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第58話

 一階のダイニングルームにあるクリスマスツリーは、オレが納戸から引っ張り出して飾り付けた。金銀のオーナメントや赤いビロードのリボン、てっぺんには金の星。  ダイニングテーブルにはママン特製のポトフや、オレが作ったコロッケや、ブッシュ・ド・ノエル、いろんなご馳走が並んでいて、お父さんとママンと稜而がいて、みんな笑顔で、食べては笑って、しゃべっては笑って、オレはプレゼントを開けようと、席を立ってクリスマスツリーの後ろに回り込んだ。 「パパ!」  コール天の茶色いジャケットを着て、パパは笑顔で唇の前に人差し指を立てた。だからオレは声を小さくして話した。 「どうしたの、元気?」  パパはまた目を細めて、大きな口を左右に引いて口角を上げた。オレが笑うときと同じ顔だ。 「ママンが結婚するよ。パパを診てくれた渡辺先生を覚えてる? あの渡辺先生と結婚するんだ。オレ、ちゃんとママンのほっぺにキスしたよ」 パパは笑顔のまましっかりと頷いて、オレの頬にキスをした。 ***** 「パパ……」 遥が目を覚ましたとき、頬に稜而の唇が触れていた。 「ごめん、起こした?」  稜而は悪びれる様子もなく、目を細めた。 「ん……。一富士二鷹三茄子じゃなかった」 遥は苦笑して、枕の下から自作の宝船の絵を引っ張り出した。 「絵が下手だったかな」 遥は眉尻を下げて小さく笑う。 「嫌な夢だったのか?」  稜而は心配そうな声を出し、遥を自分の胸に抱き寄せて、何度も髪にキスをしてくれた。 「ううん。たぶん、いい夢だよ。でもまだ現状に追いついていない気持ちが揺さぶられる感じ」 遥が自分の胸に手をあてると、その手に稜而の手が重なった。 「無理をして平気なふりなんかしなくていいぞ」 「うん」 起き上がろうと身体に力を込めて、すぐに弛緩し、代わりに稜而の肩に額を擦りつけた。 「ねぇ稜而、ぎゅってして」 「喜んで」  稜而は身体の向きを変え、しっかり遥の身体を抱きしめた。それから遥のミルクティ色の髪をゆっくり丁寧に何度も何度も撫でた。  遥は額を稜而の胸に擦りつけて、稜而の日向ぼっこの匂いをゆっくりと吸い込んだ。 「安らぐ……」 「そう? 好きなだけどうぞ」 「背中も撫でて」 背骨に添ってゆっくり擦ってもらって、ようやく遥は表情を和らげた。 「気持ちのヒリヒリ、なくなってきたのん」 「よかったな」 「さて。今日もお弁当を作るのよ! おーいえー!」 遥は、前髪をパイナップルの葉のようにヘアゴムで結って顔を洗い、ジーンズリメイクのエプロンをつけてキッチンに立つ。 「今日のお弁当は、コロッケサンドと、熱々ポトフと、顔を描いたみかんなのよー!」 昨日どっさり作り、弁当用に冷蔵庫の奥に隠していたコロッケを取り出す。見つけた稜而が食べてしまわないように、『お弁当用! 食べたら一週間セックスなし! 遥の目の前であーんってオナニーすること!』と書いたメモ用紙も一緒に貼り付けてあった。 「うしししし。コロッケ無事だったのん! 今度からはこの作戦で行くのよー!」  軽くトーストした食パンに薄くマーガリンを塗り、千切りのキャベツを載せ、トマトケチャップと中濃ソースを同量混ぜて作ったソースを掛けて、サンドイッチにする。 「ラップに包んでずれないようにしてから、包丁を入れまーす! ドゥルドゥルドゥルドゥル……、ジャーン! 上手に切れましたー! これっくらいの、おべんとばこに! コロッケサンドをちょいと詰めて! スープジャーにポトフを入れて!」 尻を左右に振りながら歌っていたら、大きな手で両脇からしっかり腰を掴まれた。 「食べちゃうぞ!」 「あーん、食べて!」 すると稜而はしゃがみ込み、パジャマ越しに遥の尻に軽く歯を立てて口を動かす。 「あむあむあむあむ……」 「やーん、ホントに食べちゃダメなのよー! 遥ちゃんのお尻、なくなっちゃうのー!」 遥が明るく笑うと、稜而も片頬を上げ、遥の左右の尻たぶに音を立てたキスをしてから立ち上がり、背後からしっかり遥を抱きしめた。 「男に虚勢を張るなとは言わないが、俺と二人きりのときくらい、無理するなよ」 「うん。ありがと」 歯磨き粉の味がするキスをして、遥はふわりと微笑んだ。 「いってまいります」 「いってらっしゃいなのよ」 家の前で病院に向かう稜而に手を振って、遥は反対方向へ歩き始めた。 「稜而は元日も二日も日直さんで、大変なのん。遥ちゃんはいつもお留守番だけど、稜而は目に見えるものも、見えないものも、いっぱいくれるから、さみしくないのん。.......♪りょうじがはるかにくれたものっ、チタンせいのずいないていっ。りょうじがはるかにくれたものっ、たんじょうびのコンビニケーキっ。りょうじがはるかにくれたものっ、がいこつもようのカットソーっ。りょうじがはるかにくれたもの、すうがく2Bのもんだいしゅうっ。りょうじがはるかにくれたものっ、ロマンチックな……ないしょなのーん♪」  大咲駅とは反対方向に住宅街を抜け、都道を渡って線路沿いの道を少し歩くとカトリック教会がある。  遥は勝手にドアを開け、ぴょこんと一礼して、ステンドグラスの光が差し込む礼拝堂へ足を踏み入れる。聖水盤の中の水に指先で触れ、父と、子と、精霊の、み名のもとに、と胸の内で唱えながら、額、胸、左肩、右肩、と触れて、両手を合わせて、礼をした。

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