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第46話

「♪ あーわわっわっ、あーわわっわっ、あーわわっわっ! あーわわっわっ、あーわわっわっ、ああ、はるかのナイロンタオル! ♪ 日本のナイロンタオルは素敵ー! 泡立ち最高なのーん! 背中もしっかり洗えるのよー!」 全身を舐め回され、ローションを塗りたくられた遥は、稜而と一緒にバスルームへ逆戻りしていた。 「♪ くーびせなかおしり、あーしこしおしり、うーでかたおしり! ナーイロンタオル、りょうてでにぎり、しりからしりへ! はーくいがとーってもおにあいですと、かーたなどだいてー、ちょいとはるかちゃん、なれなれしいわー! ♪ あーわわっわっ、あーわわっわっ……」 丸くて小さな白い尻を振って歌い踊る遥の姿に、稜而は隣で自分の身体を洗いながら、その姿を見て口許に笑みを浮かべる。 「楽しそうだな」 「あーん、今日も素敵な一日だったのよー! キャベツとの愛の交歓も恥ずかしくて気持ちよくて素敵だったし、皆でお鍋を食べたのも賑やかで温かくて楽しくて素敵だったのん! お鍋とココアとセックスと。楽しいことしかない一日なんて、最高でしょー! あーわわっわっ、あーわわっわっ、ああ、すてきないちにちなのー!」  ラベンダー色の湯に身体を浸し、稜而の胸に背中を預けると、たちまち大きな欠伸をした。 「明日も出掛けるし、早く寝よう」 「うん……。でも楽しみで、上手く眠れるかどうかわからないのよ。遥ちゃん、歌舞伎を観るのは生まれて初めてなのん。稜而は観たことある?」 「中学生か高校生のときに、歌舞伎鑑賞教室へ行った、という事実だけは覚えているけど、内容は覚えていない。居眠りでもしていたんじゃないか」 「もったいないのーん」 「歌舞伎の価値なんて、そうそうわかるもんか」 「あーん、明日はきっとわかるのよ」 「いびきをかいていたら、起こしてくれ」 「もー。もーもー。キスして起こしてあげちゃうのよー! ほかの場所も起きちゃえばいいのよー!」  遥は大きな波を立てて振り返り、稜而の首に自分の腕を絡めると、しっかり唇を重ねた。 「おはようございますなのん。 ♪ あさごはーん、あさごはーーーん、あさごはん、たのしみ、うれしい、あさごはん、たのしみ、うれしい、まだかな、まだかな、まだなのっかっなーっ! あさごはーーーん! ♪」 遥と稜而が洗面を済ませて一階のテーブルへ行くと、理事長と母親は白目を充血させながら、白っぽい顔をしてコーヒーを飲んでいた。 「ママン、どうしたのん?」 「久しぶりにバーへ行って、楽しくて閉店まで居座っちゃった」 「バーって何時までやってるのん?」 「私たちが行ったお店は、午前四時」  苦笑する母親にコーヒーのおかわりを渡しながら、理事長も苦笑していた。 「つい話し込んでしまった。これも朝帰りになるのかな?」 「うれっしはずかしあーさがえり? だったら、遥ちゃんも稜而と朝帰りしたことあるのーん! ね?」 「朝帰って来るだけで朝帰りなら、俺なんて週に一度は朝帰りだ」 稜而は二つのマグカップにコーヒーを淹れ、遥の分は砂糖とミルクを入れてかき混ぜてから差し出す。 「稜而は、晩御飯を食べてるときでも、お風呂に入ってるときでも、夜中に寝ているときでも、電話がかかって来るのん。『十五分で行きます』って、いなくなっちゃうのよん」 「オンコール当番っていうのはそういうものだからな」 「お医者さんって忙しいのよー」 「自分の受け持ち患者さんの状態が安定しないと、休みの日でも気が気ではないし、自分で忙しくしてしまうところもあるかな。