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第69話
遥が弾き始めたのは、思いがけず情熱的で男らしい音楽だった。稜而を含め、その場に集まるほとんどの人がクラシックギターには詳しくないだろうが、そのリズムやテンポ、メロディの雰囲気は知っている。
「オ・レーっ!」
レオが花瓶に飾ってあった赤い花を横に咥え、顔の横で手を叩き、それらしいステップを踏む。
ピューッと鋭い指笛が飛んで、レオはギャラリーに音楽に合わせた手拍子を求め、さらに踊った。
その踊りは道化ていて、手近にあったナフキンを広げて持つと闘牛士になり、見えない牛をひらりひらりとかわし、次にそのナフキンを腰に巻きつけスカートにして、翻しながらフラメンコを踊る。
遥の演奏が終わるのと同時にレオの踊りも終わって、拍手喝采の中、レオはうやうやしくお辞儀をした。
皆が笑顔で手を叩く中、祖父だけが顔をしかめ、レオを追い払うように手を動かして何かを言った。
「『ラフィの演奏が聴こえない。せっかくラフィが演奏しているのに、その注目を横取りするような態度は不愉快だ』だってさ。レオちゃん、退場ー! アデュー!」
ひらひらと手を振り、レオは稜而の隣へ引き下がった。
「『おじいちゃん、オレは皆に楽しんでもらいたくてこの曲を弾いたんだ。レオのダンスはとても嬉しかったよ』だって。健気ねぇ」
「『ラフィは心の広い子だ。いたずらをそんなふうに受け止めることができるなんて、おじいちゃんの自慢の孫だ』」
レオの日本語訳を聞きながら、遥の祖父に応えんとする笑顔をひりひりするような気持ちで見た。
「『次は落ち着いて聴いてもらえる曲にするね。定番だけど』」
遥はもう一度チューニングをして、ドビュッシー作曲『亜麻色の髪の乙女』を演奏し始めた。
稜而は左肩を近くの壁に預け、腕組みをして、静かに演奏に聴き入った。
「遥だ……」
呟いてから苦笑する。
「遥は純潔でもなければ、女でもない」
しかし、遥が演奏する可愛らしい旋律は、何度打ち消しても、稜而の目に同じイメージを見せる。それは、澄んだ小川が流れ、光が降り注ぐ草原を笑顔で走り回る遥の姿だった。
「可愛い……天使だ……」
背中に翼を生やした遥が、ふわふわの白くて丸い尻を稜而に向けて、投げキッスと共にウィンクする……、という様子まで妄想して、慌てて咳払いしてテーブルの上のワイングラスを持ち上げ、飲む振りで緩む口許をグラスで隠した。
最後は胸を焦がすような切なさを残して音が止み、全員が拍手を贈った。隣に座る祖父は遥の頭を撫で、左右の頬にキスもしていた。
「なんで、ニヤニヤしてんのー?」
レオが肩をぶつけて来て、稜而はレオとは反対の方を見ながら、ワインで口を湿した。
「別に」
するとレオは稜而の視線の先へ回り込んで来て、ニヤリと笑った。
「あーん、目がドエローい。やーねー!」
「ドエロ……っ?」
稜而は強い瞬きを繰り返し、ふるふると頭を左右に振った。
「あんた、ひょっとしてラフィのこと、そんなエロい目で見てんの?」
顔全体は笑顔だが、目つきは鋭く、稜而の眼球から脳髄まで射抜くように見る。
「ま、まさか。まさか。……もちろん、弟として可愛いと思っているけど。……それだけ、だ」
「ふうん。ラフィの心や身体にちょっとでも傷をつけたら、その粗末なチンチンとキンタマ切り取ってお前の口に突っ込んで、亀甲縛りにしてセーヌ川にたたっ込むからな?」
レオは友好的な笑顔を向けながら言った。
「しないよ、そんなこと。むしろ遥がそんな目に遭わないようにするのが、俺の役目だ」
稜而も笑顔のまま応戦した。
「いい人ぶってラフィを騙して、ファックしようなんて魂胆はないよね?」
「まさか。俺は強引にするのは嫌いだ。互いに愛しあって、求めあって、行為に至るのがいいと思ってる」
「……やっぱりラフィとファックしようと思ってるんだ?」
「ち、違っ。あくまで俺の持論で……」
弁解する稜而に、レオは突然明るい声を出した。
「あらー! ほらほら、遥ちゃんが探してるわよー!」
遥は部屋の中を見回していて、稜而の姿を見つけると、さらさらっと前奏を弾いて見せた。
「マジか?」
「あーん、マジよー! お兄ちゃんのお披露目なのよー! ご自慢のスモーキーボイスで歌ってー!」
全員の注目が集まり、囃し立てる声が聞こえて、稜而は抵抗せずに腹を括った。
「あーん、お兄ちゃん頑張ってー!」
レオの囃し立てる言葉を背中に、稜而は遥の隣に立った。
遥は父親と稜而に配慮して、日本語とフランス語で同じ内容を話した。
「彼は稜而。オレの新しい兄です。彼は常にオレに親切で、優しく、思いやりをもって接してくれる、素晴らしい人です。彼と家族になれることを、とても誇らしく、嬉しく思っています」
遥の言葉に拍手が沸き、その拍手に笑顔で応えた。
「お父さんとママンの結婚を祝うために、二人で練習したので聴いてください。エリック・サティの『あなたが欲しい(Je te veux)』です」
十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのフランス、花の都パリを彷彿とさせる軽やかなワルツにのせて、稜而は遥に特訓されたフランス語の歌詞を歌った。
「黄金の天使だ、美しい、僕は君のもの、なーんて歌ってるけど、えっちっちーな匂いのする歌詞なのん」
と、遥は解説して笑い、稜而は遥をまっすぐに見て頷いた。
「セックスは愛を表現する大切な方法の一つだと思う」
それで二人はベッドに飛び込んだ。
♪Ange d'or, fruit d'ivresse,
(金の天使、酔わせる果実)
Charme des yeux,
(魅力的な瞳)
Donne toi; je te veux;
(あなたをください。あなたが欲しい)♪
ベッドの中で、遥の唇で直接稜而の唇に触れながら発音を教えてもらった歌詞を歌った。
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