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第147話-アルバイト編-

「遥ちゃん、髪は一つに結んでね」  還暦間近という女性にハキハキした口調で指示されて、遥は背筋を正して頷いた。 「はいなのん!」  遥はミントグリーンの前開きの上衣と、同じ色のスラックスのユニフォームを着て、鏡の前で髪を一つに束ねる。 「はい、じゃ、着いてきて。まずは地下二階のリネン室に行きましょう」 「はいなのーん!」 るんたった、るんたったとついて行った地下二階のリネン室は、壁一面に木製の棚が作りつけられ、さらに図書館のようにスチール棚が並んでいた。  木製の棚には掛布団や枕、マットレスなどの大物が積まれていて、スチール棚には、レンタルパジャマや、遥が手術を受けるときにも着た手術衣、シーツ、枕カバー、包布(ほうふ)などが積まれていた。 「先輩、白衣はないのん?」 「白衣は隣の白衣センターに置かれていて、クリーニング業者さんから届いた分は、ハンガーラックごとロッカールームへ運ぶの。その仕事は、もう少し慣れてきたら教えるわね」 「おーいえー! ステップアップ目指して頑張るのん。それにしても、お見事にぴしーってした布ばっかりなのん。アイロン掛け大変なんだわ、きっと」 「そうね。クリーニングは専門の業者さんに委託しているけど、大変だと思うわよ」 先輩のおばさんは遥の言葉に頷いてから、ドアに貼られた表示を見せた。 「ここは清潔区域。この部屋から一度出した布は、ぴしーっとしているように見えても、絶対にこの部屋へは戻してはいけないから、注意してね」 「おーいえー。一方通行、転回禁止なのん」 深く頷いていると、棚を指差された。 「遥ちゃん、カートの上の段に枕カバーと包布、二段目にシーツを載せましょう。六〇枚ずつね。あと防水シーツを十枚」 「先輩、ほうふって、何ですのん? 一年生になったら友だち一〇〇人作りたいです、ウチの小学校は全校生徒で八〇人しかいませんよ、先生も給食のおじさん・おばさんもお友だちになって一〇〇人です、みたいなことかしらん?」 「包む布と書いて、包布。掛け布団カバーのことよ」 「おーいえー! 包布! ♪あなたのたーめに、かけぶとんほうふ、こんやのほうふは、はなもようほうふ♪ 友だち一〇〇人煮込んじゃいますのーん」 遥は棚のあいだを銀色のカートを押して歩き、包布と書かれた棚の前に立った。 「十字に紐が掛かっているでしょう? 一締めが二〇枚だから、そのままカートへ移してね」 「六〇枚って、重たいのん! ぐぬぬっ!」 棚の上で三つの束を積み重ねた遥を、先輩のおばさんは慌てて制止する。 「やだ、遥ちゃん! いっぺんに持っちゃダメ! 腰を痛めるわよ。また患者さんに逆戻りしちゃう」 先輩のおばさんは、枕カバーを一締めずつカートへ積んでいった。 「にぃ、しぃ、ろく。よいしょ!」 「おーいえー、遥ちゃんも、にぃ、しぃ、ろく。よいしょなのーん!」 遥も包布をカートへ積んで、さらにシーツと防水シーツも積み込んだ。 「よくできました。病棟へ行くわよ」 先輩は防水の袋を掛けた回収用ワゴンをカラカラと押して、遥を先導する。 「レツゴーさんびきー! …………ぐっ? んぐぐっ!? 動き出すまで、ちょいと重いのん。♪リネーンおもいー、からーだじゅうかんじーてー、カート、おーしつづけたーいー、イン・ホスピタル♪」 足の裏で踏ん張り、ハンドルを両手で突っ張るようにして勢いをつけると、あとはするする動いて、二人は職員専用エレベーターに乗り込んだ。 「手術のときに乗ったのん。懐かしい景色だわー!」 銀色の殺風景な壁を見回していると、先輩が遥の足許を見た。 「遥ちゃん、もうすっかりよくなったの?」 「まだインプラントが入っていた跡地が埋まってないし、ボルトの穴も残ってるから、高いところからジャンプしたり、大きな負荷が掛かることはダメですのん。でも、日常生活は大丈夫ですのん。リネン交換のアルバイトはしていいよって、主治医の先生から許可もらってますのん」  エレベーターを下り、さらに自動ドアを出ると、見慣れた整形外科病棟の景色だった。 「あ、じゃあさーん!」 見慣れたナースに声を掛け手を振ると、『じゃあさん』と呼ばれたナースも手を振り返す。 「遥ちゃんってば、本当にリネン交換のアルバイトを始めたのねぇ。入院中、興味津々で見てたものねぇ」 「おーいえー! 病棟の皆さんのシーツをぴしーってするのん!」 「じゃあ、頑張ってね!」 「おーいえー! 不束者ですがよろしくお願い致しますでございますのん!」 手を振って別れると、先輩に小声で耳打ちされた。 「皆、仕事中だからね、ご挨拶は早めに切り上げましょう」 「は、はいなのん! 気をつけますのん!」 背筋を伸ばしていると、今度は背中に温かな手があてられて、隣に稜而が立った。 「兄貴ーっ!」 遥は満面の笑みを浮かべ、両手を顎の下で握りこぶしにして、ぴょんぴょん飛び跳ねた。 「仕事は順調? ユニフォーム、似合ってるよ。……弟がお世話になります。どうぞよろしくお願いします」 先輩のおばさんに向かって、稜而は丁寧な挨拶をし、スタッフステーションへ入って行く。 「遥ちゃん、俄然やる気になったんだわ! ますます頑張るのん!」 「よかったわ。一号室から順番にやって行きましょう」 先輩はストレッチャー置き場の隣にある回収用ワゴンと、自分が持ってきた空っぽの回収用ワゴンを交換する。 「もう洗濯物が入ってますのん」 「途中で看護師さんが交換してくれたシーツは、ここに入ってるのよ」 「おーいえー」 「先入れ、先出し!」 「さ、先入れ、先出し? い、いやーん♡ 昼間なのーん」  遥は両手で頬を挟んで肩を揺らしたが、先輩のおばさんは『リネン』と書かれた扉を開ける。 「この棚の中に入れてある予備をワゴンに移して、新しい予備をこの棚の中へ入れるの。先に入れたものを、先に使うようにして、棚の中にリネンが置きっぱなしにならないようにね」 「あらーん。遥ちゃんったら……。一人で変なこと考えちゃったんだわー」 一人でそっと頬を赤くして、遥は棚の中の予備を取り出し、扉の裏側に貼られている在庫枚数を見ながら、新しい予備を数えて棚に入れて、満足げに腰に手を当てた。 「遥ちゃん、大変なのはこれからよ。さぁ、病室を回るわよ!」 「おーいえー!」  遥は右の拳を突き上げ、その瞬間にスタッフステーションで電子カルテの画面に向かっていた稜而と目が合って、ぱちんとウィンクして見せた。

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