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第43話

「もうっ! ママンはすぐにドアを開けるのん! 男の子の部屋のドアはノックして、どうぞって言われてから開けるのよー! むにさんもそう言ってたのん! むきーっ!」 ソファの背もたれに掴まって、ぴょんぴょん跳ねながら文句を言う。 「リビングルームのドアでしょ?」 母親は肩を竦めて息子の主張を受け流そうとする。 「二階は全部、稜而のプライベートエリアなのんっ! 二世帯住宅! お二階はよそのおウチなのんっ! ママンは一階に泊めてもらってるんでしょ!」 糸切り歯を見せて吠える遥の肩を、稜而が優しく叩いた。 「そんなに厳密なものでもないから」 「だって、びっくりするのよぅ! 稜而と遥ちゃんが、エッチな……、ええと、その。そう! エッチなムービーを観てたらどうするのー! あはーんとか、うふーんなのを観て、ぐへへへへってしてるのは、男の子チームだけの内緒なのよー!」 遥はミルクティ色の巻き髪をぶんぶん振った。 「わかったわ。今度はノックしてからドアを開けるわ」 「ダメっ! 先生みたいに、内線してからーっ! 使い方教えるから、一階から内線電話してなのんっ! リンリンリリンしてねっ!」  遥はダッフルコートを着て、ロングマフラーをぐるぐると巻くと、その中に顔を半分埋もれさせた。  稜而はダウンジャケットをを羽織り、両手をポケットに突っ込む。 「再開発地区に、稜而の同級生の店があるんだ。行こう」 理事長の案内で、ジョンの家の角を曲がり、坂道をずっと下って大咲駅前を目指す。  理事長と母親は笑顔を浮かべながら会話をし、ときどき肩が触れ合うほど近い距離で並んで歩いていて、稜而と遥はそのすぐ後ろをついて歩いた。 「あーん、キラキラなのーん! あおいひーかりー、ずーっとついてる、 LEDで、りーずなぶる、きれいーすぎてー、みとれーてしまうわ、ちゃんと、あたーたーかくしーてーね」 駅前のロータリーは工事が終わり、葉を落とした街路樹に小さなLEDライトがたくさん灯されて、葉がないからこそはっきりと夜の街に樹形が浮かび上がっていた。 「こんなにロマンチックだったら、恋人たちは愛を語っちゃうのよー! おーいえー!」 遥が親たちのすぐ後ろをスキップしていたら、稜而が遥の肩を叩き、両手でその耳を覆った。そして遥が教えた通りの完璧な発音で、深く甘く真面目に囁く。 「Faisons l'amour toute la nuit(一晩中セックスしよう).」  遥はふるふるっと身体を震わせ、若草色の目を大きく見開いた。 「やっ……、やーんっ! 今、それを言うのんっ?! やーんっ!」 すぐ前を歩く親たちの背中を見て、開いた両手を自分の口の前にかざし、それから熱くなった頬を自分の手で包んだ。 「やーい、照れてる!」  稜而は遥の顔を覗き込み、子どもっぽく遥を囃し立てると、両手をダウンジャケットのポケットに突っこんだまま、軽やかに走り出した。 「ちょっ! 何だよーっ!」 遥もぱたぱたと走り、稜而を追いかける。  稜而は親たちを追い抜いて走り、ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま振り返って遥を見る。遥も親たちを追い抜いて走り、こちらを向いて立っている稜而のもとへ駆け寄る。 「もーっ!」 突進してくる遥を、稜而は闘牛士のように身をかわして避け、ひらりと花壇の縁に飛び乗る。 「牛さん、こちら!」  遥が花壇の方へ駆け寄ると、稜而は花壇からすとんと降りて遥の背後に回り込み、横から遥の顔を覗いてからかう。 「あーん。もー! もー!」 遥が振り返っても、振り返っても、稜而は背後に回り込み、仕上げに遥を背後から持ち上げ肩に担いだ。 「きゃっ!」 「牛一頭掴まえた。さあ、煮るか、焼くか、どうしようか」 「やーん、稜而に食べられちゃうー!」 両手足をぱたぱた動かしていると、親たちが笑ってこちらを見ていた。 「先生とママンに笑われてるのん」  稜而はくるんと両親の方へ向いて、顔の横にある遥の尻をぽんぽんと叩いて見せた。 「遥のこと掴まえたけど、どうやって食べる?」 「ポトフに入れてゆっくり煮ようかしら」 母親が笑いながら言う。 「しっぽはテールスープにしようかな」 理事長もそう言って笑った。 「あーん、誰も助けてあげようって言わないのーん! えーん!」  遥は泣き真似をして、稜而はお尻をぽんぽん叩いて慰める素振りでとどめを刺す。 「俺は皮を剥いで、ジャケットにしよう」 「やーん、剥いたら痛いの、ヒリヒリなのよー! 海水がしみちゃうのん!」  ぱたぱたと背中を叩いて訴えたら、地面の上に降ろされた。肩に手を回され抱き込まれて、耳に口が寄って来る。 「そうだな、遥はガキだから、剥いたら痛いよな?」 「あーん、遥ちゃんは慎ましやかな火星人だもん! 稜而と一緒だもん! 痛くないもーん。べろべろばーっ!」 「お、童貞のくせに生意気」 稜而は笑って、遥の頭を抱え込んで、そのまま親たちと距離をとって歩いた。 「ど、童貞っ?!」 「ばか、声がでかい。……だってお前、挿れたことないだろ? 童貞確定」 「うっそーん! じゃんじゃんばりばり、出ます、出します、出させます! 本日大甘の調整となっております、じゃんじゃんばりばり、じゃんじゃんばりばり、お出しくださーいって、やってるのにー?」 「じゃんじゃんばりばりと、童貞かどうかは、話が別」 「あーん。遥ちゃんが童貞なら、稜而は処女なのー?」 「どうかな?」 「うっそ、マジでー?」 「さあ?」  遥がさらに追及しようとしたとき、稜而は足を止めた。  真新しい高層マンションの一階に、『割烹 渡良瀬』と看板が出されていた。

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