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第105話
「入汲 荘の社長さんを、助けたって聞いたっちゃよー。お世話さんっちゃねー」
緑の田んぼの角をウィンカーを鳴らして曲がりながら、女性は明るい声で言う。
「助けたというか。できることをしただけで……。本当に、あの……」
俯いて頭を左右に振る稜而をバックミラー越しに見て、女性は大きな目を細める。
「もうもう謙虚で、イケメンで、背が高くて、お医者さんで、いうことないっちゃねー!」
「あーん、遥ちゃんの、素敵な旦那さまなのーん!」
遥が顎の下で両手を組んで、ミルクティ色の巻き髪を左右に振ると、女性はますます笑顔になった。
「そうっちゃねぇ! あんた、遥ちゃんっていうっちゃかー」
「はいなのん。渡辺遥ラファエルちゃんですのん。日本とフランスのハーフですのよー」
「ラファエル……って、男の人の名前っちゃろが?」
「よくご存じなのん! 遥ちゃん男の子ですのん! でもでも稜而の妻ですのーん!」
「そうっちゃか! もうもう女の子だと思い込んでたっちゃよ、堪忍っちゃー。男の子の奥さんだったっちゃかー」
「おーいえー! 遥ちゃんのことは、男の子でも女の子でも、日本人でも外国人でも、好きなように思ってくれていいですのよー! 遥ちゃんが遥ちゃんなことには、変わりがないですのん!」
「若いのに、肝が据わってるっちゃね。おかあちゃんば、そういう子は好きっちゃー」
「おかあちゃん、ありがとうございますですのん。遥ちゃんは一八歳ですのん! ♪ラフィはもう! じゅうはちだからー! りょうじのおくさーんにー、はーるかはなったのー! 新婚っさん・ホヤッホーヤー♪」
遥の歌におかあちゃんは一緒に笑顔になった。
「お歌、上手っちゃねー。私もうちのおとうちゃんと結婚したのは一八のときだったっちゃー。ずっと結婚して、結婚してってお願いしてたのに、『高校卒業するまではダメ』って頭の堅いこと言うっちゃき! 卒業して、ようやくお嫁さんにしてもらったっちゃよー」
「わーお! 高校生のときからお付き合いしてたのん?」
「高校一年生のときの体育の先生だったっちゃよー! 高校の先生ば転勤があるっちゃけ、私の両親ば、大事な一人娘を遠くへやらんっちゃーて大反対だったっちゃき。おとうちゃんば養豚農協の職員になって、私の両親と一緒に住んでくれたっちゃー」
「あーん! 優しいおとうちゃんっちゃー! 遥ちゃんと稜而も、親と同居ですのん! スープの冷めない距離は、お互いに安心ですのーん」
「遥ちゃんの親と同居っちゃ?」
「稜而のお父さんと、遥ちゃんのママンが再婚しましたのん。稜而と遥ちゃんは連れ子同士だから、夫婦で兄弟っちゃー、ですのん」
「夫婦で、兄弟っちゃか?」
「そうですのん。二重の固い絆で結ばれてますのん!」
「ほおほお、ええっちゃねぇ! 夫婦で兄弟なんて、簡単に切れるご縁じゃないっちゃよー!」
「おーいえー!」
遥の説明を次々飲み込んでいく順応性の高いおかあちゃんとバックミラー越しに目が合って、稜而は小さく会釈した。
車は田畑を抜けて、北側に防風林を背負う、赤いトタン屋根の二階屋の前で減速した。
「到着っちゃよー」
敷地の中まで車を乗り入れ、作業小屋の前で停めた。
「風情ある素敵なお宅なのーん! 日本のおウチよー!」
おかあちゃんの後ろをぴょんぴょんとついて歩いて行き、四枚引き戸の立派な玄関から上げてもらった。
「はじめましてー! おじゃまいたしますですのーん!」
賑やかな遥の声に、奥から風呂敷のような色合いのワンピースを着て昔ながらのサロンエプロンを腰に巻き、白髪を低い位置で団子にまとめた、小柄な女性が玄関へ出てきた。
「元気なわらしが来たっちゃなぁ。……もうもう珍しい、ケトウさんっちゃかー」
「おばあちゃん! 今はそういう言葉は使わないっちゃーよ!」
おかあちゃんがたしなめるような声を出すが、遥は首を傾げた。
「ケトウさんじゃなくて、渡辺さんですのん。妻です♡」
「突然おじゃまして、申し訳ありません。渡辺と申します」
稜而が礼儀正しく頭を下げる隣で、遥も幼稚園の先生のような深いお辞儀をぴょこんとした。
「渡辺稜而の妻の遥ラファエルちゃんですのーん! 稜而と遥ちゃんって呼んでくださいですのん」
稜而と自分を交互に示して、遥はにっこり笑った。
「ほおほお、稜而先生と、遥ちゃん、はじめまして。大家 のおばあちゃんっちゃ。旅館の社長やら、豚やら、大変だったっちゃね。お世話さん。さっさと上がんなさいっちゃ」
「おばあちゃん、おじゃましますなのーん」
促されるまま上がり込み、後ろをついて歩いて、遥は壁際の仏壇に目を止めた。
「ご先祖さま、こんにちはなのん! おばあちゃん、チンチーンってしてもいい?」
「どんぞ、してやってくれちゃ」
遥は仏壇の前に稜而と並んで正座すると、ろうそくに火を灯し、線香の先端をかざして火を移し、炎を手であおいで消すと、燃え残っている線香の向きに合わせ、四角い香炉に寝かせて置いた。
嬉しそうに三回鈴を鳴らし、稜而と一緒に手を合わせる。
「ご先祖様、はじめましてなのん。渡辺稜而と、妻の遥ラファエルですのん。おじゃましますっちゃ!」
挨拶をして、ろうそくの火を手であおいで消してから、改めて仏壇の周りを見回した。
「お仏壇の周り、にぎやかですのん。水色の提灯がきれいで、プレゼントもいっぱいっちゃー」
花の絵を描いた水色の提灯が何対も並び、白黒や銀色の水引が印刷されたのし紙がかかる箱が積み上げられ、清酒が所狭しと並んでいた。
「入汲の辺りは、八月にお盆をするっちゃよ。おじいちゃんが死んで、今年は新盆っちゃけ、ほうぼうから提灯やお供えを頂くっちゃ」
女性の説明に、おばあちゃんは顔を逸らし、夏の日射しで輝く庭を見た。遥もその視線を追う。
「ひまわりがニコニコしてるのん」
「おじいちゃんが種を蒔いたっちゃよ……。花が咲くとこ、見たかったっちゃろうになぁ」
おばあちゃんの声は小さくかすれていて、遥は思わずおばあちゃんの隣へ駆け寄り、銀色の指輪が嵌まる左手に自分の左手を重ね、右手をそっと背中にあてた。
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