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第74話
隣でスキップする遥を見て目を弓形に細め、それからぐるりと石造りの街並みを見回し、すれ違う人たちの様子を見ると、稜而は突然背筋を伸ばし、ゆっくり深呼吸をした。
「どうしたのん?」
「なんだろう。気持ちが楽だ……。海外旅行特有の高揚感と解放感かな? リゾート地でもないのに」
稜而は改めて周囲を見回したが、遥は隣で即答した。
「誰も稜而と遥ちゃんを見ないからなのん」
「え?」
稜而が振り向くと、遥は若草色の目を細め、ドレンチェリーのように赤い唇を左右に引いた。
「遥ちゃんは稜而にとっては超、超、超美人で、毎晩食べたくなっちゃうくらい可愛いけど、フランスは混血が進んでるから、この髪も、目も、肌も、全然珍しくないのん。普通なのん。誰も、ガイジンって思わないのん」
「なるほど」
稜而が周辺を見渡す限りではブラウン系の髪の人が多い印象だが、その色の濃さは千差万別で、どこにも線引きはできないと感じた。
「おじいちゃんは嫌いって言うけど、男性同士でキスしてても、それは自然なことなのん。好き好き愛してるって自然な気持ちに従った結果なのよ。キスもしない恋人同士なんて、むしろ心配なのん」
そう言って小さく首を傾げる遥の声はとろりとしていて、稜而はつないでいる手をぐっと引き寄せると、その唇へ自分の唇を押しつけた。
「あーん! ロマンチックなのよー! また一つ、遥ちゃんの夢が叶っちゃったのーん!」
遥はミルクティ色の巻き髪をぶんぶん振った。
「郷に入っては郷に従えと、さっき遥に習ったからな」
自分の耳が熱くなるのを感じ、稜而はそっぽを向いた。遥は隣でコホン、コホンと咳払いして、稜而の顔の前へ回り込む。
「じゃあ、遥先生が、もっともっと教えてあげますのん。夕暮れ時にセーヌ川のほとりでキスするのもロマンチックで素敵なのよー! それから、カフェで愛を語らってちゅうってするのも憧れなのん! あとあと、メトロのホームで電車が来るのを待つ間に甘い言葉を囁き合ってちゅっちゅってしてみたいのん! そして、ジュテームの壁で一緒に写真を撮るのもきっと素敵な思い出になるわー!」
一つ一つ夢を語るごとに数え、最終的に四本の指を立てて遥は笑った。
「わかった。今日は遥の憧れを全部叶える観光にしよう。誰にでもできる観光をするより、世界でただ一人、俺だけにしかできない観光をさせてもらう」
「やーん! 今夜も全身で、声を我慢しながら愛しちゃうわー!!!」
遥はバラ色の頬を初夏の日差しに輝かせ、スキップを再開した。
「まずはブランチを食べるのよー! ♪た・べ・ま・しょ、キッシュ、キッシュ、カフェのキッシュ、おいしいのー! キッシュ! てをのばーして、たべましょーうよ、ぐざいがたっぷり、さくさくキッシュー!♪ オートミールクッキーみたいなさくさくほろほろの生地に、チーズたっぷりとろっとろの具が最高なのよー!」
雑貨店の角を曲がると、赤いテントのカフェがあり、遥は店員と何かを話して、歩道に面したテラス席に座った。
「遥ちゃんはこのカフェのキッシュが大好きなのーん」
勧められるままにオーダーして、運ばれてきたキッシュにナイフとフォークで臨んだ。
「遥の言う通りだ。とても美味しい。この口の中で崩れるような生地は初めて食べる」
「でしょでしょー? そして中身はお野菜もきのこもたっぷり、具材の宝石箱やー、なのん!」
遥は自分の指の延長にあるように自然な動きでナイフとフォークを扱い、切り取ったキッシュを口に含むと、稜而に向かって完璧なウィンクを見せる。
「射抜かれそうだ」
「うっふーん、なのん」
甘いミントシロップの水割りという飲み物を飲んで、遥は稜而の耳へ口を寄せる。
「昨日の夜の稜而は、超、超、えっちっちーだったのん。窓に向かってむはーってしてたのん」
「最中のことを持ち出すなよ、恥ずかしい。……ま、確かに燃えたな。何だったんだろう?」
稜而は苦笑して、持ち上げたコーヒーカップで口許を隠した。
「遥ちゃんだけが知る秘密にしておいてあげるのん」
「ぜひともそうしてくれ。喧伝されたら社会的に死ぬ」
「うしししし。言いふらされたくなかったら、口止めしなさいなのん」
遥は唇をすぼめて突き出して、稜而はコーヒーで口を湿すと、自分の唇で封をした。
「あーん、また遥ちゃんの夢が叶ったのよー! 脅迫成功なのーん」
両手で自分の頬を挟む遥の肩を抱き寄せると、稜而はもう一度唇を重ねた。
「愛してる。ええと、……Je t’aime . 発音は合ってるかな?」
「完璧なのん! 遥ちゃんも、Je t'aime et je t'aimerai pour toujours.(愛してる。これからもずっとよ)Ma vie a beaucoup changé depuis que nous nous sommes connus.(あなたと出会ってから、オレの人生はいいほうに変わったよ)」
「Ma vie a beaucoup changé depuis que nous nous sommes connus. なるほど。これからずっとずっとそう言ってもらえるようにしよう」
稜而はまた遥の唇へキスをした。
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