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第31話

「何やってんだよ?」 額を打って、再び椅子の上に頭を戻した遥の顔を、建志が覗き込んだ。 「ママンからのメールに、Noël(ノエル)に日本に来るって書いてあって、ちょっとはしゃいじゃったのーん」 「ふうん。よかったな」 「うん。ちょっとホームシックになりかけてたから嬉しい」 遥がバラ色の頬を持ち上げて笑うと、建志の手が遥の額をペちんと叩いた。 「やーん、弱り目に畳目! お昼寝のあとみたいに、しましま模様がとれなくなっちゃうのーん!」  遥が頬を膨らませていると、論がハンカチを濡らして戻ってきた。 「ハンカチを持ってるなんて、偉いねー」 教室の椅子に座り、借りたハンカチをぺたんと額にくっつけながら遥は感心する。  隣に座った論は少し口許を微笑ませ、建志は前の席に座って振り返り、遥の頬を両手でつまんで左右に引っ張った。 「お前、ハンカチ持ってないのかよ」 「ひへんはんほうは(自然乾燥派)、はほーん! あっ、でもでも、髪の毛は稜而が乾かしてくれるーん!」 「けっ。遥のこと、人形か何かと勘違いしてるんじゃねぇの」 机に頬杖を突き、建志は吐き捨てるように言う。 「やーん、素敵! 遥ちゃん、ダッチワイフぅ!」 「ばぁか。日本に来て、弱ってるときに優しくされて、ほだされて。いつまでもオヤジのいいようにされてるんじゃねぇよ。……いい加減、目ぇ覚ませっ!」  建志の剣幕に、遥も声を大きくした。 「はぁ? 遥も稜而のこと、いいようにしてるもんっ。ベッドの上で恥ずかしくしてるし、お互い様だもんっ。彼氏だし、恋人だし、キャベツなのっ!」 「怪我の治療をしてくれた主治医に惚れるなんて、お前、本当に簡単だな」  鼻で笑われて、遥はますますヒートアップする。 「稜而にとって、遥は簡単だけど、ほかの人にとっては、遥は簡単じゃないもんっ! 稜而が先じゃないもんっ! 遥が先に好きになったんだもんっ! ほだされたのは稜而だもんっ! 遥が自分で先に稜而を素敵って思って、キャベツに決めたのっ! 稜而は『俺はキャベツじゃない』って言ったけど、今は遥のあげるポジション全部だから、稜而はキャベツだもんっ!」 「お前の日本語、わけわかんねぇ。……あんないけ好かないオヤジのどこがいいんだか」 「むきーっ! 遥ちゃん、本気で怒るよっ?! オレ、喧嘩は負けないかんねっ! 負けても最後っ屁だけはするかんねっ! ぶーっ、なんだからっ!」 椅子から立ち上がった遥のシャツの裾を、論がそっと引っ張った。 「遥。立ち上がったら本当に喧嘩になるから座って。建志も深呼吸したほうがいい」 「はんっ! Excuse me, I'm going to the little boy's room(男子トイレへ行ってきます)!」 建志は、遥と論に向かって顔を突き出し、目を見開いてゆっくり丁寧にそう言うと、教室から出て行った。 「Manneken Pis(小便小僧)!」  遥は中指を立て、論はその手を自分の手でそっと包んで窘めた。

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