稜而も今年は遥くんが心配で、結局夏休みは返上だった」 な? と父親に笑い掛けられた稜而は、コーヒーを飲んでマグカップで顔を隠す。 「別にほかの先生にお願いしてあったし、心配というのでもないけど、フランスから一人で日本に来ていて、お見舞いもほとんど来ないし、心細いかと思って」 「あーん! 毎日来てくれて、ご飯も一緒に食べてくれたのよー! 寝るまで隣にいてくれたのーん! だから遥ちゃんは、稜而になついちゃったのよー!」 両手にマグカップを包んで、遥は稜而に向けてぱたんと頭を倒した。 「もし自分に弟がいたら、そのくらいの心配はすると思うし」 稜而はまたマグカップで顔を隠し、遥はミルクティ色の巻き髪を振った。 「あーん、遥のお兄ちゃんなのーん!」 「二人は仲のいい兄弟のようだね」 理事長の笑顔に、遥は笑顔で頷いた。 「遥ちゃん、稜而の弟なのん!」  遥はトーストの上に焼いたベーコンとチーズスクランブルエッグを乗せ、メイプルシロップを垂らして食べながら、椅子の上で小さく飛び跳ねた。  ちょうど朝食を終えたタイミングで、「ごきげんよう」とミコ叔母さんがやって来て、遥は猫のように素早く手と顔を洗って玄関へ飛び出していく。 「ごきげんようございますなのーん! 今日もよろしくお願いしますいたしますですー!」 「ごきげんよう、遥ちゃん。早速お仕度しましょうか」  そう言うミコ叔母さんの着物は、晴れた日の海のような青い無地の着物に、白地に銀糸でユリの花の輪郭を刺繍した帯、そして赤い帯紐と赤いガラスのハートの帯留めをしていた。 「やーん、ミコ叔母さん! ♪ ようこそにっぽんへ、くっくくくー、はるかのおかあさんー ♪ なのよー! フランス国旗ぃ! そしてフルール・ド・リスなのよー! ありがとー!」 「気づいてくれた? 少しでもお会いできて嬉しい気持ちをお伝えできたらと思ったのよ」 「ミコ叔母さん、大和撫子なのよーん!」 遥がぴょんぴょん跳ねる姿に目を細めた。 「まずは遥ちゃんが大和撫子になりましょうね」 「おーいえー! 蜜柑のお着物、おこたで遥ちゃんを食べてーなのよー!」  桐箪笥が置かれた和室で、裾除け、肌襦袢、補正ベスト、長襦袢、長着と着せてもらい、帯を締めてもらった遥は、ドレンチェリーのように赤い唇を左右に引いて、バラ色の頬を持ち上げた。 「あーん、遥ちゃんったら着物まで着こなせるなんて、素敵すぎるのよー! キュートなヤマトナデシコちゃんに、皆、めろめろぱんちなんだからーん」  蜜柑色の江戸小紋の一つ紋に、瞳と同じ若草色の流水文様を描いた金襴の帯をお太鼓に結んでもらい、さらに結った髪にも若草色のリボンをあしらってもらって、袖口を掴み、袂を広げて、姿見の前でくるくる回って全身を見る。 「さすが遥ちゃんね。本当に着こなしちゃってるもの」  ミコ叔母さんは畳紙を片づけながら、遥の姿に目を細めていた。 「ミコ叔母さんのおかげよー! メルシーボークーなのーん!」 遥は二階へ戻って、バスルームにいた稜而の前へぴょんっと飛び出る。 「見てー、キャベツぅ! 遥ちゃん、超、超、超、超、ヤマトナデシコでしょー?」 「大和撫子かどうかはさておき、よく似合ってる」 バスルームの鏡に向かい、珍しく整髪料をつけて髪を後ろへ流していた稜而は、遥の姿を頭のてっぺんからつま先までしっかり見て、素直に頷いた。 「ドキドキしちゃうでしょー? 裾を捲り上げて、後ろからファックしたくなっちゃうでしょー? 鏡に映しながらしちゃって……」 「はいはい、大和撫子はそういうことは言わない」 稜而は左右の人差し指で遥の唇の前にバツを作り、王子様の笑顔で笑った。

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