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第89話
祖父と母親は押し黙り、よく似た大きな目だけを動かして、その場にいる全員の顔を見て、状況を読み取ろうとしていた。
父親は芝生の上の一点を見て思考を巡らせ、それから身体を寄せ合って立つ稜而と遥の方を見た。
「それは、一朝一夕に思い立ったことではなく、互いの気持ちをしっかりと確認し合った上でのこと、なのかな?」
「もちろん。俺たちが先に恋人同士だったのに、親たちに先を越された」
稜而が片頬を上げて笑うと、父親も全く同じ仕草で笑った。
「それは失礼した」
「お気遣いなく。俺と遥は婚姻が認められないにもかかわらず、親の結婚によって同じ戸籍に入れるというメリットがあるから」
「なるほど。私たちの結婚をメリットと思ってくれるなら、それは存分に活用してくれていいと思う。遥くんは、予定通り私と養子縁組をするということでいいのかな?」
遥は稜而から離れて背筋を伸ばし、礼儀正しくお辞儀をした。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
しかしすぐに稜而の腕の中へ戻り、また腰にぎゅっとしがみついて、小さな声で「なのん」と付け加える。
父親は目を弓形に細め、遥の顔を覗き込んだ。
「遥くんを不束者だなんて思ったことは一度もないよ。遥くんのパパとパティさん、おじい様やおばあ様方の愛情を一心に受けて育った、とても素直な心の持ち主だと思っている。こちらこそよろしくお願いします」
差し出された手を握り返して遥は頷き、稜而の肩で涙を拭いた。
「パティさん、動揺してるかな?」
父親が振り返った先では、アンティークレースのウェディングドレスに身を包んだ母親が、胸に手を当てたまま黙って立ち尽くしていた。
「ママン、ごめんなさい。せっかくのハレの日に、驚かせてごめんなさい。ガールフレンドを連れてこなくて、ごめんなさい……」
遥の言葉で、ようやく母親は深い呼吸をした。
「あなたは何も悪くない。ごめんなさいなんて言葉は相応しくないと思うわ。ただ、……私があなたにガールフレンドの存在を訊ねるたびに、あなたを傷つけていたんじゃないかと思うと、言葉が見つからないわ」
「オレは平気。ママンが愛情を持って、いつ恋人を連れてきても受け入れるっていうメッセージとして言ってくれてたって、わかってるから。ママンの愛情を疑ってなんかいないよ。愛してる」
稜而の腕の中からするりと抜け出て、遥は母親を抱き締めた。
「これで自分たちの何が変化するのか、しないのか、よくわかってないけど」
稜而が苦笑して前髪を吹き上げるのに、父親はうんうんと頷いた。
「正直、こればかりは、やってみなければわからないんじゃないかな。自分を取り巻く環境や状況が大きく変化するときに戸惑うのは自然なことだから、互いに無理をせず、慣れるのを待とう。その過程で生じる不都合や違和感については、随時話し合うということで、どうかな?」
「了解。よろしくお願いします、父上」
稜而がおどけて格式ばった挨拶をするのに、父親も笑いながらお辞儀をして応えた。
「こちらこそ、よろしくお願いします、息子殿」
遥と母親は、いつの間にか目の幅いっぱいに涙を流して抱き合っていた。時折フランス語で何か言い合い、相手の言葉に首を振っては抱き締め、頷いては頬にキスをして、またわあわあと泣いて抱き合う。
稜而は父親と共に二人の涙を拭いてやろうと歩み寄りかけて、ベンチに座り込んでいる祖父と、その顔をハンカチで扇いでやっているレオの姿に気づいた。
「あ……」
「ジジイが腰を抜かしちまったわよー! あはは、いい気味! カラフ・ドー を持ってきて!」
パーティーの場に水道水のボトルの用意はなく、稜而がミネラルウォーターの大きなボトルとグラスを持って戻ってくると、祖父はグラスを使わず、大きなボトルから直接がぶがぶと水を飲んだ。
手の甲で口を拭い、大きく息をつくと、ハイスピードで喋り出した。次第に興奮してきたのか顔を赤くして声も大きくなったが、レオが訳してくれないので、稜而には単語一つ聞き取れず、フランス語が比較的堪能な父親も少し首を傾げながらヒアリングに集中していて、母親は苦笑いしながら遥の耳を塞いでいた。
かなり長い時間、祖父は大声で話し続けていたが、そのうち目の幅いっぱいに涙を流し始め、ベンチから立ち上がると、まっすぐ歩き、涙声で何かを言いながら、遥を強く抱き締めた。
それから父親に向かって歩いてきて、右手を掴むと両手で力強く握って何かを言い、父親の返事にまた鼻水を啜りながら何かを言った。
「え、俺?」
自分に向かって歩いてきたので、握手をしようと右手を差し出したが、いきなり両手でワイシャツの襟を掴んで持ち上げられた。
「何っ? く、苦し……っ」
「『ラフィを泣かせたら承知しない。もしそんなことがあれば、すぐラフィをフランスへ連れ戻すからな!』だってー!」
レオの通訳に稜而は軽く手を挙げた。
「そんなことは絶対にしない! 何があっても遥のことは守るっ! ……早く訳せよ、レオ!」
「どーしよっかなー!」
「レオ!」
「あーん! レオってば、早く訳してあげてなのーん!」
遥の声が聞こえてきて、稜而は首元の祖父の手を掴みながら足をばたつかせた。
「訳すのは、遥でも、ママンでもいいんだぞ!」
「やーん、遥ちゃんってば、フランス語が喋れるんだったー!」
遥がフランス語で何かを言うと、稜而はようやく芝生の上へ降ろされた。
膝に手をつき咳き込む背中を、祖父に厚みのある手で叩かれて、今度は横抱きにされ、頬に唇が押し付けられた。
「うわっ、何? 今度は何だ?」
祖父が朗らかな声で何かを言うと、その場にいた稜而以外の全員が笑い、稜而は再び頬に熱烈なキスを受ける。
「『リョージも今日から俺の孫だ!』だって」
「それは光栄です。どうも……」
「『さあ、パーティーの続きだ!』」
祖父は稜而を横抱きにしたまま、のしのしと建物に向かって歩き始めた。
「稜而、お姫様なのーん! ♪いつもいっしょに、いーるからねー、となりでわらーってるからねー、きせつはまた、かーわるけどー、はるかちゃーん、となりにいるーのー♪」
横抱きにされたままパーティー会場へ戻る稜而の隣を、遥はるんたった、るんたったとスキップで進んだ。
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