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第66話-フランス編-

「遥は、この景色を見て暮らしていたんだな」 フランス・ムランの街、母親が経営するフラワーショップの最上階の屋根裏部屋が遥の部屋だった。  稜而は窓枠に身体を寄せ、建物の隙間からセーヌ川が見える街の景色をデジタル一眼レフカメラに収める。  六月下旬は日本では梅雨だが、フランスでは初夏の過ごしやすい季節で、街のいたるところに色とりどりの季節の花が咲きみだれ、爽やかな風が石畳の上を滑る。  新しい家族として生活をスタートさせた四人は、両親の結婚披露パーティーと最後の荷物整理のために渡仏した。  屋根裏部屋の傾斜した壁はレモンイエローに塗られていて、星形のオーナメントがいくつもぶら下がり、床には虹のラグが敷かれていた。 「この家に引っ越してきてすぐ、オレが自分で塗ったんだ。自分で色を選んで塗っていいって言われて、楽しかった。部屋の壁はレモンドロップスみたいに明るい色がいいよね。♪Someday I'll wish upon a star. And wake up where the clouds are far. Behind me. Where troubles melt like lemon drops Away above the chimney tops. That's where you'll find me♪」  澄んだ声で歌う遥の姿に目を細め、取り出したデジタル一眼レフカメラでその顔を撮影してから、改めて遥の部屋を見回した。  決して広くなく、ベッドはシングルサイズで、今の住まいと比べれば見劣りするが、多感な時期を過ごしたこの部屋には、きっとたくさんの遥の喜怒哀楽が詰まっている。 「いい部屋だ。写真を撮っておこう」  稜而はカメラを向けて、くまなく記録した。 「それは、テーブル?」 稜而は四人掛けのダイニングテーブルくらいの大きさがあるシンプルな台を見て訊ねた。 「オレの学習机。オレがまだ幼稚園児だった頃、たぶんパパはその頃に病気の宣告を受けていて、何か思うところがあったんだと思う。材木を買ってきて、作ってくれたんだ」  遥は後ろ向きに机のふちに両手をつくと、そのまま飛び上がって上に座り、楽しそうに足をぶらぶらさせた。稜而は遥にいい? と許可を得てから机に手を触れて、裏側の構造まで見て頷いた。 「しっかりしたいい机だ。たくさん勉強ができるし、手紙も書ける」  太く厚い材を使って妥協なく丁寧に組み上げられていて、どの角も遥が怪我をしないように丸く削り、表面はささくれ立たないように丁寧にニスが塗ってあって、遥への愛情を感じる。  遥もその愛情に応えるように、この机を愛用してきたのだろう、彫刻刀で削ってしまった跡や、木目に染み込んだ油性マーカー、筆がはみ出したり飛沫が飛んだりした絵の具などがたくさんついていて、さながら図工室の工作台のように自由でカラフルだった。 「だろ? 『この机はラフィのものだから、ラフィの思う通りに使っていい。この上に座ってもいいし、この下で寝てもいい。ラフィだったら無限に使い道を思いつくはずだ。机がラフィの空飛ぶ絨毯や、海賊船や、潜水艦になることを楽しみにしてる』って。そういうノートが残ってる。手紙じゃたりなくて、ノートが何冊もあるんだ。オレはそそっかしいから、ママンが全部保管してくれてる」 「素晴らしいパパだ」 『Tu es mon trésor.(君は僕の宝物だ)』と刻まれた天板のふちを指で辿り、稜而は強く瞬きをして洟を啜った。 「ありがとう。新しいパパも素敵な人だけど、生みの父親も自慢のパパだよ」  柔らかく笑う遥を、稜而は強く抱き締める。遥はそんな稜而を受け止めるように抱いた。 「あーん。稜而が泣くこと、ないのよー! マタニティブルーなのー?! お腹の赤ちゃんは元気よ! 大丈夫よー! 遥ちゃんがおしめ替えてあげるから心配しないでー!」 慌てる遥を、稜而はさらに強く抱き締め、ミルクティ色の髪に頬を擦りつけた。 「それを言うなら、マリッジブルーだろ。……こんな気持ちのこもった机を作ってくれるパパを、遥の幸せを願ったパパを尊敬する。俺はパパへの尊敬を絶対に忘れない。パパが大切にしてきた遥を、俺も大切にする」 「稜而……。ありがとうなのん」  目の前にある銀色の片翼のペンダントヘッドに、遥はそっとキスをした。  さらに髪を撫でられ、稜而の顔が遥の顔の下に潜り込んできて、その唇へ自分の唇を重ねようとしたとき、部屋のドアがノックされた。 「ラフィ!」 「あ、遥ちゃんの従兄のレオが来たのん! ……はーい、どうぞー!」 「日本語?」 「レオは日本マニアなのん。遥ちゃんより日本に詳しいのよー! ニンジャはいるって信じてるのん!」 笑いながら部屋のドアを開けると、ダークブラウンの髪を短く刈り込み、両耳にも眉にも鼻にも唇にもボディピアスをつけた、背の高い筋肉質の男性が、ぬうっと部屋に入って来た。  稜而は一瞬たじろいだが、レオは遥を見た途端に、鼻にかかった甲高い声を出した。 「あーん、ラフィ! 会いたかったのよー! どうしてレオちゃんを置いていくのーん?!」 「あーん、ごめんねレオー! 遥ちゃんは、またフランスに遊びに来るのよー! レオもぜひぜひ日本に遊びに来てーん! 美味しいお菓子屋さんをご案内するわーん!」 レオと遥はしっかり抱き合い、向かい合って両手をつないでぴょんぴょん飛び跳ねる。 「フランス語話者が日本語を勉強すると、みんなこんな喋り方になるのか……?」 両手をつないだまま、キャッキャッと甲高い声で会話する二人の姿に、稜而は再びたじろいだ。

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