4 / 191

第4話

「オレ、全然へーき! 超、元気ーっ! わざわざ東京まで来させてごめんね。あーい きゃん だーんす、あーい きゃん げーんき! だーんしんぐ ぷりーんす、だーんしんぐ ぷりーんす、あいあま、だーんしんぐ ぷりーんす! あいあま せーぶんてぃーん!」 (はるか)はシーネをあてた両足を挙上し、仰向けに寝たまま、両手を天井に向かって突き上げ、さらに歌を歌いながら両腕を左右に振って踊って見せる。 「古い歌を知ってるな。I am a dancing prince. じゃなくて、You are the dancing queen. じゃないのか?」 振り返って問う稜而(りょうじ)に、遥は目を閉じて踊りながら答える。 「オレ、王子様だもーん! ひゅー! おーいえー! ドゥーユーリメンバー? セプテンバー! オクトーバー! ノーベンバー! ディセンバー! 春夏秋冬ー! いえー!」 「セプテンバーからディセンバーじゃ、秋と冬だけだ」 遥は稜而の呟きに関係なく、枕の上で顔を左右に振って楽しそうに歌い踊る。歌詞はめちゃくちゃだが、歌声は明るく澄んでいていて、リズム感と音程もいい。 「もし手術することになったら、そのときに来てーん! じゃーねー! ジン! ジン! ジーンギスカーン! ピーマン、タマネギ、野菜も食べよう! 退院したら、ジンギスカーンー!」  遥の姿に祖父母は何も言わず、ただ静かに目を細めた。稜而と目が合うと、二人は頭を下げた。 「先生、遥をよろしくお願い致します」  「あ、はい。お預かり致します。わざわざ北海道からお越しいただいたのに、慌ただしかったですね」  まだ歌い踊っている遥の姿に、稜而も目を細めた。その横顔を見て、祖母が口を開く。 「失礼ですが、理事長の渡辺先生の息子さんでいらっしゃいますか?」 「はい、渡辺の息子です。父をご存知なんですか」 「ええ、十二年前に息子が……遥の父親が、渡辺先生のお世話になったんです。本当によくして頂きました」 「そうでしたか」 稜而は遥の家族図の父親に×印がついていたのを思い出し、静かな気持ちで会釈した。 「稜而先生のお顔が、渡辺先生にそっくりでらっしゃるから、すぐわかりましたわ。どうぞ渡辺先生にも、よろしくお伝えください」 「申し伝えます」 大人三人の静かな空気を切り裂くように、遥の声が響いた。 「稜而ーっ、トイレ行きたーいっ!」 その言葉を潮に、祖父母は遥に手を振って帰って行き、稜而はベッドサイドに立つ。 「何度も言うけど、当直中なんだ、俺は!」  ベッドサイドのナースコールへ伸ばした手を、遥に掴まれた。 「……痛い」 「は?」 「足が痛いーっっっ! 痛いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」 大きく口を開け、ボロボロと涙をこぼす。 「踊りすぎだ! 太い骨が折れてるんだから、暴れるな」 「ちがうよぅ。ずっと痛かったの! でも、痛いって言ったらダメじゃんかっ!!!」 「言えよ! 言わなきゃわからないだろっ! 医者は超能力者じゃないっ!」 「稜而には言うよっ! 痛あーーーーーいっっっっっ!!!!! うわあああああああんっっっ」 「ああ、まったく!」 稜而は早足でナースステーションへ行った。  電子カルテに処方を入力し、薬品庫からナースとのダブルチェックで坐剤を出庫する。 「えー、お尻ぃ?! 遥ちゃんの処女、稜而に捧げちゃうってことー???」 「指一本なんて、経験の内に入らない。これが一番効き目があって、効果が出るのも早いんだ。横向きになって、背中を丸めろ」 「えーん! 足が折れそうに痛いよう!」 「もう折れてるから痛いんだろ!」 言いながら使い捨てグローブを嵌め、布団の裾をまくって、処置が直接遥の目に触れないように布団で視界を遮り、腰の下へ吸水シートを敷く。  ワセリンを指先に載せ、窄まりに塗りつけてから、改めて指と坐剤にワセリンを塗って、身体の中へそっと差し込んだ。そのまま座薬が吸収されていくのを待つ。 「ゆっくり呼吸しろ。痛くないか?」 肩に手を置いて、処置している箇所も、遥の顔も見ず、処置中の指先の感覚に神経を集中させながら訊いた。 「平気だけど、変な感じ。セックスもこんな感じなのかな」 「セックスだったら、こんな事務的なやり方はしない。……だからって、テクニシャンでもないけど」 稜而が軽い口調で言うと、遥は肩を震わせて笑った。 「正直だね。稜而、セックスしたことあるんだ?」 「それなり」 「男と?」 「クローゼットだ。言うつもりはない」 「セックスって、気持ちいい?」 「それなり」 つまらなそうに言い捨てた。 「そんなふうに言われると、十七歳の男の子の、セックスへの夢とか希望とか願望とか妄想とか、ぜーんぶ壊れちゃうなー」 「めくるめく官能の世界だ」 「ヘイ、稜而、このままカモン!」 「ふざけるな。そんなことをしたら、俺が社会的に死ぬ」  稜而は笑って指を引き抜き、後片付けをして、遥の布団を掛け直してやった。 「ねぇ、稜而。もういなくなっちゃう?」 稜而は廃棄物を持って病室を出て行ったが、睡眠薬と英文が書かれた紙の束を持って戻って来て、遥に睡眠薬を飲ませ、ベッドサイドの椅子に座った。 「その紙、何?」 「ジャーナルに掲載された誰か偉い人の論文のコピー。明後日の抄読会は俺の番」 「ふーん。『初回人工股関節全置換術転帰への他関節炎の影響』?」 「専門用語、ずいぶん読めるんだな」 「こう見えても医学部だからね」 「マジか」 「オレ、バカだけど、お勉強だけは得意だからさ。日本の小学校をドロップアウトして、フランスの小学校へ転校したんだ。そこからは順調に飛び級して、今は大学一年生。フランスへ帰る決断をしてくれたママンには感謝してる」 「なるほど」 「日本の医学部は学費が高いから勝手に諦めてたんだけど、じいじが学費を出してくれるって言うから、日本の医学部を受験し直そうと思って帰って来たんだ」 遥はそう言うと、稜而が読み終えたページを受け取って、読み始めた。

ともだちにシェアしよう!