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第153話
玲而は、病院から駅とは反対方向へ歩いて歩道橋を渡った先にある、白いデコレーションケーキのような古いマンションの一階の、一番突き当たりの部屋に住んでいた。
玄関ドアを開けると、ダークグレーのダマスク模様の壁紙があり、ロウソクの炎を模した電球の中で不安定な光をちらつかせるシャンデリアには、折り重なった蜘蛛の巣のような綿が絡んでいた。
靴箱の上にはトランプ模様を織り出したゴブラン織のランナーが敷かれ、磨かれた燭台に芯が焦げて溶けた赤いロウソクが並び、時を止めた懐中時計が鎖を投げ出し横たわっている。
蔦が絡み合って伸び上がったようなデザインのロートアイアンの帽子掛けには、10/6の札がついたシルクハットが掛けられていた。
「素敵なのん! ゴシックなアリスちゃんなんだわー! ごきげんよう、お寿司を食べにお邪魔しますのよー。♪おーいえー! アリス・イン・ワンダー・アンダーグラウンド! はるかは、たべたい、えびきゅうりアンド、あなごー♪ 本当に好きなのは赤いゼリーとサーモンなのーん!」
「このモチーフをわかってくれたのは、遥ちゃんだけだ」
「玄関なんて序の口。問題はこの先」
呟く稜而の言葉に、玲而は意味ありげな微笑を浮かべる。
「靴は脱がなくていいよ。そのまま奥へどうぞ」
案内されて、白と黒の市松模様のタイルが敷かれた廊下を歩き、正面のドアを開けるとリビングダイニングルームだった。
「わ……、わーお!」
遥は目を見開き、部屋中を見回した。
ワインレッドのダマスク模様の壁には、さまざまなものが飾られていた。仮面舞踏会で使いそうなマスク、鉄仮面、美しい羽根を持つ蝶の標本、黒革を編んだムチ、古めかしいフレームに収められた古い鍵、貴婦人の横顔が刻まれたカメオ、ベルベットのような薔薇の花。
中でも目を引くのは人形だった。
実在する人間の半分ほどのスケールで制作された人形たちは、老若男女、洋の東西を問わず、着ている衣装も中世から現代までさまざまで、部屋の中に点在していた。
「球体関節人形なんだわー! 展覧会以外の場所で見るのは初めてなのん!」
人形の関節の動きは自在で、壁に取り付けられた人形サイズのソファに横座りしていたり、飾り棚の縁に座って足をぶらつかせていたり、床に座ってソファの脚に拘束されていたり、天井から下がるブランコに乗っていたり、カフェテーブルの上で胸に手を当てて静かに控えて立っていたり、縄で縛られて吊されていたりした。
どの人形にも共通しているのは、細筆で繊細に描きこんだ光彩が閉じ込めているガラスの瞳で、遥はその瞳を下からのぞき込んで悲しそうな顔をする。
「魂が閉じ込められてるみたいなのん……。自由に動けなくて諦めているみたいにも見えるし、玲而さんに引き取られてほっとしてるようにも見えるのん。不思議だけど、あの吊されてるおかっぱ頭の美少年なんて、楽しそうにすら見えるのよ」
白い襦袢越しに縄を受けて両手を背に回している美少年は、片膝を折り曲げて外側へ張り出し、反対側の爪先を天井へ向けてのけぞって吊されている。見上げる高さにあるからか、口角を上げて笑っているように見えた。
「どうぞ座って。いいテーブルだろう?」
玲而に促されて、稜而と遥は教会建築のような荘厳なデザインのテーブルにつく。
「こんな場所にテーブルを置いたって、食欲が失せる」
稜而は頬杖をつき、ガラスをはめ込んだ扉つきの棚を見る。ガラスに両手をついてあどけなく見上げる幼女や、片目を包帯で覆って暗い目をしている少女、シャツやズボンを自らの手で乱して性器も露わに誘うように横たわる少年などを見て、前髪を吹き上げた。
「油や臭いがお人形さんたちに飛び散ったらと思うと、焼き肉大会は遠慮したほうがよさそうなのん。お風呂に入れる構造じゃなさそうだわー。でもでも、こんな場所でお食事するって、得がたい経験だと思うのーん! 命が宿っていそうで宿っていない人形に囲まれながら、失われた命をお米に乗せて食べるのよー!」
遥が両手を天井に向けて開いたとき、タイミングよくインターフォンが鳴った。
「お寿司が来ましたのーん!」
「この環境で寿司を楽しみにできる神経って、俺には理解しがたいけど」
楽しそうに左右に髪を揺らしている遥を見て、稜而は片頬を上げた。
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