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第67話
「あーん、この人がお兄さん?! イーケーメーンー!!!」
遥と違って野太い声を精一杯高くして、脇を締め、両手の拳を左右に振って、稜而の顔の前にピアスだらけで短い髭に縁取られた顔を突き出した。
「ど、どうも……」
「声もいいわぁー! キュンキュンしちゃうー!」
「あーん、ラフィのお兄ちゃんなのー! とっちゃダメなのよー! ♪ダーメダメダメ、ダメなのよ、ダーメ! りょうじーは、はるかのー!♪」
遥は稜而を背中に庇って、両腕を真横に広げた。
「あら、いいじゃない。ラフィのお兄ちゃんで、あたしの恋人になればいいんだわー!」
レオは遥を回り込み、ノースリーブのシャツから伸びる、筋肉のラインが美しい腕を稜而に絡めると、ぱたんと横に首を倒し、自分より低い位置にある稜而の肩へこめかみを押しつける。
「あーん、ダメなのよー! 兄弟は恋人より仲良しなのよー!」
二人の間へ両手を割り込ませるだけでは遥の力は足りず、満員電車に乗るように肩をめり込ませる。
「ダーメーなーのーんっっっ!!! んがーっっっ!」
「遥、俺の腕が千切れる。落ち着いて」
稜而は笑って、レオの腕が絡みついていないほうの手でぽんぽんと遥の頭を撫で、自分の胸に抱いた。遥はサルの子供のように稜而にきゅっとしがみつく。
「親が再婚するというセンシティブな状況だから、今は遥に寄り添いたいんだ。失礼」
王子様のような笑顔をレオに向け、稜而はするりと腕を解いて、ふーっ、ふーっとレオに向かって威嚇を続ける遥の背中と頭を両手で同時に撫でた。
『Rafi! Papie est venu.(ラフィ、おじいちゃんが来たわよ!)』
母親の声が聞こえると、遥は一度だけぎゅっと稜而に抱き着き、すぐに階下へ向けて大きな声を出した。
『Je vais y aller bientôt!(すぐ行く!)』
「おじいちゃんが来たって。下へ行こう」
遥は稜而から離れ、長い髪を丁寧に梳かし、低い位置で一つに束ねると、手首に嵌めているゴムでぎりぎりと縛った。
「おじいちゃんは、トラディショナルな考え方をするタイプなんだ。年を取ってちょっと神経質。せっかくの気軽なホームパーティーなのに、堅苦しい思いをさせたらごめんね。でも、愛情深いいい人だから」
稜而に向かってニッコリ笑うと、軽く肩を上げ下げして深呼吸し、遥は部屋のドアを開けた。
階段を下りる前から豪快な笑い声が聴こえていて、遥が先頭になって降りていくと、絹糸のように細く白い髪を頭に乗せた赤ら顔の老人が、遥に向けて両手を広げた。セーターを着た身体は胸板が厚く、声もよく響く。
『Rafi!』(ラフィ!)
『Papie! Ça va?』(おじいちゃん! 元気?)
遥も両腕をいっぱいに広げ、満面の笑みで祖父に近づき、しっかりハグをした。祖父は盛大にキスの音を立て、遥の両頬に自分の頬を交互に触れさせる。
「通訳してあげようか?」
レオの言葉に稜而は素直にうなずいた。
『ラフィ、また背が伸びたな。お前は私の自慢の息子だ。勉強はどうだい? 日本の医学部に留学するなんて、鼻が高い』
『まだ日本の医学部には合格していないよ。これから試験を受けるんだ。日本の試験は時期が遅いんだよ』
『そうか、そうか。だがラフィなら心配いらない。どこだって希望する大学に合格するだろうさ! 楽しみだよ。最近、膝が痛むようになってきたからな、ラフィに診察してもらいたいよ』
『うん。それまで元気で待っててね。オレがお医者さんになったら、おじいちゃんの身体を隅から隅まで全部診るからね!』
『ラフィは自慢の孫だ! 日本のガールフレンドは、今日は連れてこなかったのか? 早く結婚して、ひ孫を抱かせておくれ』
『まだガールフレンドはいないよ。勉強が忙しくって! でも、大学に入ったら、ヤマトナデシコなガールフレンドを見つけるよ! ひ孫はもう少し待っててね』
稜而は鼻から静かに息を吸い、気取られないようにゆっくり吐くと、手近にあったコップにミネラルウォーターを注いで、一息に飲み干した。
「遥は。ラフィは、なんであんなにいい子なんだ? 失礼、もともとそういう性格なのかも知れないけど。俺は、彼に対して、もう少しのびのび、お転婆なイメージを持っているから」
レオは、二つのグラスに白ワインを注ぎながら話す。
「ラフィは優等生だよ。いつも太陽のような笑顔で、自分の意見を伝えるときも最大限の配慮をして、奥ゆかしい大和撫子だ。祖父の期待に応え、母親を大切にして。結婚や孫を催促する失礼な発言も『オレへの愛情だよ』って笑顔で受け止める。よく禿げずにいると思うよ。……乾杯」
稜而にグラスを持たせ、自分のグラスを掲げると、するりとワインを飲んだ。
「なるほど。自分の足が折れるまで背負い続けて、耐え抜くということか。見てられないな」
稜而はグラスを持ったまま、遥と祖父のもとへ歩み寄った。
「俺も、ご挨拶をさせて頂いてもいいかな?」
遥は笑顔で頷き、リョージという名前以外聞き取れないアップテンポなフランス語で祖父に何かを話した。
その言葉に祖父はにこやかに何度も頷き、遥の言葉に応えて何かを言うと、稜而に握手を求めて右手を差し出した。
「あのね『自慢の孫です。きっとあなたのよい弟になるでしょう。大切にしてください』って」
「はい、もちろんです。兄弟の縁は一生続きますから、俺は一生遥を守り、大切にします」
遥は華やかな笑顔と一緒に稜而の言葉を訳して聞かせ、祖父としっかり握手を交わした。
互いに心からの笑顔を交わしたものの、初対面の二人はすぐには次の会話の糸口を見つけられず、わずかな時間に空白ができた。
「ええと……」
そのとき、つけっぱなしだったテレビに映る男性二人組が街頭インタビューを受け、マイクに向けて何かを話してから、カメラの前でキスをした。
『Va te faire enculer!』
祖父は突然険しい表情になり、テレビに向かって、相手の腹をえぐるように拳を突き上げた。
反対の手に持っていたワイングラスが揺れて、中の白ワインが稜而のシャツに掛かる。
「Oh! LaLa……。おじいちゃんのスイッチが入っちゃった」
遥は肩を竦めて笑い、稜而のシャツをタオルで拭く。
「ごめんね、稜而。部屋でシャツを着替えよう」
「このくらい平気。白ワインだし」
「甘いワインだから、ベタベタするよ。ね? ……ちょっと着替えてくる。ママン、テレビは消して、何か音楽を掛けようよ」
遥はそう言うと、稜而の背中を押した。
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