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第167話
茶寮は日本庭園の端に羊羹のような長方形で建っていて、庭園に面した壁が一面ガラスになっており、美しい景色を見ながら茶菓を楽しめる。
しかもどの席からもほかの客の姿が邪魔にならず景色を楽しめるようにテーブルの配置が工夫されていて、ガラスから離れた席は一段高くなっていた。
遥はその一段高い場所にあるテーブルに案内されて椅子に座る。目の前に敷かれた和紙のランチョンマットには、『喫茶去 』という筆文字が印刷されていて、遥は顎の下で両手を組むとツインテールを揺らした。
「これ、御家元の書なのん! カッコイイ! 楽しんでいってね、一緒に楽しみましょうってお気持ちが伝わってくる書なんだわ! こんな素敵な書を下敷きにお茶とお菓子を楽しむなんて、贅沢なのん!」
「どこからそんなものが伝わる?」
「筆の運び! 文字の配置! 判子の位置! 全体のデザイン! 全部なのーん! ほら、ちょっと離れたところから見て見て! 御家元の愛と優しさが溢れてるのーん!」
ランチョンマットを両手に掲げて遥は促したが、一郎は一瞥しただけで立ち上がってしまった。
「全くわかんねぇな」
遥は前髪をふうっと吹いて、ランチョンマットをテーブルの上に戻す。
「遥ちゃんのとっておきの場所と、好きな物を教えてあげる特別お友だち待遇なのに、伝わらないんだわー」
渋々立ち上がったが、積み上げられた皿を手に、ずらりと並ぶスイーツを目にした途端、遥はツインテールを左右に揺らした。
落雁や氷砂糖、煎餅などの干菓子 、餅菓子や饅頭や練り切り、羊羹などの主菓子 といった茶道に使われる和菓子だけでなく、ケーキもパイもクッキーもプリンもゼリーもチョコレートも月餅もスコーンも、すべてが一口サイズで用意されていて、遥は目の前の菓子をかき集めるように皿にのせ、近くの人が取り分ける菓子も目敏くチェックして皿にのせ、飲み物も緑茶とアイスティーを運んできて、椅子に座った。
「いただきますなのーん!」
「食えるのか」
眉をひそめる一郎に、遥は黒文字を咥えたままウィンクする。
「おーいえー! 五往復はいけるんだわ! ここのスイーツは、どれもこれも全部美味しいんですものーん!」
「うん、まあ、確かに美味い」
一郎はシーグラスのような琥珀糖を目で味わい、口の中で味わって、玉露を舌の上に転がす。
「ね? ね? 美味しいのん! 抹茶は最後の締めに一服、お薄が頂けますのん! 遥ちゃんもお薄やるけど、簡単そうで難しいんだわ。美味しいお薄は甘みを感じますのん。茶筅 で泡立てるけど、おひろしきりゅう全部あわあわにしなくて、緑色の水面が三日月みたいに残るようにしますのよ。あ! 夏季限定可愛い金魚の錦玉羹が出てきましたのん! 頂いてくるんだわ!」
ガッと椅子を引いて、デッキシューズの底をパタパタ鳴らしながら席を離れる。
一郎は黙って玉露を飲み干した。
「はい! 二つもらって来ましたのん! 一郎さんも絶対に食べたほうがいいんだわ! 金魚鉢の中を赤と黒の金魚ちゃんが泳いでますのん! 毎年デザインが変わるから、これは今年しか食べられませんのん!」
「お節介!」
一喝されて、遥はまたツインテールをたらんと垂らした。一郎はダメ押しのように静かな声で怒鳴りつける。
「茶道を習ってるなら、黙って食え! この騒音が!」
「新しい名前が増えましたのん。遥ラファエル騒音ちゃんなんだわ……」
残りの時間は静かに和菓子を食べ、いつもならテーブルと五往復する遥が、三往復しかしない間に最後の薄茶が供されて、二人は店を出る。
「あ! ちょっとだけ待ってなのん!」
遥は茶寮の隣にあるギャラリーショップへ駆け込んで、茶筅と茶碗のミニチュアがついたストラップを二つ買い、そのひとつを一郎に押しつけた。
「なんだよ、いらねぇよ、そんなの!」
逃げ回る一郎のジーンズを掴み、ポケットへ突っ込んだ。
「いいから持っておきなさい! 遥ちゃんとお友だちの印なのん! 喫茶去なのん。見たら思い出してほっこりするのん! 意地悪言う前に遥ちゃんを思い出してなのよー!」
一郎は遥の手を振り払い、舌打ちして帰って行った。
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