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第40話

 冷蔵庫で冷やしたタネを、バッター液に絡め、生パン粉をまぶして、熱した油の中へそっと滑らせる。すぐに菜箸で触りたくなるのを我慢する。 「遥ちゃんはせっかちで、何でも早く早くって思っちゃうから、揚げ物のときは気をつけないといけないのん。……まーつーの、はるかちゃん、まーつーの。たとえおなかーが、すいてたとしてーも! まつのー、まつのー、さわらないで、まーつーのー!」 歌いながら待ち、時折裏返してきつね色になったタイミングで引き上げる。  キッチンペーパーに触れさせて、油を吸い取ってから、網の上に並べていく。 「あれっ? 一個足りなくなくないなくなくなーい?」 「あっっっつ!!!」 振り返ると、キッチンスツールに腰掛けて、稜而が揚げたてのコロッケを頬張り、はふはふと天井に向かって息を吐いていた。 「ふはひ(うまい)!」 「あーん、いつの間に! イリュージョンなのーん!」  遥が唇を尖らせると、稜而がやって来て、その唇にキスをしてなだめるくせに、もう一つ揚げたてを失敬していく。   「ディナーのときにお腹いっぱいで食べられなくなっちゃうんだから!」 「コロッケは別腹」 「うっそーん。人間の胃はひとつなのーん!」 「遥だって、チョコレートは別腹のくせに」 「チョコレートの一個と、コロッケの一個は、大きさが全然違うのん!」 言い合う間に、稜而は二つ目のコロッケも食べてしまい、三つ目のコロッケへ視線を送る。 「これ以上はダメ。お夕飯のときに、皆さんご一緒にいただきますってするのん!」 遥はコロッケを背中にかばった。  稜而が内線で連絡すると、理事長は軽やかな足取りで階段を上がってきて、ダイニングテーブルへついた。 「うん、美味しい。とても美味しい。遥くんは料理が上手なんだね」 遥の腕前を笑顔で褒めながら、理事長も飲み物のようにコロッケを食べる。 「お、親子なのん……」  ポトフを食べるのを忘れて、コロッケが消えていく様子を眺めていると、理事長が稜而と同じ形をした目を細め、照れくさそうに笑った。 「どういう訳か、先祖代々コロッケが好きでね。私のお祖父さんはとても長生きだったけど、長生きの秘訣を訊かれるたびに『コロッケだけは我慢しないと決めて、存分に食べているからです』って答えていたくらいなんだ。九十九歳まで生きたよ」 「ご長寿さんなのーん」 「その息子にあたる俺のお祖父さんは、コロッケを食べながら『ああ、コロッケを食べたいなぁ』って言っていたからな」 隣で絶え間なくコロッケを食べ続けていた稜而が笑う。 「どういうことなのん?」 「コロッケを食べながら、コロッケのことを考えて、コロッケを食べたくなるんだって言ってた」 「ふ、複雑なのん……」 戸惑う遥に、理事長は手を広げて見せた。 「私は一日五食コロッケを食べたい」 「五食?」 理事長は広げていた手の指を一本ずつ折って数える。 「朝食・昼食・おやつ・夕食・夜食」 「だ、大好き過ぎるのん……」 「フランスでパティさんにもコロッケの話をしたけど、やっぱり『大好き過ぎる』と言われたよ。親子だね」 「親子でなくても、同じことを言うと思うのよー……」  コロッケがひとつもなくなって、ようやくポトフの皿にスプーンを差し入れながら、稜而が質問した。 「遥のお母様って、遥と似てる?」 「遥ちゃん、ハーフだからわかりにくいけど、実は父親似なのん。髪と目を黒くしたら、パパにそっくりなのん」 遥の言葉に理事長はゆっくりと深く頷いた。 「遥くんは、お父様によく似ているね。パティさんには観光も食事も付き合ってもらって、アルバムも見せてもらいながら、いろんなことを話した。何度も何度も、遥くんのことをとても愛していて、心配してると言っていたよ」 「あーん、ホームシックになっちゃうのー……。遥ちゃんもママンのこと、愛してるのよー」 「なるべく長く休暇を取って、十二月上旬にも日本へ来ると言っていた。我が家に滞在してもらうように頼んであるから、休暇中はずっと一緒にいられると思うよ」 「ママンに、一緒に病院の天窓を見に行こうって、言ってみるのん……」  遥の呟きに、理事長と稜而はよく似た微笑みを浮かべて頷いた。
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本文からはカットしたけど、残しておきます。 ----- 「お祖父さんの弟、つまり私の大叔父なんだけど、その人もコロッケが好きでね。ウチヘ遊びに来るときは、決まってコロッケを作ってもてなしていたんだ。大叔父は脚本や小説を書く人で、いつも幼い子供の目から見ても息を飲むように美しい女形の役者さんを連れて遊びに来るんだけど、誰もその役者さんには見向きもしないで、コロッケにばかり夢中になって、『当代一の女形も霞む』って皆で笑っていた」 「その役者さんの写真を書斎で見たけど、一緒にいたら食事も喉を通らなそうな美人さんよ……」 ----- 舟而と白帆の時代、大咲はなかなかの田舎というイメージでしたが、実際には上野から山手線で半周弱でしたから、帰省は気軽だったのかなと思います。

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