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第183話

 おとうちゃんが帰って来て、靴を脱がないまま縁側から母屋の中へ顔を突っ込んだ。 「稜而先生、離れに案内するっちゃね。遥も一緒に来いっちゃ」  サンダルを履いて一旦家の外へ出て、農具小屋の向こうまで案内された離れは青いトタン屋根を乗せた平屋建てで、南向きの縁側に三つの和室が並び、北側に水回りがまとめられていた。 「おじいちゃんが亡くなるまでは、おとうちゃんとおかあちゃんが住んでたっちゃよ。ちょっこし古い家だども、水回りはちゃんとしてるっちゃ」 おとうちゃんはそう言いながら、南側の障子とサッシ窓を開け、雨戸を順に開けると早春の光が部屋に満ちた。  庭には松の木と柿の木、そして梅の木が植わっていて、梅の木には濃いピンク色の蕾が膨らんでいた。 「人が住まなくなると家はすぐに傷むっちゃけ、半年でも先生が住んでくれることになってよかったっちゃ」  おとうちゃんと稜而が話している間、遥は遥で関係なく家の中を歩き回り、片っ端からドアを開ける。 「まっくろくろすけ出ておいでー! 出てこないのん。と思いきや。……だるまさんがころんだっ! いたのん! 待て待てーっ!」 何もない場所で一人で前を向き、後ろを向き、両手を前に突き出して走り回り、トイレのドアを開けて 「おべんじょ! 温水便座シャワー付き!」 と叫ぶ。さらに納戸へ顔を突っ込み、歓声を上げた。 「あらーん! お名前は? ……ザシキワラシ! あなたザシキワラシって言うのね! 稜而のことお願いしますっちゃよー!」 遥は誰もいない空間に笑顔で手を振った。 「ちょ、遥。マジ? 俺、四月からここに住むんだけど」  顔を強ばらせる稜而に、遥は明るく笑った。 「大丈夫なのん。ザシキワラシちゃんはいて下さったほうがいいのん。稜而を怖がらせるようなことはしないっておっしゃってるっちゃ」 「おっしゃってるって……」  遥はそれ以上ザシキワラシには言及せず、何も祀られていない空っぽの神棚に柏手を打つと、サンダルを突っ掛けて母屋へ走って行ってしまった。 「おばあちゃーん! おかあちゃーん! お腹すいたっちゃー!」  勝手口から上がると、茶の間のコタツでおばあちゃんとおかあちゃんが焼売の餡を皮にくるくると包んでいた。 「遥ちゃんもやるのん!」 遥は腕まくりをして、おばあちゃんは頷いた。 「そうかい、じゃあ手を洗って。寒いからおかあちゃんに割烹着を出してもらえっちゃ」 可愛らしいウサギちゃんのアップリケがついたキルティング素材の割烹着を渡されて、遥は素直に袖を通すと一緒にコタツに入った。 「遥ちゃんも、自分で焼売を作るようになったっちゃよ。見て見て、だいぶ早くなったっちゃろ?」 テーブルスプーンで餡を掬うと左手に広げた皮へなすりつけ、スプーンの先に伏せるように突き立て丸い形に整えて、左手の上に上下を戻してスプーンの背で表面をならす。 「おお、おお、上手くなったっちゃなぁ」 おばあちゃんは口許に皺を寄せ、目尻にも皺を寄せて笑った。 「そうちゃろ? 遥ちゃんば、おばあちゃんの孫っちゃけ、お料理上手っちゃー!」 おかあちゃんはおばあちゃんと遥の中間くらいの速さで焼売の餡を包みながら、そっと遥に声を掛ける。 「あんた、大学はどうなの。おかあちゃんが聞いたって勉強の内容はわからんっちゃろうけども。授業にはついていけてるっちゃか? 二年生にはなれそうっちゃか?」 遥はうんうんと頷いた。 「大丈夫っちゃ。後期試験も全科目90%は余裕で取ったっちゃ。あとは来週の学長面接をパスすれば、来年度も学費免除になるっちゃよ」 「学長面接! あんた、そんな大変なことがあるのに、こんなところにいて大丈夫っちゃかー?」 「大丈夫っちゃ。学長先生から『一年間よく頑張りましたね、来年度もほかの学生のお手本となるよう頑張ってくださいね』って言われて、『はい、頑張ります』ってお返事したら終わりちゃ」 遥が軽やかに答えるのに、おばあちゃんはゆっくり頷いて言った。 「面接は来週の何曜日っちゃね。おばあちゃんば、ご先祖様にお経をあげて、よくよくお願いしておくっちゃよ」 「そんな、ええっちゃよー! 仏間は冷えるっちゃけ。お経なんて上げたら、おばあちゃんが風邪ひいちゃうっちゃ!」 「遥ちゃんが送ってくれた、あったかーい電気毛布ばあるっちゃけ、大丈夫っちゃよ。遥ちゃんのことをご先祖様にお願いするのが、おばあちゃんの趣味ちゃよ」 「でもでも……」 遥はおかあちゃんの顔を見た。 「おばあちゃんがそう言ってくれてるっちゃけ、甘えたらええちゃ」 「学長面接ば、火曜日っちゃ。火曜日の午前九時四五分からちゃ。ありがとう、おばあちゃん。心強いっちゃよー!」 遥は餃子の餡と皮を持った手を前に突き出したまま、おばあちゃんの小さい肩に頭を載せた。  座卓いっぱいの手料理を食べ、腹ごなしの間、遥はおかあちゃんと食器を洗い、おばあちゃんと七並べをして、稜而はおとうちゃんと将棋をさし、遅くならないうちに暇乞いをした。 「それでは、また。引越し当日向こうを出るときに電話します」  稜而の折り目正しい挨拶におとうちゃんとおかあちゃんは頷き、おばあちゃんは運転席に乗り込んだ遥の手を両手でしっかり包み込んだ。 「左右も後ろもよく見て、しっかり前を見て走るっちゃよ。焦らなくてええちゃけ、高速道路は真ん中の車線で、煽られたら喧嘩しないで譲ればええちゃ。家に着いたら、電話しなさいっちゃ。何時になってもええっちゃけ。な?」 遥は全部の言葉にひとつずつ頷き、運転席から身を乗り出しておばあちゃんをハグして、左右の頬を交互に触れさせて口の中でキスの音を立てた。
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