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第188話
重なった唇の隙間から、如月の舌が滑り込んでくる。
しばらく如月の耳の形やその向こうに広がる景色を見ていたが、遥は目を閉じると口許に笑みを浮かべてその舌を絡めとった。
「お前のサンプル待ちだ。勘違いするなよ」
唇が触れる近さで如月は低く呟き、遥は屈託のない笑顔で頷く。
「わかってるのん。如月は遥ちゃんのエロ本なのん」
再び唇を重ね、どちらからともなく互いの唇を上下交互にしゃぶって、再び顔を傾け口を合わせて舌を通わせる。
ぬめる感触を楽しんで舐めているうちに、するりの如月の口の中に誘い込まれ、舐め回されて油断した隙に強く吸われた。舌の根に軽い痛みを感じる強さで、その刺激が遥の下腹部まで響いた。
膝を覆う如月のジャケットの内側で、遥は自らを責め立て、デスクに触れている尻を小さく揺らす。
「ちゃんと容器に出せよ。全量」
「んっ、わかってるのん」
遥は赤い顔をして、如月の舌を舐めつつ、自ら与えた摩擦と甘い痺れに身体を震わせた。
「んっ、あああっ、あっ!」
あてがった容器の中へ放出すると、如月の手が伸びて容器を持ち去った。唾液で濡れた口の周りを手の甲で荒っぽく拭うが、その視線はもうサンプルと試薬しか見ていない。
遥が下半身剥き出しで身だしなみを整えているのも気にする気配はなく、顕微鏡を覗いて実験ノートにメモを取りながら、如月はいつも通りの口調で話す。
「お前が考えたカプセル、来月のジャーナルに掲載されるぞ」
「おめでとうございますのん。変性を起こさずにお届けできて何よりなんだわ。再現実験を繰り返して、論文書いて、応募して、お疲れサマンサ。遥ちゃんは思いつきを喋っただけなのん」
桜餅色のパンツを穿きながら答えると、また課題が降ってきた。
「そのハルカカプセルを運ぶのに、精子の核を使う。精子を届けるために、この試薬Cに負けないようバリアを張りたい。どうする?」
「ハルカカプセルなんて名前にしたのん? キサラギカプセルって名前にすればいいのに」
「俺は自分の名前が嫌いだ。で、バリアには何を使う?」
遥はワイシャツ、ネクタイ、ベストに桜餅色のパンツ、靴下という姿のまま机の上に座り、如月の実験ノートへ目を走らせる。
「んー。ぱっと思いついたのはムチン。粘性のあるものがいいと思うのん。でも酸性に傾くのはダメだし、人体に大きな影響を与えるものは使いたくない。だとしたら、唾液なんかに含まれるムチンはいいんじゃないかなって」
「ムチンか」
「でもでもムチンって手に入りやすいようで、実は構造は複雑だし、一番最初の候補にはしたくないのん。ちょーっと失礼」
シャーレに向けて舌を出し、つうっと一滴唾液を垂らして、如月を椅子から追い立てると電子顕微鏡を覗き込んで、そこへカプセルを埋め込んだ精子を入れる。
「んー。やっぱり粘度が低いのん。唾液にはほかの成分も含まれるから、単純な実験でしかないけど、唾液程度の粘度じゃ弱いのは確かなのん」
「精液そのものでもいいかと思ったんだが」
「あまり量が多いとタンパク質が邪魔になるのん」
「おっしゃる通り」
「賢者タイムの遥ちゃんが思うに、アナルセックス用のローションはどうかしらん?」
「全然賢者タイムじゃねぇな」
遥はロッカーの中に放り込んであった黒いナイロン製のビジネスバッグをがさごそ漁る。
「今日はローション持ってたかなぁ。お徳用を買って稜而の部屋に置いてきたから、持ってた気がするのん……。あったのーん!」
如月は顕微鏡を覗いたまま遥に向かって手を出す。
「貸せ」
「どうぞなのん」
チューブの口をティッシュペーパーで拭い、粘度の高い透明な液体を三つのシャーレに垂らした。
「これ、ひょっとしたら、いけるかもしれないぞ。グリセリン? シリコンか?」
「ポリアクリル酸ナトリウムが主成分なのん」
「吸水ポリマー?」
「おーいえー。途中で乾いてきたら、お水を足すと滑りが戻るのん。稜而と二人で『本当にポリマーだね』って、えっちっちーの途中なのに感動しちゃったんだわ」
遥はケラケラ笑って、デスクの上にあぐらをかく。
そのとき、手元の電話が内線を受信した。
「はーい、如月研究室でーす」
遥は当たり前に内線を受ける。
「おーいえー、遥ちゃんですのよ。今年度もよろしくお願いしますのん。……オリエンテーションの書類確認! 学生証!」
電子顕微鏡を覗きながら如月は小さく舌打ちして「忘れてた」と言う。
「それ、如月先生くらいのハイパーな頭脳がないとダメなお話かしらん? 遥ちゃんが受け取って説明を聞いて、明日、遥ちゃんがクラスで説明してもいいことなら、すぐ学務課まで参りますのん。……いいえー、ウチの如月がごめんあそばせなのん。五分だけお待ちくださいませませー!」
遥は二人分のジャケットをロッカーに突っ込み、入れ違いにカーディガン代わりの白衣を羽織った。
「お前、ズボン履けよ」
「わーお!」
プレスされているトラウザーズへ交互に足を突っ込んで飛び跳ね、ファスナーを上げ、ベルトも締めてロッカーの中から怪獣の足型をしたラバーサンダルを出して履くと、白衣の裾を翻し、学務課へ向けて研究室を出た。
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