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第170話
「♪おっはだぴっかぴーか! シーツもぴっかぴーか! きょうもアルバイトーよ、リネンこうっかんっ! たいいんしたひとのー、ベッドをととのえるー! どーんなもんだい、ぼーく遥ラファエルちゃん♪」
精神科病棟の個室で、十五センチ程しか開かない窓を開け、埃が立たないように静かにリネンを外してかき集めながら、遥は小さな声で歌を歌った。
「♪ホンワカパッパー、ホンワカパッパー、シーツをひろげます♪ おうちならやっちゃうけど、病院ではシーツはばっさーって振りまわしちゃいけないのーん」
枕を窓辺に置いて、マットレス上部の裏側でぎゅっとシーツの端と端を結び、掛け布団の端をカバーの四隅から引っ張って、枕をカバーの中へ入れていたら、病室のドアが開いた。
「遥ちゃん、お疲れ様」
白地に紺のラインが入ったケーシー白衣とスラックス姿で、一郎がベッドサイドまで歩いてくる。
「一郎さん! ごきげんようございますなのん。ご出勤だったの気づかなかったわ。昨日はおしゃべりでうるさくてごめんなさいだったのん。強引なのはよくないって反省したんだわ。それで……」
背筋を伸ばし、両手をぎゅっと握りこぶしにしながら早口でまくし立てるのを聞いて、一郎は首を左右に振った。
「こちらこそ大人げなかった。ごめん。寮に帰ってから、遥ちゃんに言われたことを考えた。遥ちゃんの言うとおりだと思う」
一郎は一言ずつゆっくりと、しかし右手は落ち着かなく後頭部の髪に触れていた。
「親身に考えてデートに誘ってくれたのに、遥ちゃんの好意も優しさも無駄にするようなことをして、本当にごめんなさい!」
背筋を伸ばして真面目な顔で遥を見てから、深々と頭を下げた。
「待って、待って、おもてをあげいなのん! 苦しゅうないんだわ!」
遥はベッドを回り込み、一郎の両手をとってミルクティー色のポニーテールを振った。
「違うんだわ。遥ちゃんはごめんなさいを言わせたいんじゃないのん。ハードなお仕事だから、ストレス発散方法がひとつでも多くあればいいと思ったし、認知行動療法だっていいと思うんだわ! そしてナースになってよかった、大咲ふたば総合病院のナースとして誇りとやりがいを感じてくださったらって、それだけのことなのん! 一郎さんに笑顔でいて頂きたいだけなのよ」
懸命に話す遥を見つめ、言葉が途切れるのと同時に、一郎は遥を抱き締めた。
「ありがとうっ!」
「おーいえー! どういたしましてなのん」
遥も軽くハグを返すと、身体を離してニッコリ笑った。
「またお茶をご一緒しましょう。ウチの隣の茶室にもいらして下さいませ。一服差し上げますのよ」
「ぜひ!」
二人はスマホを取り出して、互いのスケジュールを確認した。
「では火曜日の十八時に職員通用口の前でお待ちしてますのん。拙宅にご案内して、叔母をご紹介するんだわ。叔母は茶道の先生で、日本文化や礼儀や心遣いやお料理やいろんなことを遥ちゃんに教えてくれる、日本のお母さんみたいな人なのん」
一郎は笑顔で頷き、それから右手を差し出した。
「まずは友達からでどう?」
「まずは? おーいえー! その次は親友なのん!」
遥は自分の右手を制服のズボンで拭いてから、一郎の手を笑顔で握り返した。
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