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第20話-初めての茶道編-

「ホームステイする男の子がいるからよろしくって、稜ちゃんから言われていたの。フランス人形みたいに可愛らしい男の子ね」 「やーん、ありがとうございますぅ! 日本人形みたいに美しいマドモアゼルに言われたら、遥ちゃん、照れちゃうー!!!」 ミコ叔母さんは、着物や和食や紀行を四季の移ろいの美しさと共に記事として扱う上品な婦人雑誌から抜け出てきたような人で、艶のある黒髪をシンプルな夜会巻きにし、曙色の無地の着物を着て、頼れるお姉さんという雰囲気だった。  細かな傷がたくさんついた結婚指輪を嵌めた手と、その手の動きには落ち着いた雰囲気がある。若く見えるが、実は四十代後半、ひょっとしたら五十代に差し掛かっていると見るのが順当だろうか。 「家紋? 可愛い! お花がいっぱい! はなさくー、きーものー、すてきー!」 遥が目をつけたのは、背中に色とりどりの糸で刺繍された紋で、花かごから溢れんばかりに四季折々の花がいけられている図案だった。 「洒落紋というのよ。家紋ではなく、お洒落で入れる紋なの」 「着物も色は一色だけど、光が当たると模様が浮かぶね。やまとーなでしこ、しちへんげー……」 遥は興味津々といった様子で、歌うのもそこそこに、ミコ叔母さんの着物の周りをぐるぐる歩き回る。 「これは紗綾(さや)紋様という模様を織り出した真っ白な生地を、曙色で染めて仕立てたのよ。だから光が当たると模様が浮かんで見えるの」 「光を反射するところと、しないところで模様を作ってるんだねー。超すてきー!」 袂を持たせてもらって、若草色の瞳を細かく動かし、生地を見る。 「遥、もう部屋に上がるぞ」  二人分の荷物が詰まったスーツケースを手に稜而が声を掛けても、遥の反応は芳しくない。 「はーるーかっ」 骨の浮く肩をトントンと叩いても振り返らず、 「着物、見ていたーい! 茶室も見たいー。花嫁修業するー」 駄々っ子のような声を上げて、稜而は前髪を吹き上げた。 「どうぞ、このままお茶室へいらっしゃい。準備をお手伝いしてもらうけど、その代わりにお稽古のとき、一服差し上げるわ。……稜ちゃんもいかが?」  稜而はもう一度前髪を吹き上げた。 「お茶を飲んでお菓子を食べるだけのことに、どうしてこんな手間暇かけて、気を遣うんだか。そんな時間があったら、ケーキを買って、食べる顔を見ている方がずっと有意義だ」 口の中でぶつぶつと文句を言いながら、稜而は結局、露地を掃き清め、手水鉢の水を撒いて新しい水を入れるのを手伝い、遥は水屋で道具を見せてもらいながら、手伝っているのか邪魔しているのかわからない手の出し方をした。 「桜と紅葉が一緒に描いてあるー。春なの? 秋なの?」 「雲錦手(うんきんで)というのよ。雲のような桜と、錦のような紅葉を一つの画面に同時に配する手法のことね」 クリーム色の地に春の桜と秋の紅葉が配された茶碗を、目の高さに掲げて眺める遥に、ミコ叔母さんは優しく話し掛ける。 「お道具を落として壊したら大変だから、畳に近い低い場所で拝見しましょうか」  お手本を見せられて、遥は正座して畳に両肘をつき、低い姿勢で道具を眺める。 「これ、もしオレが間違って割っちゃったら、ごめんなさいって買って返せる金額?」 「これはお稽古用のお茶碗だから、金額だけなら大丈夫よ。でも、作る人がいて、お稽古する皆さんが今まで大切に使っていらしたお道具だから、そのお気持ちや思い出は金額にできないわね」 遥は頷いた。 「オレも事故でギターが壊れちゃった。同じものを買うことはできるけど、買ったときの嬉しい気持ちや同じ音が帰ってこないのと一緒だね」 「少し話を聞いたわ。両方の足の骨が折れて、大変だったんですってね。稜ちゃんは、夏休みも毎日様子を見に行っていたものね」 「え、稜而は夏休みがあったの?」 「あら、言っちゃいけない話だったかしら。遥ちゃんの負担にならないように、黙っていたのかも知れないわ」 花鋏で吾亦紅(ワレモコウ)の茎をぱちんと切って、竹の花入れにいけながら、水屋着(みずやぎ)姿のミコ叔母さんは小さく舌を出した。 「毎日普通に回診に来て、『疲れた』、『サボらせてくれ』って言って、おにぎり食べて昼寝してたけど」 「あら、そう。……ふふ、稜ちゃんもいろいろ大変ね」 奥二重の目が稜而と似ていて、目の細め方もそっくりだった。 「ミコ叔母さんはお医者さんにならなかったの? 稜而の叔父さんたちや従兄弟たちは、皆、お医者さんだって聞いたけど」 「私は人の心や身体を内側まで見るなんて、とてもとても。その代わりって言ったら変だけど、主人が産婦人科医なの。朝も夜もない仕事だけど、やりがいがあるみたい。赤ちゃんを取り上げる瞬間の感動は何物にも代えがたいんですって」  小さく首を傾げながら笑って、子供の頬へ添えるような手つきで、優しく吾亦紅の向きを整えると、新聞紙を片づけて立ち上がった。  茶室は水屋を挟んだ左右に、十畳と四畳半があって、ミコ叔母さんは「今日はこっち」と四畳半の茶室の柱に花入れを掛けた。  床の間の軸は筆でぐるっと描いた丸が一つで、絵画なのか書道なのか判別がつかなかった。 「円相図といって、悟りや宇宙の真理を表しているそうよ。でもどんな風に見えるかは、その人の心次第ですって。座って、前にお扇子を置いて拝見するといいわ」 教えてもらって、正座した膝の前に渡された扇子を置き、畳に手をついて掛け軸を見上げた。 「ホットケーキに見えてもいい?」 「いいんじゃないかしら。ホットケーキが好きなの?」 「うん。辛い物じゃなければ、食べ物なら大抵のものは好き。でもこれはふかふかの、ほかほかのホットケーキ。上手にひっくり返すことができて、焼き色も均等にこんがりで、嬉しいやつ。遥ちゃん、ご機嫌でにこにこ。食べる人も溶けるバターと甘いメープルシロップでさらににこにこ」 「素敵ね。もてなす側と、もてなされる側、両方がにこにこなんて、一番いいじゃない。いい循環だわ」 ミコ叔母さんは遥の隣に座り、一緒に円相図を見上げながら目を細める。遥はその横顔を見て、ぽつんと呟いた。 「……渡辺家の人って、みんな、いい人だね」 「あら、どうしたの突然?」 「オレがこんなふうに思うまま言葉を並べても、歌っても、頷いてくれる。だから素直になっちゃうのかもしれない」 「遥ちゃんは、とても素敵よ。こんな短い時間だけど、私はあなたを気に入っちゃったし、兄や稜ちゃんがあなたをホームステイさせたいって思うのも当然だと思ってる」 「心が広いなぁ」  窓の向こうから差し込む逆光の中で、遥は改めて円相図を見上げた。 「あなたが自分に対して、心が狭いのかも知れないわよ? 自分のいいところを、あまり知らないんじゃない? だとしたら、とてももったいないわ」 「遥ちゃん、そんなに魅力的かなぁ?」 「受験勉強の息抜きのつもりで、いつでもお稽古にいらっしゃい。お茶を通して自分を見つめる時間を持つのも、いいと思うわ」 遥はこくんと頷いた。

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