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第106話

「おじいちゃんば、三ヶ月前に、雨漏りの修理をしようとして、どこかから落ちたっちゃよ。帰ったらおとうちゃんが直すっちゃけ、そのままにしとけって言ったのに……。平日だったっちゃけ、私も仕事で家におらんくて。おばあちゃんもお勝手仕事してたっちゃけ、詳しいことはわからないっちゃき、物音がしておばあちゃんば見たときには、脚立と一緒に庭に倒れてたらしいっちゃ……」 おかあちゃんは低く静かな声で言った。 「それは、とってもお辛いことでしたのん……」 遥はおばあちゃんの肉の落ちた肩を庇うように撫でた。 「見たときには、もう仰向けに倒れてたっちゃよ。頭が真っ白になったっちゃ。救急車を呼ぶってことも思いつかないでなぁ……。薄情っちゃ……、最期の最期に、わしば薄情をしたっちゃよ……」  おばあちゃんの黒目の輪郭が柔らかい目を水の膜が覆い、その水はおばあちゃんの目から溢れると、目の下の皮膚のしわへ染みこみながら広がっていった。  遥はおばあちゃんの肩を抱く手に力を込めた。 「目の前で人が倒れたら、そうなるの、わかりますのん。今朝、社長さんが目の前で倒れたときも、遥ちゃんは後ろに一歩引いてしまいましたのん。どうしたらいいかなんて、すぐにはわからないっちゃよ……。ただただ怖かったっちゃあ……」 遥の言葉に、おばあちゃんは何度も頷いた。 「わしも怖かったっちゃ……。ああ、怖かったっちゃあ、怖かったっちゃあよぉ……。連れ添ってきたおじいちゃんを怖いって思うなんて、薄情だけれども……」 遥は首を左右に大きく振った。 「薄情なんかじゃないですのん! いつもと違う姿は怖いですのん。遥ちゃんも、死んじゃって動かなくなったパパを見たときは、悲しくて、怖かったですのん。大好きで大切な人がいつもと違うのは、怖いことですのん……っ」 遥はおばあちゃんを抱き締めた。今度はおばあちゃんが遥の背中をゆっくり撫でる。 「遥ちゃんば、パパを亡くしたっちゃか」 「はいですのん。遥ちゃんが六歳のとき、パパは病気で神様のところへ召されましたのん。素敵なパパでしたっちゃよ。稜而のお父さんが主治医で、よく診てくださいましたのん」 「苦労したっちゃなぁ」 遥は小さく首を横に振る。 「遥ちゃんには、ママンも、じいじもばあばもいましたのん。大人たちは、いっぱいいっぱい泣いて、いっぱいいっぱいいっぱい遥ちゃんを抱き締めて、子どもの遥ちゃんは『おーいえー!』っていつでも元気いっぱいいっぱいにしてみんなを笑わせて、そうやってお互いに助け合って、一緒にちょっとずつ元気になりましたのん」  おばあちゃんは遥の背中をしわだらけの手でとんとんと叩く。 「遥ちゃん、トウモロコシば好きっちゃか?」 遥は笑顔で頷いた。 「大好きですのん!」 「よっしゃ、畑に行こう。採れたてを、皮ごと蒸してやるっちゃよ」 「ひゃっほー! おーいえー!」  おばあちゃんはサロンエプロンの端で自分の涙を拭き、少しだけ濡れていた遥の目尻も拭いてくれてから、廊下に立ったまま二人を見守っていたおかあちゃんに声を掛けた。 「ちょっこり、畑に行ってくるっちゃ」 「え? 畑? 畑に行くって言ったっちゃか?」 おばあちゃんは縁側の沓脱(くつぬぎ)石に向かって歩き始めていて、遥もおばあちゃんに付き添っていたので、代わりに稜而が頷いた。 「おじいちゃんが死んでから、一度も行ってなかったっちゃよー。どういう風の吹き回しっちゃかね。あっついから、倒れないようにしてくれっちゃよー!」  その言葉にも稜而が頷いて請け合い、二人のあとを追って縁側からサンダルを突っかけて庭へ出た。 「わーい! スカーフつきの麦わら帽子! 素敵なお花模様なのーん! ♪スカーフのはーなーがー、さーいてーいるー! おーもいーでのーみちー、たんぼーみちー! はーるかーのまわり、あーおいいろー! おーはなーがしーろく、さーいてーいる♪ 」 おばあちゃんが背伸びをして、遥の頭に麦わら帽子をのせ、顎の下で青地に白い花模様のスカーフを結んでくれた。 「先生もかぶんなさい」 同じくスカーフ付きの麦わら帽子を渡されて、稜而も素直に受け取り、頭にかぶって顎の下でピンク色のスカーフを結ぶ。 「稜而、似合ってるのん!」  遥は手を叩いて笑う。 「いい男は、どんな帽子も似合うんだ」 稜而は顎を上げ、堂々と言い返した。 「そうちゃ、そうちゃ。色男は何をしても色男っちゃよー」 おばあちゃんは囃し立てて笑い、三人は履き替えた長靴をかぽかぽ鳴らしながら、家の裏のあぜ道を歩く。  遥はおばあちゃんの隣へ追いつくと、互いに軍手を嵌めている手をつないだ。 「ねぇ、おじいちゃんも色男だったっちゃか?」 おばあちゃんは麦わら帽子の頭を上下にしっかり揺らした。 「おじいちゃんば、おばあちゃんには色男に見えたっちゃよ」 「ひゅー! おじいちゃん色男おーいえー! もっと聞かせてなのん! お見合い結婚?」 「そうっちゃよ。ずーっと憧れてた人とお見合いだったっちゃ、嬉しかったっちゃよー。恥ずかしくてずーっと俯いて、顔を見ないままお見合いが終わってしまったっちゃ」 遥はおばあちゃんと手をつないだまま、あぜ道をぴょんぴょんと飛び跳ねる。 「あーん、おばあちゃん、可愛いっちゃー! 『ご趣味は?』なーんてお話しをしたのん?」 「もうもう、なーんも覚えてないっちゃーよ。畳の目を見ていたことしか覚えちょらんっちゃー!」 「超、緊張してたっちゃか!」 「超、緊張してたっちゃよ!」  遥の口調を真似てから、おばあちゃんは笑った。

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