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おおつごもり

 上野松木町の家へ越して、銀杏家の隣で迎える年の瀬は賑やかだ。  何日も前から大掃除だ、門松だとせわしなく、大晦日も朝から、「お煮しめです」「到来物の数の子よ」「新巻鮭を捌きましたから、どうぞ」「酒はどうだい? 先生は飲めるんだろう、置いてくよ」などとひっきりなしで、さらには猫の餡子までが廊下を突然走り回る。 「用件は一つにまとめて、持ってきてくれればいいのに! 餡子もちょこまかしないで、猫なんだからじっとしてて!」 「ぶにゃー」  姉さんかぶりに片襷の白帆は、菜箸を持ったまま両手を腰にあて、頬を膨らませて餡子を睨む。 「まぁまぁ、そう言うなよ。猫には猫の都合ってものがあるんだから」  苦笑した舟而が白帆の肩に手を回し、そっと唇を重ね、白帆の口許にふわりと笑みが戻りかけたが、 「のし餅、お持ちしました!」 と勝手口のドアが開いて、白帆は舟而を突き飛ばした。  のし餅は、家長自ら包丁を持って切り分けるのが、この辺りの風習で、白帆が粉を振り、さらに切り口にまぶすための粉をバットへ入れて控えるところへ、舟而が包丁を升目に入れる。 「うーん、まだ柔らかいから難しいな」 自分の技量を餅のせいにするのも、この辺りの家ではよく見られる光景で、白帆はにこやかに切り分けた餅を引き受ける。 「ありがとうござんした。あとは私が致します。お寒いでしょう。手を洗って、早くおこたへいらして下さいまし。風邪をひいたら大変です」 「お前さんだって、寒いだろう」 「私は火の前に立っておりますから」 出汁をひいた鍋に、椎茸が浮き沈みする。 「うむ……」 「お雑煮の椎茸も縁起物でございますから、ね?」 舟而は唇を突き出したまま、不承不承頷いて、白帆は切れ長な目を細めてその突き出された口に自分の唇を触れさせた。 「餡子、ご飯だよ」 「にゃーん」  餡子を最後に、ようやく勝手口の出入りが止んで、二人はゆっくり台所脇の内湯に浸かる。 「家中の忙しさを、お前さんが一手に引き受けたようだったな。お疲れさん」  脚の間に白帆を座らせ、化粧石鹸を泡立てた手で、耳の後ろから足の指の谷間まで、丹念に擦った。  白帆は目尻を赤く染め、ほうっと溜め息をついて、舟而の胸に寄りかかる。 「変な気持ちになったかい?」 「はい。だって……」 白帆は舟而の手で胸の粒を撫で回されるまま、甘ったるい吐息を赤い唇の隙間から漏らす。  自分の足の間の変化も隠さず、腰に触れる舟而の硬さに自ら擦り付けるような動きまでしながら、舟而の顔を見上げ、唇を差し出して接吻をねだった。  舟而も素直に応えて、白帆の唇に自分の唇を与え、差し込まれてきた舌も吸ってやる。 「ん……」 舟而が手探りで香油の瓶を掴んだとき、風呂場の窓から声がした。 「白帆ちゃーん! お風呂ぉ?」 「ひゃっ! はーい!」 「うわっ」 白帆は慌てて舟而から口を離し、舟而は香油の瓶を取り落として、すのこの上に派手な音を立てた。 「お蕎麦を届けに来たんだけどぉ!」 「え、お蕎麦っ?」 「そうよぉ、年越し蕎麦!」 「あ、あとでそっちに取りに行く!」 「ダメよ、そんなの。湯冷めして風邪引いちまうわ。ここから渡してもいい? 踏み台になるもの、ないかしらん」 「こんなところで受け取るの? ちょ、ちょっと待って!」 高い位置に据えた風呂場の窓から次兄の手がひらひらしている。  さすがに二人で身体を寄せ合い、男を変化させている姿は気まずい。  舟而は湯をかぶって石鹸を流し、風呂場から飛び出して寝間着を羽織り、勝手口から声を掛けた。 「ちい兄さん、僕が受け取ります。……はっくしょん!」 「あら、先生。お風呂上がり? 髪の毛、しっかり拭いた方がよくってよ。雫が垂れてるわ」 懐から出した手拭いで毛先を拭ってくれてから、経木の箱に入った打ちたての蕎麦を渡してくれた。 「信州生まれの子が、郷から送ってもらった蕎麦粉で打ったの。毎年評判なのよ」 「ありがとうございます。よいお年を」 「ふふっ、そうね。よいお年を。来年も白帆ちゃんをお願いね」 「もちろんです」 小指を差し出されて戸惑ったが、最初は睨みつけられていたことを思えば大躍進だ。舟而は素直に自分の小指を絡め、一緒に揺すった。 「白帆ちゃんを泣かせたら、本当に針千本飲ますからね」 白帆と同じ美しい笑顔を見せながら低い声でそう唸って、次兄はひらひらと手を振って銀杏家へ帰って行った。 「やれやれ」  改めて湯船で身体を温め、寝間着の上に綿入れ半纏を羽織って台所へ行くと、白帆が年越し蕎麦の準備をしていた。  江戸特有の色の濃い汁を煮立て、焼いた鴨肉と長葱を入れて軽く煮て、丼によそってから、茹でて流水で締めた蕎麦と小松菜、蒲鉾をあしらう。 「銀杏家風の年越し蕎麦です。鴨が葱を背負ってくるように、都合の良いことが向こうからやってきますように」 「本当にそんな願掛けをしているのかい」 「毎年、頑なに鴨と葱を入れてるところを見ますと、本気なのかも知れません」 白帆は笑いながら炬燵の上に蕎麦を並べた。 「今年もいろいろあったなぁ」 「さよですね。でも、先生も私も元気で、お仕事やお役を約束通りに勤めることができて、よかったと思います」 白帆はにっこり笑って、蕎麦を啜った。 「今年もお前さんと一緒にいることができた。来年も僕と一緒にいてくれるかい?」 「もちろんでございますとも」 「そうかい。それはよかった」 「そんなの、当たり前じゃござんせんか」 「うん、まぁそう言い合って一緒にいる訳だけれども、死ぬまでなんて約束は遠すぎるからね、ときどきはこうやって約束を取り出してみて、確かめることも必要なように思うんだ」 「約束も煤払いが必要なんですね」 「ああ、そうさ。風呂で白帆の煤を払ったら、約束の煤も払って、これでようやく落ち着いた気持ちで新年を迎えられるという訳さ」 「除夜の鐘で心の煤もしっかり払って、また一年間、お願い致します」  白帆は蕎麦を食べる手を止めて、舟而に向かって姿勢を正し、畳の上に手をついた。 「こちらこそ、頼むよ」  互いに頭を下げたとき、近くの寺から鐘の音が届いた。 「煩悩を払っているそばから、なんだけど」  舟而は弓型に目を細め、白帆の手を覆うように握ると、ゆっくり顔を近づけて唇を重ねた。

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