123 / 191

第123話

「はあっ。遥ちゃんには困ったものよなのん。いっぱいあーんってなっちゃったわ。超、超、えっちっちーな子なのよー」 稜而の胸にくったりともたれながら、遥は呟く。 「えっちっちーな遥も、俺は大好き。もっといかせてあげたいな」 稜而は目を弓形に細めると、再びスイッチを押し、ダイヤルを動かした。 「ひゃああああっ!」  遥は再び稜而にしがみつき、稜而はリモコンを手に、遥を翻弄し、絶頂させた。  観覧車を降りる頃には、遥の足許はふわふわと覚束なくなっていて、稜而がしゃがんで向けた背中に倒れ込み、そのまま背負ってもらって夜の公園を進む。 「遥ちゃん、やばいわ。すっごい興奮しちゃったのん……」 稜而の耳元で、遥はため息交じりに呟いた。 「楽しめたなら、よかった。デートに誘った甲斐がある」  稜而は爽やかな笑顔で歩き続ける。 「でもでも遥ちゃんばっかり、あーんってなっちゃって、稜而は全然気持ちよくなかったはずよ」 「たくさん抱きついてもらえたし、可愛い姿もたくさん見れて、楽しかったよ」 遥は稜而の耳に甘く囁いた。 「今度は稜而をあーん♡ ってさせるのよ」 「楽しみにしてる。……いいな、遥と一緒だと、楽しみなことがたくさんある」 「そんなにたくさんあるかしら? 月曜日のお弁当は、お土産に買って帰るシュウマイを詰めるだけよ」 「遥が手渡してくれる弁当なら、何でも楽しみ。でもそういう直近のことだけではなくて、いつか一緒に病院で働けるかも知れないとか、老後に一緒に日向ぼっこをして過ごせるかも知れないとか、そういう楽しみ。死ぬまでの毎日全部が楽しみに思えて。……うん、俺は遥と将来を誓いあってよかった」  前を見て笑う稜而の頬に、遥は心を込めてキスをした。 「あーん、ドキドキするのん……」  遥は大学の正面玄関に設置された掲示板の前で、受験票を握って、合格発表を待っていた。 「遥ちゃん、深呼吸するのよ。ひっひっふー、ひっひっふー」 深呼吸を繰り返していると、スーツ姿の男性が現れて、午前一〇時きっかりに一枚の白い紙を掲示板へ貼りだした。 「若干名って、少ないのん……」 大きな文字で書かれた受験番号は、たった二人。 「1111番、あったのーん!」  遥は口の中で小さく叫び、携帯のカメラで受験票と一緒に証拠写真を撮って、真っ先に稜而へ送った。  数分もしないうちに、『おめでとう。今までの努力が実ってよかった。愛してる』と返信が届く。 「今日の午前は外来診察なのに、合間にお返事をくれたんだわ。愛してるのん」 携帯をきゅっと胸に抱き締めてから、入学手続きの書類を受け取った。 「書ける書類はこの場で書いて提出してよくて、あとはお金を振り込んで、それから……」 建物の隅でグレーの大きな封筒の中を覗いていると、肩を叩かれた。  振り返るとハシバミ色の瞳が細められていた。 「兄嫁合格弁当のシガツツイタチと書いてワタヌキくん!」 「合格したんだね、おめでとう」 「ありがとうなのん。四月一日(わたぬき)くんは?」 「合格したよ。どうぞよろしく」 「わー、合格おめでとう! よろしくなのーん」 遥は若草色の目を細め、ドレンチェリーのように真っ赤な唇を左右に引き、四月一日が笑顔を返して口を開く。 「遥、駅まで一緒に……」  しかし遥は握手していた手を離し、「ごきげんよう!」と言うと、四月一日の横をすり抜けて走り出した。 「如月ーっ! 受かったーっ!」 立ち止まり、振り返った如月の背中にぴょんっと飛びつき、二人はそのまま研究室へ向かうエレベーターに乗り込んだ。 「特待生はどうだった?」  如月の問いに、遥はするする背中を降りて、封筒の中をのぞき込む。 「どこを見たらわかるのん?」 「合格通知に、特待生の選考結果も書いてあるだろう」 「ふむ。……おおおおお、『入学後、第一種特待奨学生として採用致します』って書いてあるのーーーん! 入学金と授業料免除おおおおお! 今日のお昼は、如月のおごりでくるくる寿司なのよーーー!!!」 「昼休み中に、わざわざ駅ビルと大学を往復しろってか」 「今日の如月は三限空いてるのん! 昼休みプラス九〇分あるわよー!」 「なんで知ってる」 「研究室のデスクマットの下に、時間割が貼ってあるのん」 「目敏い奴」 「二限を聴講しながら待っててあげるから、行きましょうなのよー」 「聴くからには、レポート出せよ」 「アイアイサー! 三日以内にメールで送るのん」 「ふざけるな、学部生を対象にした一般講義のレポートくらい、その場で提出しろ。寿司食いながら、レポートをもとに口頭試問してやる」 「もー。寿司食いながら発生学の口頭試問なんて、せっかくのお寿司が精液の味になっちゃうのよー」 「好きな味だろ」 「稜而のだけはね。愛と性欲と勢いがなきゃ飲めないわー。♪はるかのー、あついてでー、りょうじー、しごくのよー! はるかーのてーだけーでー、いってーしまーうーのー♪」 研究室の机の上に座ると、遥は携帯を取り出した。 「お父さんとー、ママンとー、じいじとー、ばあばとー、ミコ叔母さんとー、大地さんとー。おじいちゃんとレオはフランス語でー。クレモンはひらがなでー」 合格発表の記念写真を添付し、リストアップした人に宛てて、それぞれ心を込めてメッセージを送った。 「はぁ。お父さんは、本当にいい人なのよ。息子の嫁が息子だなんて面倒を背負わせちゃって、本当に申し訳ないわー」 返ってきたメッセージを読み、目尻の涙を親指の腹で拭う。 「ああっ、クレモン! 見て、如月。クレモンがひらがなで画用紙にメッセージを書いてくれたわ。『ごうかくおめでとう』って。『おいしゃさんになってね!』なんて書かれたら、なるしかないのん」 クレモンが画用紙を持って笑う姿を写した写真が送られてきて、遥はぐずぐずと鼻をすする。 「あー! ミコ叔母さんんんんん、ありがとうなのよー! 今日のお稽古もちゃんと行きますのーん!!!」 遥は次々に届くメッセージに涙ぐんでいたが、じいじからの返信を見るなり、携帯を握り締め、膝を抱えた。 「どうした」  如月が見た画面には、ベッドの上に寝て酸素マスクを口にあて、男の子の金色の巻き髪を撫でる男性と、ベッドの上に座って、男性の胸におもちゃの聴診器をあて、真っ直ぐな目をして唇を引き結ぶ、天使のような男の子の姿が写っていた。  如月はまだ火をつけていないタバコを口の端に引っ掛けたまま、遥のミルクティ色の巻き髪をぽんぽんと撫でた。 「こっちも気合い入れて育ててやるから、お前もしっかり育てよ」  遥は膝のあいだに顔を埋めたまま、しっかりと頷いた。

ともだちにシェアしよう!