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第36話

 食事が終わると、論はレンタルビデオショップのバッグから、DVDを取り出した。 「遥のお望み通り、借りて来たから観よう」 「おーいえー! ちむちむにー!」 遥はポップコーンを抱え、ベッドのように大きなソファへぽふんっと座った。  その左右に建志と論が座り、論の隣の一人掛けの椅子に稜而が座る。  大きな画面いっぱいにロンドンの街が映し出され、音楽が始まると、遥はぴょこぴょこ身体を揺らして喜び、 「いえーい! はじまり、はじまりー!」 と言ったきり、映画の世界へのめり込んだ。  論もしばらく一緒に見ていたが、画面よりも、画面を見ている稜而の横顔を見ている時間の方が長く、ついに稜而のほうへ身を寄せて、小さな声で何かを言った。  稜而は小さくうんうんと頷いて立ち上がり、小さな仕草で論をエスコートしてリビングルームから出て行った。 「ロンロン?」  さすがに隣に座っていた遥も気づいて、二人が出て行ったドアを見たが、建志はすぐに 「bathroomじゃね」 と呟く。 「そっか」  遥は首を斜めに傾けたまま頷いて、映画の世界へ戻って行った。 「あーん、今回もやっぱり素敵なお話だったのーん! 毎回素敵な結末なのよー! おーいえー!」 「同じ映画を見返してるなら、同じ結末になって当然だろ」 「人生も映画も、ものの見方ひとつ。素敵な結末だって思えたときは、遥ちゃんの心はいい天気なのーん」 自分の両手を胸の上に重ね、ミルクティ色の巻き髪を優しく振った。 「遥、特典映像も観ようぜ」 「おーいえー!」  建志が立ち上がり、ディスクを入れ替えて、遥の隣へ戻ろうと振り返ったとき、遥の背後を見て、大きく目を開いた。  遥も背後を振り返り、若草色の目を見開く。  ガラス越しにバルコニーに立つ稜而の背中と、その背中に張りつく論の両手がはっきり見えた。 「え……?」  遥の目は見開かれたまま、呼吸が止まって、頬からはいつものバラ色が消え失せていた。 「あいつ、何やってんだっ?」  遥より先に我に返った建志がソファーを飛び越え、バルコニーに向かって飛び出していく。 「論っ! お前、何やってんだっ!」  それでも論の手は稜而の背中から離れなかった。むしろ背中に張りつく手に力がこもったように見える。  稜而が建志のほうへ振り向いたので僅かに上体がねじれ、その胸に論が顔を押しつけている様子まで見えた。 「僕が、稜而先生の妻になるっ!」 論は泣き濡れた顔で宣言すると、また稜而の胸へ顔をうずめた。 「ちらりー、ちらりらりーらー……。鼻から牛乳ファウンテンなのーん……」  遥はようやく詰めていた息を吐き出し、新鮮な空気を鼻から吸って、深呼吸をした。 「は、遥ちゃん、こういうときはおまじないを言うのよ。『お楽しみはこれからだ』。全っ然、楽しくなさそうだけど。ううん、メリー・ポピンズが言ってるでしょ。ものの見方ひとつ、お砂糖ひと匙よ。……稜而のひいお祖父さんの弟っていう人は、甘い物は嫌いって何度も日記に書いてるのに、栗の渋皮煮を作るのにお砂糖二十一匙入れたっていう記録もあるし、遥ちゃんもお砂糖があれば、きっと大丈夫なの」 キッチンへ回り道をして、スミレの花が描かれたシュガーポットを手にベランダへ行った。 「お砂糖ひと匙なのよ」  遥はシュガーポットから角砂糖を一つ取り出し、自分の口へ入れる。 「お前、何やってんの?」 遥の行動に目を丸くした建志の口の中へも角砂糖を一つ、強引に押し込んだ。 「んがっ! やめろって! 何で砂糖だけ食わなきゃならねぇんだよ」 「和三盆糖だって、氷砂糖だって、そのまま食べるでしょ! 今は緊急事態なのっ! 頭に糖分が必要なときなんだから、タロジロ言わないの! 東京タワーの下で銅像になっちゃうんだからねっ!」 「意味がわかんねぇよ! メデューサにでも遭うのかよっ」 「南極でお留守番して、探検隊のおじさんにもう一度会うのっ! タロー! ジロー! よーしよし、わしゃしゃしゃしゃなのよっ!」 「最後のほう、南極じゃなくて、北海道だろ! ますます意味がわかんねぇよ!」 「稜而はわかるよねー! はい、あーん! はい、おりこうちゃーん!」 稜而は胸元に論を貼りつかせたまま、ニッコリ笑って素直に口を開け、素直に角砂糖を食べた。 「何で簡単に口開けてんだよっ! どうして笑ってられるんだよっ! バカップルにも程があるだろ! 恋は盲目過ぎるだろ!」 「あーん、稜而、美味しい?」 「遥が食べさせてくれるものなら、何でも美味しい」  稜而は正統派王子様の笑顔を遥に向ける。 「おーいえー!」 「稜而さん、無防備すぎるだろ! 毒盛られっぞ! 味噌汁気を付けたほうがいいぞ!」 「あーん、遥ちゃんのお味噌汁は、実は赤味噌なのよーん。……はーい。ロンロンも、お砂糖ひと匙なのよー」 遥は論の口元へぐいぐい角砂糖を押し付け、論はますます稜而の胸にしがみついて、マッシュルームカットを振った。 「いらないっ! 稜而先生の妻は、僕がなるっ!」 「あーん、稜而の妻は遥なのーん!」 遥は地団駄を踏みながら、ミルクティ色の巻き髪を振る。 「あー、もう! だから何なんだよ、この展開ーっ!!!!!」   建志は両手を握りこぶしにして、空に向かって咆えた。
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