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第5話

 すとんと紙片が床へ落ちて、隣を見ると(はるか)が目を閉じ、規則正しい呼吸をしていた。  稜而(りょうじ)は椅子から立ち上がり、部屋の明かりを消す。部屋の中の明るさと、街路灯や街の光が透けるロールカーテンの明るさが逆転し、白い肌をした遥の寝顔が浮かび上がって見えた。  そっと指先で前髪を掻き分け、額に手をあてる。少し汗ばんでいて、熱発も感じ取れた。手首へ指を揃えてあて、左腕のダイバーズウオッチの秒針と見比べると脈も少し早いが、体温相応の速さで乱れはなかった。 「痛くない訳がないんだよな。……どうして家族に弱みを見せまいと頑張るんだか」  布団の中へ手を入れてやって、少しためらってから遥の頬を撫でた。 「おやすみ」  胸ポケットの中でPHSが鳴動し、足早に病室を出る。通話を切った稜而は、非常階段を飛び降りるように駆け下りた。 「部・屋・の・明・か・り・がっ、と・て・も・き・れ・い・ね・オペ室っ! ホワイトライト、オペー室ぅぅぅぅ!!」  手術着に着替えた遥が、手術室へサインインした。受傷から一日半が経過していた。  その間に、医局でカンファレンスが行われ、本人と祖父母に対するインフォームド・コンセントが行われ、遥は絶飲食を命じられて自己流のお腹が減る歌を歌ったりした。 「いちいち選曲が古いのは、どうしてなんだ?」 先に手術室へ入って、上級医と一緒に手術部位や術式、進入角度などの確認を繰り返していた稜而は、大声で歌う遥のほうへ振り返った。 「楽しいからっ! 上を向ぅいて、寝ぇているよぉ、涙がっ、こぼれーないよほほに!」 「元気だな」 「ねーねー、両手を上に挙げて、始めますってお辞儀はしないのー?」  稜而を含めた整形外科医たちは、まだ青色のスクラブ姿で、医療ドラマで見かけるようなガウンは身に着けていなかった。 「まだだよ。お前の麻酔が始まったら、手洗いに行く」 「えー、見たかったのにぃ!」 「医者になれば、いくらでも見れるだろ。診療科によっては見るだけじゃなく、自分でできるぞ」 「そっか!」  稜而は遥の手を握って、笑顔を向けた。 「では、未来の医者に問題。今日の術式は?」 「髄内釘(ずいないてい)術っ! にんにん!」 「具体的にはどのような手術か、覚えてるか?」 「膝と足首の皮膚を切開して、左右の脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)の中、髄腔(ずいくう)という骨の中にある空洞に、それぞれチタン製の棒を挿入、骨の外側から斜めにネジを入れて棒を固定しまーすっ」 「メリットは?」 「折れた骨の代わりに、遥ちゃんの中にずっぷり入った棒が身体を支えてくれるから、荷重おっけー!」 「まぁそんな感じだ。寝ている間に終わるから、がんばって寝ておけ」 「うん、おやすみー!」  遥を麻酔科医に引き継ぎ、稜而は手洗いに向かった。ハンドソープで指先から肘までを洗い、ペーパータオルで水分を拭き取ってから、消毒用アルコールを指先から肘まで擦り込んでいく。  ガウンテクニックの手順に従って、ナースに手伝ってもらいながら、四角く折りたたまれている滅菌ガウンを広げる。ガウンの外側は清潔、内側は身体が触れた時点で不潔、腰から下も不潔になると決まっているので、腰紐は介助者の助けがなければ結ぶことができない。  両手を通し、介助者に腰紐を結んで、裾を直してもらったら、台紙に張り付いている滅菌グローブへ手を差し込み、台紙からグローブを剥がしとる。ひらりと床に落ちる台紙は介助者に拾ってもらったり、ときには爪先で蹴り上げてゴミ箱へ突っ込む。  稜而もゴミ箱へ上手く落とせなかった台紙を足でゴミ箱へ突っ込んで、両手が自分の視野から外れないよう、また汚れが指に向かわないように、指先を上に向けてオペ室へ戻った。  今回は両足を同時に手術するので、全身麻酔が選択されている。  遥はすでに麻酔科医の手によって意識が落とされ、器官チューブが挿管されて、目を閉じていた。  稜而は遥の足を挟んで、上級医の前に立つ。  遥には明言しなかったが、髄内釘術の執刀医を務めるのは、これが初めてだ。上級医に見守られながら、稜而は口の中が渇くのをこらえて手術室ガイドラインに従って口上を述べた。 「それでは、マルタン・遥ラファエルさん、十七歳、男性。左右の脛骨及び腓骨、髄内釘術を行います。お願いします」 何度もシミュレーターで練習し、手順を頭と身体に叩き込んだ。 「メス」  隣に立つ器械出しナースへ告げると、広げた右手のひらに、パシッと音を立ててメスが渡された。
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