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第126話
「では、火曜日のガイダンス終了後にクラスコンパということで。何かあればいつでも遥ちゃんまで個チャくださいませー! ごきげんよう!」
解散して、次々に学生たちが教室から出て行く。遥は教卓の前で学生からの個別の質問に朗らかに答え、気にかかる学生は呼び止めて会話する。如月は教室の隅で回収した書類を黙々と整理していて、どちらが担任で、どちらがクラス役員かわからない光景だった。
さつきとメイも帰って行き、四月一日 だけが遥を待つ。
遥が自分の席に戻ってきて、まだ記入が終わっていなかった書類に急いで記入して如月へ手渡し、机の上に広げていた書類をナイロンのビジネスバッグへ突っ込んでいるところへ、四月一日はようやく声を掛けた。
「学食まだ休みだし、駅まで一緒に……」
そのとき、遥の胸元に使い込んだ革製の二つ折り財布が飛んできた。
「なんでもいい。強いて言うなら、パンよりコメ」
如月はそれだけ言うと、回収した書類の束を手に、教室から出て行ってしまった。
「ひゃっほー! 四月一日は、なに食べたい? 如月の奢りだから、なんでもいいのよー?」
財布の中身を確認しながら、遥は楽しそうな声を出す。
「どういうこと?」
「遥ちゃんも、わからないのん! 如月にこんなこと言われたのは初めてよ。でもでもパンよりコメが食べたいみたいだから、生協でご飯物を買って、研究室へ持って行けばいいんだと思うわー。……あ、附属病院の近くに住んでるのん」
勝手に運転免許証までチェックして、「怖い顔!」と笑いながら、建物内の大学生協へ向かう。
閑散とした売店を見回し、在庫の多い弁当コーナーを眺め渡すと、遥は暇そうなレジへ歩いて行った。
「すみません、如月先生がいつも買うお弁当って、どれですか?」
「如月先生なら、四川風麻婆丼か、パリジャンサンド。あとはたまごスープね」
陽気に笑うオバサンから返事をもらって、遥は迷わず四川風麻婆丼とたまごスープをカゴに入れた。
「もう少し野菜を食べたらいいと思うのよー」
ポテトサラダと野菜ジュースも追加して、遥はパリジャンサンドをカゴに入れる。
「四月一日は? お好きな物をどうぞなのよ。遥ちゃんの財布じゃないから、心配しなくていいのん」
「だからこそ心配っていうか。でも、じゃあ、ハンバーグ弁当。……っていうか、なんで? もともと如月先生と知り合いなの?」
遥は如月の財布で会計を済ませつつ、パタンと首を傾げる。
「遥ちゃんはオープンキャンパスの日に初めて如月に会って、ここは学費が高いから東大行くって言ったら、特待生になれって言われたから、特待生になったのん。如月にお目にかかるのは、今日でまだ五回目くらいかなと思うのよ」
「ずいぶん仲がいいんだね。遥と会ってる回数、俺とあまり変わらないよね?」
四月一日は肩を並べて遥の顔をのぞき込むが、遥は前を見たまま早足で歩く。
「そうだったかしらん?」
「一次の筆記試験の日と、二次の面接試験の日と、合格発表の日と、今日で四回目だよ」
遥の顔の前に指を四本立てて見せると、遥はドレンチェリーのように赤い唇を少しだけ尖らせた。
「ふうむ。じゃあ、相性と回数に関連はないってことなんだわ、きっと。初めてのセックスでも身も心も蕩けちゃうことってあるもの」
「ちょ、ちょっと待って、どういう意味?」
一瞬足を止めてしまった四月一日は、駆け足で一緒にエレベーターに乗り込んだ。
「十二階へ参りまーす! エレベーターボーイは、遥ちゃんでございまーす! ♪おさいふかかえた、はるかちゃん、おかいもーの! せいきょう、べんとう、はじめーてたべーるの! きさらぎまーぼーどーん! わたぬきハンバーグー! るーるるるるっるー はるかはパリジャンよー♪」
エレベーターを降り、るんたった、るんたったと研究室へ向かう遥の肩を四月一日が掴んだ。
「俺、邪魔なら帰るけど」
「どうしたのん? 散らかってて狭いけど、大丈夫なのよー!」
「で、でも、初めてでも……その……蕩けちゃうって」
首まで赤く染めている四月一日を見て、遥は手をパタパタ扇ぐように上下させつつ笑った。
「やーん、やっだーなのよー! 如月とセックスなんてありえないのん! 遥ちゃんのダーリンは稜而っていうのん! 遥ちゃんは妻です♡」
「二次試験の日に、車で迎えに来てた人?」
「あーん、キスシーンをお見せしちゃったみたいで、ごめんあそばせでしたのん! 王子様みたいにかっこいい人でしょでしょ?」
「ああ、うん」
「彼とは毎晩、めくるめく官能の時間を共に過ごしてますのよー!」
如月研究室のドアを開けるなり、遥はまた元気な声を出した。
「はあーい、あなた専用のティーチャーズペット、遥ちゃんよー!」
「ばーか。本当のティーチャーズペットは、もっと大人しく教師の言うことを聞く。お前はティーチャーズじゃじゃ馬だ」
「あらーん、遥ちゃんは、如月のフェラーリちゃんなのん! でもごめんなさいねー! 遥ちゃんのお口は上も下も稜而専用なのよー!」
顎の下に握りこぶしをくっつけ、若草色の目を潤ませて、ミルクティ色の髪を振ってみせるが、如月は手元のノートに視線を落としたまま、熱のない声でしゃべる。
「俺には右手があればそれでいい。セックスなんて気遣いばかり求められて、面倒臭いだけだ」
四月一日はあからさまな返答に一歩引いたが、遥はふむふむと頷いた。
「いいと思うわ。セックスに対する考え方は人それぞれよ。如月は魔法使いの道を極めんとされてるのね」
「残念ながら童貞じゃない。魔法使いになっていれば、今頃こんなところで頭を抱えていなくてもよかった! 畜生!」
バサッと実験ノートをデスクに叩きつけて、四川風麻婆丼へ手を伸ばし、遥の顔を睨む。
「お前、なぜこれを選んだ?」
「遥ちゃんのちょっとした機転と、簡単な聞き込み調査よー」
遥は目を閉じ顎を上げて、ふふんと言った。
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