113 / 191

第113話

「がたん、ごとーん。がたん、ごとーん。♪せーんろはつづくーよ、とーぎれないー! まーるい、みどりーの、やーまのてせーん! えーきから、えきまーで、にーふんかんー! さーんぷんかんかーくで、はーしりまっすー♪」 電車の運転席のすぐ後ろに陣取った遥は、ポニーテールに結った髪をぴょこぴょこ左右に揺らしながら、運転士の背中越しに進行方向を見る。 「楽しそうだな」  稜而が目を細めると、遥は慌てて笑顔を消して、ぷっと頬を膨らませる。 「勘違いしないでなのん。電車は楽しいけど、オープンキャンパスは楽しくないのん」 「はいはい」 一駅だけ乗車して、すぐ品山駅で下車をした。稜而の手に掴まってプラットホームに飛び降りるときは笑顔だったが、稜而の視線に気づくとまた頬を膨らませる。 「せっかくの電車も一駅しか乗れなくて、遥ちゃんはご不満よ」 「はいはい」  近年開発が進んだ臨海口を出て、まっすぐに整備された道路の上、近代的なビルの間を歩く。街路樹もまだ幹が細く、夏の陽射しを遮る力も弱かった。 「どこもかしこもピカピカなのん。眩しいわー」 遥が若草色の瞳にサングラスを掛け、あちこち見回しながら歩く隣で、稜而は突然足を止め、遥の肘を掴んだ。 「ここだよ、遥」 「え、ここが大学なのん?」 遥はピカピカに光る、背の高いビルを見上げた。 「甘木医大は臨海地区の開発に合わせて、駅の向こう側から移転してきたらしい。付属病院は今でも駅の向こう側に残ってる」 「そうなのん。……ふーむ。おウチを出てから、ここまで約二五分。通学時間は優秀だわ」 遥は稜而の左手首を掴むと、ダイバーズウォッチを見て、ふんっと鼻を鳴らした。 「まだ乗り気じゃない?」 「だって学費が高いのん。それはぶっぶーだわ! それに遥ちゃんは、稜而の後輩として東大に入りたいのよ!」 ぷっと膨らんだ遥の頬を、指先でつついて空気を抜いて、稜而は笑う。 「別にこの大学を受験しろって言ってる訳じゃない。ただ、東大一本に絞り込んで思い詰めるのには賛成しない。目的は東大に入ることじゃなくて、医者になることなんだから。最終的には、どこでも遥の気に入った大学を受けて、合格したところに行けばいいけど、比較のために少しは別の大学も見ておくといいと思うな」 「むう、わかってるのん。だからちゃんとここまで来たでしょなのよ。帰りに駅ビルのくるくる寿司でゼリーを食べて帰るのんっ! チーズケーキもよ!」 「はいはい」  稜而が先に玄関へ続く階段へ足を掛け、遥に向かって手を差し出すと、遥は稜而の手に自分の手を乗せ、反対の手で見えないドレスをつまんで階段を上った。  ずらりと並ぶ実験器具や、最新式のシミュレーターを見て、稜而が呟く。 「さすが、設備が充実してるな」 「ふうむ。これが豪華なのか、ショボいのか、遥ちゃんにはよくわからないのん」 「だから見学はしたほうがいいんだ。見るうちにだんだんわかってくるよ」 「ふんっ」  施設見学ツアーに参加し、ガイダンスを聞く間、遥は稜而に手を引っ張られるようにして歩き、模擬講義を聴講するための階段状に席が連なる大教室では、一番後ろの端の席に座った。  稜而が目を輝かせて授業を聞き、ノートまでとっている間も、遥は頬杖をついて窓の外を眺める。 「つまらないか?」 遥の隣の通路にしゃがみ込み、小声でそう訊ねたのは、天地幅の狭いスクエアフレームのメガネをかけて、紺色のビジネススーツに身を包んだ、三〇代後半くらいの男性だった。首からIDカードを提げていて、顔写真の隣に『甘木医科大学 医学部 准教授 如月(きさらぎ)(じゅん)』と書かれている。 「つまらなくないけど、というかお耳に聞こえてくる限り、とても興味を惹かれて面白いですけど……。でもでも学費が高いから、ここへ来るつもりはないですのん」  つんと顎を上げる遥に、如月はあっさり頷いた。 「俺もそれには同意見だ。奨学金を借りたら、借金抱えてマイナスからのスタートだしな。俺も学費の工面には苦労した」 「でしょでしょなのん。だから、遥ちゃんは考えて、やっぱりお勉強を頑張って、東京大学へ行きますのん。夫の後輩になりますわ、ですのん」 「東京大学は、日本最高峰の名を誇るだけのことはある。ただし学生は自学自習が基本、面倒見は最悪だ。だが研究を学びたいなら、ここより東大のほうがいい。そして将来、研究費を調達する立場になったら、国公立よりは私立だ。稟議の通し方がまったく違う」 「うーん。研究は興味ないですのん……。将来はお父さんの病院にお勤めしますのよ」 「親が病院を経営しているのに、学費に苦労してるのか」 「遥ちゃんのパパじゃなくて、夫のお父さんですのん。おウチを買えるようなお値段の学費を出していただくのは、心苦しいですのよ」 「ふうん。俺だったら、遠慮なく無心するがな。その代わり、学費相応に優秀な人材に育てばいい。芸術家がパトロンを、アスリートがスポンサーを獲得するのと同じだろう」 「ふうむ。そういう考え方もあるのん……」  遥が如月とぼそぼそ話しているのにようやく気づいて、稜而が隣を振り返り、如月と目が合って、二人は同時に「あ」と声を上げた。 「如月、今、ここにいるの?」 「恩師が引っ張ってくれた」 「大福先生?」 「そう。……で、お前、結婚したのか?」 二人の会話を若草色の瞳できょろきょろ追っていた遥は、如月に向けて、ここぞとばかりに笑顔を炸裂させた。 「ごきげんようっ、妻ですっ♡」

ともだちにシェアしよう!