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第125話

「続きまして、入学生宣誓。入学生総代、医学部医学科、渡辺遥ラファエルさん」 「はい」 ミルクティ色の髪をハーフアップに結い、細い身体にウエストを絞った濃紺のスリーピースを着た遥は、すらりと長い手足を美しく動かして壇上へ上がって行った。  所定の場所で折り目正しく一礼し、何ら臆することなく学長の前に立つと、落ち着いた所作で奉書紙を広げた。  マイクに乗って、講堂全体に遥の明るく澄んだ声が響き渡る。 「若葉萌えいづるこの佳き日、私たち医学部医学科一〇二名、看護学科八八名は、甘木医科大学へ入学致しました。本日は、私たち入学生のために、厳粛かつ盛大な入学宣誓式を執り行っていただき、心より感謝申し上げます。……」 ほんの数ヶ月前まで熾烈な競争を繰り返し、数少ない医学部の椅子に座った学生たちは、総代という言葉にやや過敏な反応を示す。しかし遥は、嫉妬と羨望と好奇が混じった視線を一身に受けながら、朗らかに宣誓文を読み続けた。 「大した度胸と根性だ」 教員席に座る如月は小さく苦笑し、終わると拍手をした。  入学式終了後は各クラスへ移動する。学科、学年、学籍番号順で、遥はM1-5クラスに振り分けられた。 「入学生総代、カッコよかった。お疲れ様」 ハシバミ色の目を向けられて、遥も若草色の瞳を細める。 「あらーん、兄嫁合格弁当シガツツイタチと書いてワタヌキくん、ごきげんよう!」 「今日、昼までだろ。終わったらメシでも……」 そのとき教室のドアが開いて、如月が顔を出した。 「誰でもいいから四人、学務課まで一緒に来てくれ」 誰でもいいと言いながら、天地幅の狭いスクエアフレームの向こうの目はしっかり遥を見ていて、遥も素直に立ち上がる。 「はーい。四月一日(わたぬき)、一緒に行こ。あと二人誰かー! あ、一緒に行こ、行こ」 すぐ近くにいた、一目で一卵性双生児と分かる女子二人を連れて教室を出た。 「入学おめでとうねー! 俺は渡辺遥ラファエル。遥ちゃんって呼んで」 姉妹に人懐っこく話しかけると、ストレートのボブカットの女子が、しっかり頷いた。 「私は渡部(わたなべ)さつき。こっちが双子の妹のメイ」 紹介されて、全く同じ背格好と同じ顔つきをした、パーマヘアの女子がニッコリ笑った。 「さつきちゃんとメイちゃん! 二人とも可愛いお名前! 五月生まれ?」 「そう。それで当時小学生だった兄貴が『さつきとメイがいい』って言って、決まったんだって」 「お兄さん、ネーミングセンスいいね。超、可愛いよ。四月一日(わたぬき)も名字にインパクトがあっていいなって思う」 「よく誕生日も四月一日? って言われるけど、全然違うから」 四月一日の言葉に皆で小さく笑う。 「如月先生は、苗字の通りに二月生まれなんですよねー?」 先を歩く如月に遥は明るい声で話しかけたが、如月はちらりと振り返って顎を上げるように頷いただけだった。  封筒に入った資料をさつきとメイは四セットずつ、遥と四月一日は「まだ全然余裕。いいよ、こっちに載せて」と、男の腕力で六セット抱えて教室へ引き返す。 「大学のクラスって、卒業までずっと同じクラスなんだよね。クラスコンパ、やりたくない?」 四月一日が提案すると、さつきとメイが笑顔で頷いた。 「いいね、クラスコンパやりたーい」 「ごめん、クラスコンパって何?」 遥が首を傾げると、「クラスの飲み会」と教えられた。 「飲み会? 『コンパ』って言葉はどこから来て、どこへ行っちゃったのん?」 「『コミュニケーションパーティー』を略して『コンパ』と言うらしい」 学生証の束を手に歩く如月の言葉に、学生たちは全員目を丸くした。 