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第52話

「♪ファーストクリスマス、トナカイデビュー! プレゼントをっ、とどけるの! こーとしは、なかないの! あかはっなルドルフ♪」 母親の隣でポトフの鍋を覗き込みながら、遥が気分よく歌っていると、背後から目隠しされた。 「ひゃあ!」 「メロディと歌詞がこんがらがってないか」 「あーん、お兄ちゃんってば、おかえりなさいなのん!」  遥は稜而とハグをして、左右の頬を交互に触れさせながら、口の中でキスの音を立てた。 「ママン特製のポトフと、栗おこわを詰めたローストチキン! キッシュ! 生牡蠣! 遥ちゃんはブッシュ・ド・ノエルと、クリスマスリースサラダと、カナッペと、タルタルを作ったのよー! ブッシュ・ド・ノエルはちゃんとスポンジから焼いたんだからーん。しかも中身は生クリームじゃなくて、バニラアイスを入れて作ったさっぱり味よ! フォアグラと、キャビアもちょっとありまーす! あ、もちろんコロッケはたっくさんあるのよー! おーいえー!」 賑やかに話す遥の頭の上にはトナカイの角のカチューシャがあり、鼻の頭は口紅で赤く染められていた。 「はい、稜而はサンタさーん!」 白いふわふわに縁取られた赤い三角帽子をかぶせられて、稜而は自分の額の上を見上げ、すぐ笑顔になった。 「ただいま帰りました」  稜而とそっくりの目を細めて入って来た理事長にも、遥は有無を言わさずサンタ帽をかぶせる。 「楽しいね。こんなふうにクリスマスを過ごすのは、とても久しぶりだ」 「そうかなって思ったのん。クリスマスツリーも飾りも、納戸の奥の奥の奥にあったのよー!」 床から天井近くまで届く大きなクリスマスツリーが金銀の玉や赤いリボン、金の星で飾り立てられていた。  ところどころに折り紙で作った天の川や輪飾り、『サンタさんが無事故無違反で過ごせますように』『ルドルフ、交通安全!』『忘れ物をしないように』などと書いた短冊が飾られていて、稜而と理事長はそのひとつひとつを見ながら会話し、愉快そうに笑って、二人は交互に遥の頭を撫でた。  テーブルセッティングされ、母親がアレンジメントしたテーブルフラワーが置かれた周りに料理を並べ、四人そろって乾杯をした。 「ルドルフの赤い鼻をレーダーで追跡するんだって!」  遥が身振り手振りを交えて賑やかに話すのに、理事長は目を細めて相槌を打つ。 「それは夢のあるシステムだね」 「遥の鼻も追跡されて、子供達からプレゼントをねだられそうだ」 隣に座る稜而に顔を覗き込まれ、遥は自分の頬を両手で挟んで肩を揺らす。 「やーん。遥ちゃんがプレゼントをもらいたいのよー」 遥が大きく口を開けて笑ったとき、理事長が「ああ、そうだ!」と立ち上がった。 「これ、遥くんに。私からクリスマスプレゼントなんだ」 持って来たのは、ハードタイプのギターケースで、中には弦を張ったクラシックギターが入っていた。 「ずっとフォークギターを使っていて、新しい物を持っていなそうだったから。遥くんの好みに合うといいんだけれど」 「い、いいの? 細工が細かくて、ニスが丁寧に塗ってあって、見るからに素晴らしいギターなのよん? このネーム、日本人の名工よ?」 言葉は遠慮気味なのに、遥の手は引き寄せられるようにギターへ伸びていた。  全体を眺め、近くのソファに座って腕の中へ大切そうに抱えると、六本のナイロン弦を次々に調弦し、上から下へかき鳴らす。 「うっおおおおお。大人っぽい甘い音なのーん! 豊かに響いてうっとりなのよー! 遥ちゃん、身体がぞくぞくしちゃうのん!」  それきり遥は演奏に没頭し、覚えている曲を次から次へと演奏した。 「指がナマケモノさんになっちゃってるのよ……」 と唇を尖らせるが、部屋の中には香り豊かで味わい深い音楽が満ちた。  二階から楽譜を持ってくると、クリスマスソングを弾き始める。 「皆さんご一緒に、歌いましょうなのよー!」 遥の周りに三人が集まってきて、全員で頭を寄せ合い、歌集を覗き込みながら、次々に歌を歌う。   Jingle bells, jingle bells, jingle all the way   Oh, what fun it is to ride in a one horse open sleigh   Jingle bells, jingle bells, jingle all the way   Oh, what fun it is to ride in a one horse open sleigh…  日本語訛りの英語と、フランス語訛りの英語が混ざり合って、誰の顔にも作り物ではない、腹の底から湧き上がっている笑顔が輝き、互いに視線を交わし合っては目を細めている。遥は自分が好きな人たちの笑顔に囲まれ、若草色の瞳を潤ませた。 「どうした、遥?」  笑顔の稜而に肩を抱かれた瞬間、上質な陶器のように美しいバラ色の頬に涙が伝った。 「ママン、帰っちゃ嫌なのん。皆で一緒にいたい……。ずっとこうやって楽しくしていたいのよ……。ご飯食べたり、お歌を歌ったり、したいのよ。たまには喧嘩したっていいから、一緒にいたいのん……」 稜而の肩へ目を押し付けて、勝手に下がってしまう口角もそのまま、鼻水もよだれも全部稜而のシャツに吸わせて泣いていたら、そっと手を取られた。  母親とは違う、しっかりとした温かい手で、振り返ると理事長が遥の手を取り、床に片膝をついて、遥の顔を見ていた。 「家族になろうか」 「え?」 「もし、遥くんが許してくれるなら、パティさんにプロポーズをさせてくれないかな」 「えっ? …………えええええええええええええっ?」  理事長の斜め後ろで、母親は両手で口元を覆いながら、早くも涙を流していた。  その姿に、一気に遥の頭は冷静さを取り戻す。肩が触れ合うほどの距離で歩き、笑顔で会話する二人、食事のあとにバーへ飲みに出かけた二人、ずっと一階の客間で寝起きしていた母親。 「そういうこと、だったんだ……」 「お前、思い当たる節なんかあるのか?」  稜而は涙も笑顔もなく、ただ目を見開いて全員の顔を見回していたが、遥は大きく深呼吸をすると、理事長の手をしっかりと握り返した。 「ママンを、どうぞお願い致します。でも、一つだけ条件を出させてください」 理事長は穏やかな笑顔を遥に向けて頷いた。 「たくさん長生きをしてください。ママンが家族を亡くして悲しくならないように、ママンより長生きをしてください」 「わかった。健康に気をつけて、パティさんより長生きできるように心掛けるよ」 遥の手を包み、しっかり握って、理事長は頷いた。  そして理事長は再び自分の書斎へ行って戻ってくると、母親の足元に片膝をつき、紺碧色のビロードのケースを開けて、母親に向けて差し出した。 「私と結婚していただけませんか」 母親は自分の胸を両手で押さえながら、しっかりと頷いた。 「はい、よろしくお願いします」 「ひゅー! おーいえー!」 遥は頭上で拳を振り回すと、クラシックギターでリスト作曲の愛の夢を演奏し、理事長は母親の左の薬指に、王冠のような立て爪で支えられた大きなダイヤモンドが堂々と光る指輪を嵌めた。 「ママン、おめでとうなのん! 末永くお幸せになのよー!」  遥は母親をしっかり抱き締め、左右の頬にしっかりとキスをした。

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