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第117話
受付から、控え室の教室へ案内された。
「順番が近くなったらお呼びしますので、それまではこちらでお待ちください」
「はい。ありがとうございます」
一礼して教室の中を見回すと、すぐ遥の姿に気づいて片手を上げた人物がいた。
筆記試験で同じ机を共有したハシバミ色の瞳を持つ青年の姿に、遥は人懐っこく寄っていって、隣に座った。
「ごぎげんよう、兄嫁合格弁当さん」
遥の挨拶に苦笑して、受験票を名刺のようにかしこまって差し出した。
「俺はこういう者です」
遥は受験票をまじまじと見つめ、ゆっくり首を傾げた。
「シガツツイタチ、さん?」
「ワタヌキって読むんだ」
受験票の氏名欄に『四月一日 力哉 』と書かれていた。
「四月一日と書いて、ワタヌキって読む、そういう名字なんだ」
「初めてお目にかかる名字ですのん」
「珍しいけど、たまにいるよ。暖かくなってきて着物から綿を抜くから、ワタヌキって読ませるらしい」
「なるほど、勉強になりますのん。……あ、渡辺遥ラファエルですのーん。ファーストネームとミドルネームがくっついちゃってますけど、日本の家族や友人や先生は遥って呼んでくれてますのん」
受験票を見せながら自己紹介をして、ぺこりと頭を下げた。
「俺も遥って呼んでいい?」
「どうぞなのん」
遥がバラ色の頬を持ち上げて笑ったとき、係員に呼ばれた。
「受験番号1110番、四月一日力哉さん、①番のお部屋の前でお待ちください。受験番号1111番、渡辺遥ラファエルさん、③番のお部屋の前でお待ちください」
言われたとおりに移動し、廊下に置かれたパイプ椅子に座って、自作の想定問答集を思い返す。
「体力に自信はありますか? ……はい。兄と二人でこまめに運動をするよう、心掛けています。嘘じゃないわ、ホントよー!」
口の中でぶつぶつと練習をしていたら、面接室の中から怒声が聞こえてきた。
「失礼しますっ!」
力強い音とともにドアが開いて、セーラー服姿の女性が目を赤くして飛び出してきた。
「圧迫面接にも程がありますっ! この内容はSNSで拡散しますっ!」
驚いて顔を上げた遥と一瞬だけ目が合ったが、女子生徒は涙がこぼれるより先に踵を返し、自分の荷物を抱えて、そのまま早足で校舎から出て行ってしまった。
「や、やーん……。遥ちゃん、ビビってきたわー。気持ちよくない意地悪は嫌いなのん。……でもでも圧迫感の感じ方は人それぞれなのよ。……落ち着いて、遥ちゃん。同じ質問でも、遥ちゃんには痛くも痒くもないかもかもなのん」
肩に力を入れ、脱力し、しっかり息を吐き出して深呼吸をした。
「次の方、どうぞ」
係員の女性に促されて、遥は立ち上がると同時にジャケットの第一ボタンを留めて、もう一度深呼吸をしてから、ドアをノックした。
「はい、どうぞ」
「失礼致します!」
ドアを開けてみると、会議用の長机を二台並べたところへ、横一列に四人の男性が座っていた。一番若いと思われる如月が出入口に近い端の席に座り、遥に向かって手で椅子の位置まで誘導する仕草をして、遥は素直に椅子の横に立つ。
如月は遥と目が合っても顔色一つ変えず、むしろ遥の立ち居振る舞いを誰よりも厳しい目で見ていた。
「では、受験番号とお名前をフルネームでおっしゃってください」
如月に深みのある声で促され、遥は頷いた。
「受験番号1111番、渡辺遥ラファエルです。よろしくお願い致します」
両手の指はしっかり伸ばして体側に、背筋を伸ばし、四十五度の角度でお辞儀をすると、一番年長者と思われる白髪頭の男性が、老眼鏡のフレームの上から遥を見た。
「はいはい、こちらこそ、よろしくお願いします。元気がいいねぇ。……あ、どうぞ座って」
話し方は気さくだが、遥が椅子に座る一挙手一投足は、しっかりと目で追っていた。
「何か、習い事をしてるのかな?」
「茶道を習っております。まだ始めて一年ですが」
「ああ、それで所作がきれいなんだね。確かに趣味・特技の欄に茶道、料理と書いてあるね。……茶道は楽しいかい?」
「はい、楽しいです! 一服のお茶を通じて心を通わせる静かな時間が好きです。あと、静かな茶室で聴く音もいいです。茶釜の中でお湯が沸く音や、お茶を点てる音もいいですし、人が静かに物を食べたり、飲んだりする音は、セクシーで好きです」
「セクシーねぇ」
「あ、不適切な表現でしたら、取り消します」
「いやいや、いいよ。大人びたことを言うと思っただけだ。だからって、無理に子どもらしく振舞おうなどと思う必要もないよ。本来のあなたという人がどういう人なのかを、私は見せて頂きたいからね」
「はい」
遥は笑顔を浮かべ、素直に頷いた。
「さて、いくつか質問をさせてもらいましょう。まずは志望動機からいこうか。当大学の医学部を志望された理由を教えてください」
「先生方はすでに何度も同じ回答をお聞きになっていると思いますが、私も多分に漏れず、身内が世話になった主治医の先生の姿に憧れ、医師になりたいと思って、医学部を志望しています」
「たしかに何度も聞いている答えだな」
自分の耳の端を人差し指の爪でぱりぱり掻きながら、最年長の先生は笑った。
「その先生のように、病気を診るだけではなく、患者の生き方を尊重しながら治療ができる、手だけではなく心も尽くせる医師になりたいと思っています。そのためにもぜひ貴校の人間力のある医師を育てるという教育に、自分を加えていただきたいと思って、志望いたしました」
最年長の面接官は頷きながら遥の話を聞き、手許の書類に何かを書き込む。
その後も想定問答集の範囲内で、和やかに面接は進められ、最年長の面接官がほかの三人を見回しながら言った。
「先生方、ほかに何かございますか」
筋書き通りなのか、違うのかはわからないが、如月が軽く手を挙げた。
「理想の医師像は伺った。患者の生き方を尊重するなどと、大層ご立派なことをずいぶん安易に口にする。もし患者に死にたいと言われたら、殺すのか」
「いいえ。死にたい気持ちの奥底には、必ず生きたい気持ちがあると思うので、表面的な言葉に惑わされず、まずはお話を伺い、死にたいと思う原因を探って対処したいです。……申し訳ありません、まだズブの素人である私には、この答えが精一杯です」
「あなたは、死を考えるほど絶望したことはあるか?」
「いいえ。絶望というのは、心理的に視野が狭くなって、手段が思いつかない状況を指すと思うのですが、今までは必ずどこかから救いの手が差し伸べられて、知恵をさずけて頂けました」
「具体例を一つ」
「特待生になれとアドバイスを頂きました」
遥の答えに如月は苦笑し、「私からは以上です」と話を切り上げて、面接は終わった。
「ふうむ。如月の絶望って何なのか、聞いてみたかったわー」
黒いナイロンのビジネスバッグを手に大学を出て、コインパーキングに見慣れたスポーツカーを見つけた。
「あ、遥、駅まで一緒に……」
背後から追いかけてきた四月一日に手を振って、遥はスポーツカーの助手席に乗り込んだ。
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