「初めて知った!」 「コミュニケーションパーティー、楽しそうなのん。やりましょ、やりましょなのよ。で、どうやるのん?」 「大抵、居酒屋だよな」 「私たち、まだバイトしてないから、予算は低め設定がいいなぁ」 「♪クラスコーンーパのよさーんはー、まだみんな、すくないの、きっといーまは、きさらぎが、だしてくれーるはずー♪」 「いきなり俺の財布を狙うのか」 如月はスクエアフレームの向こうから、ぎろりと遥を睨む。四月一日と渡部姉妹は呼吸を止めたが、遥はニコニコしていた。 「出世したら倍にして返しますのーん」 「俺は、そういう言葉は絶対に忘れないぞ」 「おーいえー!」 遥は封筒を六セット抱えたまま、ぴょんぴょん飛び跳ねた。 「せんせー、皆にクラスコンパを提案する時間、くださいなー!」 「お前がクラス役員を引き受けるなら、時間をやってもいい」 「いえっさー! クラス役員、がんばりますのーん!」  遥たちが封筒を配るあいだ、如月は教壇の上の椅子に座って足を組み、一人ずつ名前を呼んで、顔と名前と生年月日を確認しながら、学生証を配布した。 「渡辺遥ラファエル」 遥も呼ばれて教卓の前へ行くと、如月はニヤリと笑う。 「約束だったな。『入学おめでとう』」 「ふふっ、ありがとうございますですのん!」 如月に出会ったオープンキャンパスの日、大学生協で撮影して提出した、入学願書と同じ写真が刷り込まれた学生証を受け取った。  四月一日が最後に呼ばれて学生証を受け取って席に戻ると、如月は教室全体を見渡す。 「皆さん、ご入学おめでとう。M1-5クラスを担任します、如月潤です。この大学では発生学の授業を受け持っていて、研究テーマは生殖発生。話せる範囲だと、ショウジョウバエの(らん)を観察したり、製薬会社と共同で医薬品開発時の毒性試験の検査方法を検討したりしています。研究室は十二階の給湯室の隣。研究日は火曜日と水曜日」 深みのある声だが、熱を感じさせない話し方をする。 「このクラスはM1-5。Mは医学科、Medical Courseの頭文字、1は学年、5がクラス番号だ」 「そういう意味なのん」 話を面白がる余裕があるのは遥だけだった。 「今までは誰かを蹴落とさなければ大学へ入学できなかったが、これからのテストは基準さえクリアすれば全員が合格できる。医学科の勉強量は多い。クラス内でコミュニケーションをとって、助け合って乗り越えるのも、方法の一つだと思う」 「それはそうね。クラス全員が六年後、一緒に国家試験に合格できたらいいんだわ」 小さな声でぶつぶつと納得していたら、如月が遥を見た。 「ということで、クラス役員の渡辺遥ラファエルから、クラスコンパの提案があるそうだ」  如月が場所を譲ると、遥は一度だけ若草色の瞳を瞬いたが、すぐにぴょんっと教卓の前に立った。 「はいはーい! ごきげんよう! クラス役員の渡辺遥ラファエルです。皆さん、ご入学おめでとうございまーす。オレも入学ありがとうございまーす。……さて、クラスコンパのご提案です! まだアルバイトしてなくて予算が少ない人もいると思うんですが、お金持ちな如月先生が出世払いって約束でいくらか支援してくれるので、楽しくやりましょー! 日にちなんですが……」  何の下準備もなかったのに、遥はすらすらと話を展開し、要点を板書し、クラスメイトから意見を吸い上げ、話がこじれないうちに決めつつ、不満も残さないように、軽い口調で皆を笑わせながら、話をまとめ上げていった。 「医者なんかにならなくても、もっといい仕事に就けるんじゃないか」 窓際に寄りかかって腕組みをしながら、如月は苦笑していた。

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