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第13話
ゲストルームの鏡の前で、遥はバスローブ姿のまま、髪の根元を掻き分けながらドライヤーの風をあてる。
濡れて真っ直ぐだった髪は、乾くにつれてカールを取り戻し、仕上げに遥が上を向いて頭を振るい、ほんの数回、手櫛で全体を梳くだけで、ゴージャズな巻き髪を取り戻した。
「遥ちゃんの髪、楽ちーん!」
低い位置で束ね、シュシュでまとめていると、トン、トントントン、という独特のリズムでドアがノックされた。
「遥、俺。いい?」
「いいよー」
すぐにドアが開いて、稜而が身体を滑り込ませてくる。
「お前、袋はどうした?」
「フクロ? やーん、見たいのー?」
バスローブの裾を持ち上げる隙も与えず、稜而は遥のリュックサックへ手を伸ばし、中から黒いビニール袋を引っ張り出す。
「これは俺の寝室のクローゼットで預かる。退院したら、取りに来い」
「パンツ、使ってもいいよー! かぶせてこすっ……」
遥が言い終えるより先に、稜而は部屋から出て行ってしまった。
「そんなにがっつかなくてもいいのにねー」
遥が首を傾げていると、玄関のほうから声が聞こえてきた。
「ただいまー!」
稜而の声に似ているが、もっと穏やかな声で、遥は記憶を一気に呼び覚まされた。
「渡辺先生だ!」
遥がそっと顔を出すと、ビジネススーツ姿の理事長が、スリッパへ足を入れながら、稜而と何かを話していた。
「ああ、遥くんだね? 久しぶり。……覚えてるかな?」
人当たりのいい笑顔を向けられて、遥も無邪気な笑顔で返した。
「もちろんです! お久しぶりです、先生っ!」
かつて、パパのベッドサイドに、誰よりも諦め悪く立ち続けてくれた人の姿に、遥は深く頭を下げた。
「遥くんは、医者になりたいって?」
庭に面したサロンで、稜而が淹れたコーヒーと、缶に入ったままのクッキーを口にしながら、挨拶を交わし、遥は近況を話していた。
「はい。祖父が学費を支援してくれるというので、日本の医学部にチャレンジすることにしました。オレの実力がどこまで通用するか、まだわかりませんけど、祖父の好意に応えるためにも、自分の夢をかなえるためにも、ベストを尽くしたいと思います」
若草色の目を細め、さらさらと受け答えする姿に、稜而は小さく目を見開いたが、黙ってコーヒーを飲んだ。
「遥くん、これは私からの提案なんだけどね」
理事長はテーブルの上に組んだ手を乗せた。
「はい、なんでしょう?」
遥はゴージャスな巻き髪を少し揺らして首を傾げる。
「もしよかったら、この家にホームステイして、医学部を目指してみないかい?」
「え?」
遥は大きな目をさらに見開き、理事長の顔を見た。
「ウチの病院に勤務すると決めてくれているなら、医学部の学費を支援する奨学金もあるよ。私立大学へ進学した場合、国立大学の学費との差額を支援させてもらう。卒業後に少しずつ返済してくれてもいいし、支援した年数と同じ年数、ウチの医療法人社団に属する施設に勤務してもらうのでもいい。予備校に通って受験の準備をするだけでも負担は大きいだろうから、ぜひ検討してみてくれないかな」
医療法人社団渡学会、奨学金制度のご案内、というリーフレットを差し出されて、遥はそっと手を伸ばした。
「ウチにいれば、稜而が勉強を助けることもできると思うよ。学生時代は医療系学部専門の予備校で講師のアルバイトをしていたくらいだからね」
遥はリーフレットのから顔を上げて、隣に座る稜而を見た。
「稜而、予備校で教えてたの?」
稜而はコーヒーカップを持ったまま、顎を引いて頷いた。
「数学と化学を受け持ってた。でも俺はもう現役を離れているから、情報を得るために予備校には入ったほうがいいと思う。予備校の勉強をフォローすることはできる」
「こちらにご厄介になっても、いいの?」
「家主の父さんがいいって言うんだから、いいのでは?」
稜而は王子様の笑みを遥に向けた。
「先生、ありがとうございます。オレとしては、ぜひお願いしたいです。大学に合格したら、奨学金も応募させてほしいです。ただ、まだ未成年で、一人では決められないことなので、母と祖父母に相談する時間を下さい」
「もちろんだよ。私や稜而からの口添えが必要だったら、いつでも声を掛けて。遥くんを応援させてほしいからね」
遥はリーフレットを胸に抱き締めて、こくんと頷いた。
「懐かしいね。お父様のベッドの上に乗って遊ぶ遥くんは、教会の天井に描かれる天使みたいだった。文字の読み書きもすぐに覚えて、お母様とはフランス語で、お父様とは日本語でお話しをして、たくさんの本をお父様と一緒に読んで、模型を組み立てて、楽しそうだった。回診に伺うのが楽しみなくらいだったよ」
「先生に手伝ってもらって、窓にジェルジェムを貼ったのを覚えています」
「クリスマスのときだね」
「はい……。クリスマスでした……」
遥は言葉が続かなくなり、稜而に肩を抱いてもらいながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
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