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第68話

「遥……」 屋根裏の遥の部屋へ入り、ドアを閉めてすぐ、稜而が呼び掛けると、遥はクローゼットのドアに向かったまま、早口に喋った。 「ご、ごめん。おじいちゃんが急に大きな声を出したから、びっくりしただろ? おじいちゃん、同性愛者が嫌いなんだ。フランスにも、たまには、何人かは、そういう人がいるんだよ。対話が必要、逃げるべきじゃない、自分を偽るべきじゃない、いろんな考えがあるのは知ってる。でも、パパと恋愛して駆け落ち同然で日本に行っちゃったママンが、オレを連れてフランスに帰ったとき、黙って受け入れてくれた。この家も、フラワーショップも、全部おじいちゃんの助けがあったんだ。それなのに、ママンがまた日本人と結婚するって言っても、おじいちゃんは寂しいとか、勝手なことばかりするとか言わないで、ママンとオレの幸せを願って祝福してくれてる。だから、オレはおじいちゃんの理想の孫でいたい。だから、だから、お願い。何も言わずに、オレをこのままいい子でいさせて! カッコつけさせてください!」 取り出したポロシャツを稜而に突き出して、遥は頭を下げた。  稜而はふっと前髪を吹き上げる。 「俺はまだ何も言ってないのに、先回りしすぎ」 稜而は遥の足許に片膝をつき、強く目を瞑っている遥の顔を見上げ、シャツを持つ遥の手をとった。 「わかった。遥には遥の考えがある。俺だってどれだけ白々しかったとしても認めない、クローゼットだ。遥は、おじいちゃん孝行を頑張れ。俺に手伝えることがあれば、何なりと」 「あーん、稜而ぃ! 愛してるのん! ジュテームなのよー!」 顎の下に組んだ手を左右に振りながらそう言うと、稜而の首にすがりつき、顔中にんーまっ、んーまっと、たっぷり唇を押しつけてキスをした。 「どうりで日本にいるときのほうが、のびのびしている訳だ」 「フランスにいるときだって、無理を続けてばかりじゃないのん。自分の外見に向けられる視線なんかは、日本よりフランスの方が気楽って思うこともあるのよ。でも……」 「でも?」 「どこの国よりも、稜而のところが一番のびのびになれるのん。心の鍵も左右の脚も全部ぱっかーんって開いちゃうのよー!」 遥は改めて稜而に抱きつき、稜而は遥を抱き締めてミルクティ色の髪に頬ずりをした。 「まったく。今すぐセックスしたくなるようなことを言う」 「あーん! 心も身体も稜而には全開なのよー! 遥ちゃんも今すぐ狭いベッドの上で愛し合いたいわー! ♪シングルーベッドーのうーえで、はるか、だいてちょうだーい!♪」 稜而をベッドの上に押し倒し、スカルモチーフのバックルがついたベルトの上にまたがり、ワインで濡れたシャツのボタンを一つずつ外す。  稜而も遥のサマーセーターの裾から手を入れて、直接背中を撫で回す。 「すぐに下へ戻らなくていいのか……」 「あーん、若い男はちょっとの刺激で、あっという間にいけちゃうわー! いただきます、ぱくっ! ふりふり、あーん! ごちそうさま、なのん!」 ジーンズのファスナーの上に、遥の尻が擦りつけられて、稜而は目を眇める。 「遥、隣に逆さまに寝て……」 「あーん! 尻尾を飲み込む神話の蛇さんみたいに、永遠の形になるのよー! 永遠の愛だわー!」 遥が稜而の隣へ逆さまに身体を横たえ、互いのジーンズのファスナーへ手を掛けようとしたとき、部屋のドアがノックされた。 「やーん。馬に蹴られちゃえなのよ……」 遥は大きく溜息をつき、束ねている髪ほつれをを手ぐしで直しながら、ドアを開けた。 「大丈夫? パピーの頭の硬さに、モンシェリが怒ってたりしなーい?」 従兄のレオは、遥の頬を撫でながら、はっきりと心配を顔に表す。 フランスで出会う人々の顔の表情は、自然に現れるものというより、自分の意思や感情を表すためのひとつのツールと考えているように、稜而には感じられた。  稜而も普段より派手に笑顔を作って、レオに向ける。 「大丈夫。怒ってない。思ったより広範囲が濡れていたから、着替えるのに手間取っていただけだよ」 「あらー、それならよかったのよー! ラフィがリョージと気まずくなっていたら、そんな了見の狭い男の頭はガトリング砲で蜂の巣にしてやらなきゃって心配だったのよー!」 「え? ガトリング砲……?」 「あーん、何でもないのー! テレビも消したし、ラフィ、ギターを持ってきてよ。弾いて聴かせて!」 「あ、そうなのん。お父さんがクリスマスにプレゼントしてくれたギター、お披露目しなくちゃなのーん!」 フォークギターより一回り小さいギターケースを手に、シャツを着替えた稜而と一緒に階下へ戻った。  ホームパーティーには、祖父のほかに、母親の兄と妹、いとこたちが集まっていて、それぞれがソファやテーブルなど三々五々、おしゃべりに花を咲かせ、その間を両親が飲み物や食べ物が足りているか気を配りながら、もてなして歩いていた。  遥は祖父が座っている一人掛けソファの肘掛けに座ると、親指から薬指までの四本の指にピックを嵌めてギターを構えた。  弦を一本ずつはじいて調弦する音が開演の知らせとなり、話し声が止み、集まってくる人もいた。  遥はギャラリーの様子には目を向けず、ギターだけを見て、何の前触れもなく演奏を始めた。

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