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第34話
病院前のバス停には、赤いスパイクヘアの毛束をねじっている建志と、レンタルビデオショップのバッグを持って静かに立つ論の姿があった。
「おまたせーん!」
ジョンの家の角からずっと坂道を駆け下りて行った遥は、勢いづいて止まり切れないのを、建志に抱き止めてもらった。
「わー! ムスクーっ! 大人っぽいね」
バラ色の頬を持ち上げて笑い掛けると、建志は遥を突き放して前髪をねじった。
「あーん、褒めたのにぃ!」
ぷっと頬を膨らませると、論がマッシュルームヘアの内側ですっきりした切れ長な目を細める。
「『メリー・ポピンズ』を借りて来たよ」
「おーいえー! すーぱーかいものいっしょにいきましょとくばいひんはどーれ? いつもやすすぎるおみせだけーど、おおきなかごでかえたらすっきーり! すーぱーかいものいっしょにいきましょとくばいひんはどーれ?」
遥はくるくる回転しながら飛び跳ね、ちむちむにー、ちむちむにーとスキップで坂道を上る。
「ここはジョンの家!」
坂を上り切った角にある白亜の豪邸を紹介すると、塀に肘をつき、親指と小指を立てて作った電話に耳を傾ける。
「Allo 、Mademoiselle John !」
「がうー、ばうっ、ばうっ! ぐるるるる……、ばうっ! がうー、がるるるるる」
塀の内側からジョンが吠えた。
「元気だって! よかったね!」
遥はスキップを再開する。
「おい遥。今の犬、唸ってなかったか?」
塀を見上げながら建志が訝し気な顔をする。
「ジョンは負け犬の遠吠えなのーん!」
「わおーん!」
「あはは。聞こえてたみたい。わおーん!」
ちむちむにー、ちむちむにーとスキップを続け、レンガの塀を辿って、アイアンロートの門を開け、両脇にコデマリが植えられたアプローチを抜けて、ステンドグラスを嵌めた白いドアを開ける。
「たっだいま帰りましたーん! どうぞどうぞお上がりくださいなのーん! ようこっそー、ここーへー、たべよーうよカレーライス! はちーみつとりんごー、いれてー! おーとなはー、たべーない、あまーくーちカレーライス、ゆめーのーしーままーではー、けいようっせんー! 夢の島公園へお越しの方は、JR京葉 線、地下鉄有楽町 線、りんかい線の新木場 駅をご利用くださーい! しゅっぱーつ、しんこーう!」
遥は、恐竜の足をかたどったぬいぐるみのようなスリッパへ足を入れ、二人にはジャガード織の底の厚い来客用のスリッパを勧めて、内階段ではなく、緩やかに弧を描く絨毯敷きの階段で二階へ上がる。
「おかえり、遥。建志くん、論くん、ようこそ」
稜而はキッチンから出てきて、正統派王子様の笑顔を振りまき、西洋人顔負けのスマートさで遥とハグをして左右の頬を交互に触れさせながら口の中でキスの音を立て、積極的に建志と論に握手を求めた。
「今日はよく来てくれたね。どうぞ、自分の家のようにくつろいで。飲み物は何がいいかな」
すらりと部屋の中へ案内し、好みの飲み物を訊いてサーブする。
「遥は?」
空のタンブラーグラスを軽く掲げて見せられて、遥はバラの花がほころぶように笑った。
「グレープフルーツジュースがいいな」
稜而は笑顔で受け止めて、タンブラーグラスに氷を入れ、静かにグレープフルーツジュースを注いで、遥に渡してくれる。そしてその間も
「大咲 駅行きのバスはすぐに乗れた? 日曜日でもバスの本数は多いのかな?」
と話題を提供し、気まずさや緊張を感じさせない配慮をする。
「稜而、すごーい。できる子なのん」
いつもつっけんどんな建志も、ぽつぽつと返事をし、意外にも論が素直に受け答えして口数が多い。
「建志は昔から運転席のすぐ後ろに座るのが好きで、遥も好きだから、親近感が湧いたみたいです」
「二人は幼馴染みなの?」
「はい。台湾で同じ日本人学校に通っていました。高校は僕はウィーンへ行っていたんですけど、建志が日本の医学部を受けるというので合流しました。高認をとれたので、とりあえず一安心です」
すっきり切れ長の目が細くなるが、建志はそっぽを向いた。
「医学部なんか受けなくても、ピアノを弾いていればいいんだ」
「僕も医学部に行きたくなったんだよ」
突っかかる言い方をする建志に、論は柔和な笑顔を見せた。
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