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第14話-初めての夜編-

「はーるかは泣いたことがないっ、渋滞してる高速でっ、遅い車に乗っけられても、急にトイレに行きたくなっても……」 「トイレに行きたいのか?」 「ううん。ただ語呂がよかっただけー! おーいえー! 今日はうれしはずかし初夜だから、遥ちゃん、ごきげんなのー!」 退院した日の午後、稜而が運転する車で、二人は海を目指していた。遥の足にもう装具はなく、松葉杖もお守り代わりに一本借りているだけで、歩行に大きな支障はなかった。 「この先のジャンクションは、環状線に右から合流するからいつも渋滞する」  稜而は偏光サングラスを掛けて、前髪をふっと吹き上げた。  完全に止まる訳ではないが、のろのろと進む車の中で、遥はそっと稜而の太腿へ手を這わせる。 「俺は運転中と仕事中はセックスしないと決めてる」 「ちぇっ! じゃあ、遥ちゃんが運転代わってあげるー!」 「免許あるのか」 「なーい! でもでもシミュレーションゲームなら得意なのーん! ドンペリぷしゅー!」 遥はシャンパンファイトの仕草を真似て、バタフライフレームのサングラスの下の目を細める。 「日本の車社会って、お・も・い・や・り精神が旺盛だよね」 「はあ?」 「フランスの運転手さん、皆、強気なんだよね。バンパーはぶつけて使うものなの。クラクションは、マ・ダ・デ・ス・カとか、早く家にカ・エ・リ・タ・イとかのサインなの。そこにドリカムみたいな愛はなくて、気軽に鳴らすの」 「日本でそんなことをしたら、トラブル必至だな」 「だよねー、だよねー、喧嘩するっきゃないかもね、だよねー!」  遥が歌っている間に合流の順番がやって来て、稜而は左側を走る本線の車の一台をターゲットに定めてとタイミングを合わせ、一気にアクセルを踏み込んで加速する。先行車と並走するように走り、すぐに下がってハンドルを微かに切って本線へ入ると、アクセルを緩めて車間距離を開け、後続車に向けてハザードランプを焚いて感謝の気持ちを示した。 「稜而さん、カッコイイー! おーいえー! なんてったって稜而ーっ、なんてったって稜而ーっ! ひゅー!」 「合流だけで褒められるとは思わなかった」  稜而は苦笑して、今度は湾岸線へ分岐した。  レインボーブリッジを渡り、湾岸線を離れ、山間の道を走る。  聴いていたFMラジオの電波が届かなくなって、カーオーディオからはエリック・クラプトンが流れていた。  来月には収穫されるであろう、緑色の稲が揺れる様子を車窓から眺めていた遥が、不意に稜而に話し掛けた。 「ごめん、オレ、静か過ぎた?」 「え? 確かに静かだけど、不機嫌そうでもないし、具合が悪いようにも見えなかったから、そんなもんかなと」 「Merci. 遥ちゃん、基本的にバカなんだけどね。たまには『日本の田園風景もいいなぁ』なんて思っちゃうこともあるからさ」 「それならそれでいいだろ。無理に上げていかなくても、静かにしていたかったらすればいい」  遥は苦笑し、稜而を真似てふっと前髪を吹き上げた。 「皆のアイドル遥ちゃんが大人しいなんて、なんかダメじゃん」 自嘲気味に嗤う遥の横顔をちらりとみて、稜而も前髪を吹き上げてから苦笑した。 「むしろずっとうるさかったら、ベッドから蹴り出す」 「そう? じゃあ安心して大人しくしてよっかな。……居心地、よくなっちゃうなー」 「居心地がいいと感じる間は、ずっといればいい」 「んー……。あんま、自分を甘やかしたくない。母親一人でフランスに残してきてるし、いずれはフランスに帰るか、呼び寄せるか。親の老後なんかも考えちゃうじゃん? 親一人子一人だしさ」 遥の言葉に、稜而は前を見たまま深く頷いた。 「俺も親を一人にはできないと思う。実家を出るタイミングを逃したというか、初期研修が終わって、覚悟して実家に戻ったというか。親が二人いればできるはずのリスクヘッジができないと感じることはよくある。特に子供の頃は、父親に何かあったらどうしようかと恐れた」 遥も、窓の外を見たまま深く頷いた。 「そうなんだよねー。パパが死んで、ママンと二人きりになってからは、ママンが咳をするだけでも怖いと思うときがあった。ママンまで死んじゃったらどうなるんだろうって。じいじもばあばもいるんだけどさ。息子のパパは死んじゃってて、ママンとは縁が切れてるから、やっぱり最後はオレしかいないよなーって」 「俺だって親戚だけなら、山ほどいる。でも、人生の最期の部分を預けたり、預かったりということができるのは、家族だけだよな」  遥は頷いてから笑った。 「こんな話をしたの、初めてかも。いいのかな、こんな本音を言っちゃって。渡辺先生も、稜而も、なーんかオレのことを崩してくるよね」 「これから同じ家に暮らすんだから、そのくらいでいい。俺だって強くないし、情けない部分なんていくらでもある」 「そう言ってもらえると、肩の荷が少し軽くなるよ」 「どれだけ背負っているんだ?」 「背負えるだけ、全部。足が折れるまで、全部。……なーんてね」 ドレンチェリーのように赤い唇を左右に引いて、若草色の目を細めた。 「無理して笑わなくてもいいのに」 「笑っていたいときもあるの。自分のためにも、上げていかないとね」 「なるほど」 「でも、笑わないときも、歌わないときも、たまにあるかも。内緒だけど」 「秘密厳守」 「ありがとっ。稜而も笑ったり、泣いたり、たくさんしていいよ。秘密厳守!」 「そうさせてもらう」  チェンジ・ザ・ワールドが流れる車内で、二人は顔を見合わせ、顔をガラスの向こうへ向けてからそれぞれ柔らかく笑った。 「あ、あの白い建物がそうかな」 稜而の言葉に、遥は明るく手を叩いた。 「わーい! 初夜ーっ!」

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