるんだい?」
「この栗の量でしたら、匙で二十杯ほど」
「にっ……二十杯……?」
「先生は甘い物がお好きですもの」
切れ長な目を細められては、言い返せない。舟而は一掬いのザラメ糖の量がなるべく少なくなることを祈りながら、心の中で二十まで数えた。
「おまけでもうひと匙っ!」
白帆の弾んだ声に目の前が暗くなる。
「にじゅういち……」
「先生、甘いのお好きでしょ?」
「あ、ああ……」
台所一杯に甘い香りが漂うので、舟而はそっと書斎へ逃げた。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けて、赤と黄色の葉が乗ったブランコに目を休めつつ、原稿用紙へ向かっていると、白帆が襖を開けて入って来た。
小鉢を片手に舟而の隣へ滑り込むようにして座ると、とろりと透き通ったシラップをまとう渋皮煮を指でつまんで、舟而の口の前に差し出した。
「先生、煮えました。はい、あーん!」
舟而は素直に口を開け、白帆の指ごと渋皮煮を口に含む。大きな渋皮煮は頬に寄せ、白帆の指へ舌を絡めて、シラップを残らず舐めた。
「ふふっ、くすぐったい」
白帆は肩を竦め、切れ長な目を細めて笑う。
舟而は白帆が持つ小鉢から渋皮煮を取り上げて、赤い唇の中へ押し込むと、シラップで塗れた唇へ自分の唇を押し付けて、甘いシラップと赤い唇を同時に口の中へ吸って味わった。
「うん、甘い。美味しいよ」
「先生ったら、本当に甘い物がお好きなんだから」
頬を染め、白帆は舟而の肩へ寄りかかって来る。
「ああ、僕は甘い物が大好きなんだ」
舟而は白帆を腕の中へ抱き締め、おかっぱの黒髪に顔を埋めた。
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