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第154話

「♪しょうゆなーど、みーせないー、こだーわりのーインテーリア! こんなにーこーだーわーった、ひーとはー、だれーなのー?♪ 玲而さんなのーん!」 遥は重苦しいゴシックインテリアの中を、まるでテーマパークのスタッフのようにすいすい歩き、厚いガラスのゴブレットと、静脈血のようなどす黒い赤色の取り皿、蜘蛛が這い回る絵が描かれた蜘蛛の巣型の小皿を持って来た。  稜而は口の中で小さく「うわ」と呟きながら、描かれた蜘蛛を塗り潰すように醤油を注ぐ。 「その小皿、いいだろう? 作家にオーダーして作ってもらったんだ」 玲而は目を弓形に細め、前下がりの長い前髪をさらりと揺らす。  黒いガラスが光を吸収するシャンデリアの下で、遥が「はい、お寿司どーん!」と置いた寿司桶のマグロの赤身が黒っぽくぬらぬら光るのを見ながら、稜而は黒いおしぼりで手を拭いた。 「玲って、昔から静かにしてるタイプだったけど、内面がこうなったのっていつから?」  従兄弟同士の気安さでずばりと訊く稜而に、玲而は素直に首を傾げて記憶を辿る。 「中学生の頃かな。死や性について考える時期に、ボードレールの詩集を読んだんだ。僕にとって耽美や退廃は癒しになるとわかって、自分で稼ぐようになってからはやりたい放題」 「こういうお給料の使い方も、思い切りがよくていいと思いますのん」 遥は改めて部屋を見回し、こちらを向くロイド眼鏡を掛けたモダンボーイの青年に小さく手を振ってから、おしぼりでごしごし手を拭いて、寿司桶を見た。 「どのお寿司も美味しそうで、舌なめずりしたくなっちゃいますのん。ドラキュラのお食事ですわー!」 「なるほど、玲はドラキュラか……」 「いいね、ドラキュラ。寿司に合うか分からないけど、赤ワインも出そう」 玲而はそういうと立ち上がり、遥がスーパーマーケットで選んだスパークリング日本酒とともに赤ワインが供されて、宴は始まった。  寿司を指先で掴み、口いっぱいに頬張って咀嚼し、嚥下する。醤油やたれのついた指先を時折無意識に舐めて、また次の寿司へ手を伸ばす。  遥は隣に座る稜而の口元を見る。血の色が透ける唇、淡い象牙色の歯、咀嚼するたびに動く口周りの筋肉と膨らむ頬。口内から湿った音が聴こえ、嚥下するときには喉元のアダムのリンゴが上下する。 「ふふっ。やっぱり食べるってえっちっちーな行為ですのん」 くすぐったそうに笑う遥に、玲而は目を細める。 「遥ちゃんは、そういう生々しさに愛情を持てるんだね」 「人間だもの、ですのん! 人間は食って、寝て、セックスして生きてるんですわ」 マグロの赤身の寿司を半分に食いちぎって噛みながら、遥はウィンクをした。 「人間として生きることが謳歌できているようで、いいね。……僕は苦手なんだ。セックスも好きじゃないし、恋愛感情も湧き上がらない。恋愛小説なんかを読むのは好きだし、映画もいい。セックスシーンも、切なく恋焦がれるような感情表現も、見ている分にはいいなぁと思うんだけどね。感動できても、共感は、できない」 玲而の言葉に遥は頷き、まだ空いていない玲而のグラスに、そっとスパークリング日本酒を注ぎ足した。玲而は素直に注いでもらったグラスを持ち上げ、口を湿らせると、言葉を続けた。 「自分自身がセックスするのは苦しいだけだし、どんなに素敵な人を見ても恋愛感情は高まらない。人間に対する興味関心は高いし、人と関わることも嫌いじゃないんだけど、パートナーや家族を持つっていうのは難しいね。セックスや恋愛感情を求められることがほとんどだから」 寂しそうに話す玲而の姿に、稜而はイカを噛んで飲み込み「そんな話、初めて聞いた」と呟く。 「世の中には見えない壁がたくさんありますのん。それは『常識』っていう名前がついてることが多いですわ。その壁は透き通ってて、ぶ厚くて、ぶつかるととても痛いですのん。ときには自分の方へ襲い掛かって来たり押しつぶされたりするような、そんな錯覚に陥ることすらありますのん。その壁に立ち向かったり、壊したりしようとすると、親が悲しむんじゃないかって怖さを感じたりしますのん。結局壁に沿って水のように流される方が上手くいくって、そう思うこともよくありますのん」 「遥ちゃんは、その壁によくぶつかるの?」 「ふふっ。『変な子』っていうレッテルを絆創膏にして、毎日楽しく生きてますのん」 遥はグラスをバラ色の頬にあてて笑った。

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