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第33話

「たきあがーれ、たきあがーれ、たきあがーれ、はくまいー! りょうじー、つくるー! まだチキンがやーけるー じかんがーあるーからー きょだいなーなべをー、まぜろー、まぜろー、まぜろー!」 稜而が骨付きの鶏もも肉を焼きながら、寸胴鍋いっぱいに作ったカレーをかき混ぜているのを見つつ、遥は納戸とダイニングルームを往復していた。 「遥ちゃん、この更紗の帯をテーブルランナーに使ってみない? エスニックなイメージに合うんじゃないかと思うの」 茶道教室の前に手伝いに来てくれたミコ叔母さんは、今日は水色の着物に白い帯という秋空のような取り合わせで、無駄なく美しく手足を動かす。  納戸の桐たんすを開け閉めして、テーブルクロスに使えそうな布を探してくれる左手薬指には、細かな傷がたくさんついて静かに光る指輪があった。遥は憧れのまなざしで見る。 「ミコ叔母さんの結婚指輪、素敵」  ミコ叔母さんは言われて初めて気づいたように自分の指輪を見る。 「こんな指輪一つでも、最後の切り札かしらね。なかなか効果があるわよ」 「切り札?」 「そう。呉越同舟、順風満帆な日ばかりじゃなくて、風が吹かない日も、あらしの日もあるけど、この舟から飛び降りようかどうしようか、海に身を投げようか、相手を突き落としてやろうか。考えることがあっても、まぁもう少し踏みとどまろうかしらって、ね」 「あーん……、結婚って、ホラーとサスペンスなのーん……」 ミコ叔母さんは声を立てて笑った。 「遥ちゃんはまだ若いし、何もかもこれからでしょ。いろんな人の生き方を見て、ゆっくり考えるといいわ」 「うん。……遥ちゃん、まだ結婚は早いのかしらん?」 「決意したときがタイミングでしょうから、早いも遅いもないとは思うけど、焦る必要はないと思うわ。遥ちゃんはまだ十七歳でしょう? 結婚は十八歳からだわ」 「あいあま、せぶんてぃーん……。まだ結婚できないのーん……」 遥の俯く姿を見て、ミコ叔母さんは笑った。 「遥ちゃんの人生はこれからよっ! 私なんて遥ちゃんの三倍くらい生きてるけど、まだまだこれからって思ってるわ」  ぽんぽんっと背中を叩かれ、更紗の帯をダイニングテーブルに運んだ。 「あーん、一気にエスニックなフインキなのーん! インド人もびっくりーん!」 さすがに更紗の帯にカレーをくっつけるのはしのびなく、上から透明なビニールのテーブルクロスを掛けていると、ミコ叔母さんはハンドバッグを手に立ち上がった。 「それでは、楽しいパーティーを! 少ししかお手伝いできなくて、ごめんなさいね」 遥と稜而に手を振って、あっという間に茶室へ行ってしまった。 「遥も光らない結婚指輪がいいな……」  稜而の隣でサラダを作りながら呟き、稜而の視線を感じてぶんぶんと頭を振った。 「ち、違うの。ええと、ミコ叔母さんのピカピカじゃない指輪が素敵だったから、そう思っただけ。ええと、あの……。違うの、違うの、よー。は、遥ちゃんってば、夢見る王子様だから、その……、やーん……! やーん、なのーん!」 次から次へ手早にレタスをちぎり、さらに猛スピードでニンジンを千切りにした。その様子を見て、稜而は片頬を上げる。 「ま、そういうことは、いずれな。恋愛と違って、具体的にクリアしなければいけない問題が出てくるから、キーパーソンの反応を見たり、根回しをしたり、時機を見る必要もあって、すぐにとは言えないから」  稜而は鍋の中を覗き込みながら、当たり前のことのように言った。 「稜而、遥ちゃんと結婚するつもり、なのん?」 「時機が来れば。遥が大人になるのも待つし、俺も足場を固めるまで待たせると思うけど。遥がそれでもよかったら」 「ひゃーん……、どーしよー……」 「返事は焦らなくていい。でも遥をほかの奴に渡す気はないから、そのつもりで」 「う、うん。……抱きつきたいのーん……」 「いいよ」 稜而はレードルから手を離し、遥に向かって両手を広げた。 「あーん、稜而ぃ……!」 ぱふん、と胸に飛び込み、その身体を稜而はしっかり抱き締めて、遥の髪に顔をうずめた。 「好きだ、遥」 「う、うん……。は、遥も……、好き、よ、稜而のこと」 「よかった。両思いだ」 稜而は遥の後頭部を撫でた。 「りょ、りょーおもい、なのん……」 遥は稜而の背中におそるおそる手を回し、稜而の頸動脈に遥のこめかみが触れて、そのテンポの速さを感じ取った。 「稜而も遥もドキドキ……」  稜而に鼻先で突き上げられて催促され、顔を向けてキスしようとした瞬間、遥の携帯が鳴動した。 「あ! バス停まで迎えに行かなきゃ!」  離れようとした遥を、稜而は抱き締め、顎をとらえてしっかり唇を重ねた。 「浮気なんかさせないからな?」 「稜而もねっ!」 二人は額をごっつんことくっつけあって笑った。

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