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偶然とは最悪なもので3
カタン
椅子から身体を浮かせる音は、近くで起こった。それも当たり前だ。なんと言っても、立ち上がったのは、ずっと隣にいたこの男なのだから。
「演技指導係をさせていただく、川村雅癸です。緩く親しい関係が取れるといいと思ってます。宜しくお願いします」
彼、川村雅癸と名乗った男は軽い口調でそう言うと一礼して椅子に座った。
それにしても、彼の名前が気に入らない。なんと言っても、俺が生涯恨む男と同じ名前なのだから。名字が違うから、本人ではないが。同じ名前というだけで、少し嫌悪感が生まれる。悪いが、今回の演技指導係は好きになれない気がする。
それから台本を配られ、本日は解散となった。川村雅癸は、当たり前だが台本を最初から持っていたようで、バッグから台本を取り出してペラペラとめくっていた。その姿さえも綺麗で、本当にキャストではないのかと疑ってしまう。
「裕大。今日、飲みに行かないか?」
「廉さん、このあと仕事無いんですか?」
「今日はないし、明日は午後からだから、大丈夫。お前と久々に飲みたくなってな」
「それなら…。一回家に帰ってもいいですか?服変えてきたいんで」
「分かった。またあとから連絡して」
廉さんに飲みに誘われるなんて、懐かしさを思い出す。初めて飲みに行った日は緊張して飲み過ぎて、迷惑ばかりかけたんだっけな。今思い出すと、廉さんの前では黒歴史ばかり生み出してる気がする。
一つ断りをいれて廊下へ出ると、下で待っているであろう鈴宮さんに電話をかける。
プルルルル
プル、プッ
『もしもし。終わったかい?』
「ああ。今から下に向かうから、車の準備をしておいてくれる?」
『分かったよ。正面玄関前で待ってるね』
電話に出た鈴宮さんはいつも通り、物腰軽そうな柔らかい声で受け答えしてくれる。
俺は早速、鈴宮さんの待つ正面玄関へと向かった。
一階へとおりて、正面玄関へと向かう最中。
「春村さーん」
聞き覚えのある軽く甘い声が、俺の名前を呼ぶのが聞こえた。誰だか予想を付けながら後ろを振り返ると、やはりそこには川村雅癸が居た。小走りで俺の方へと向かってくる。
「なんだ?忘れ物でもしたか?」
ついつい当たりがキツくなってしまった。しかし、弁解など出来ない。ため息を付いた。
「……」
「…何か?」
彼は何をするわけでもなく、口元に拳を当てて俺をマジマジと見つめている。ここまで見られると、さすがに恥ずかしさも生まれてくる。隠すように、相手の問いかけてみるが、返事などしてくれるのだろうか。
「…全然かわらねーなぁ…」
暫くして彼がつぶやいた言葉の意味を、俺は理解することが出来なかった。変わらないとはどういうことだ。俺と川村雅癸は、今日が初対面のはずだ。昔の知り合い?いや、こんな名前の奴居たか?
…居た
俺の頭の中に嫌な予想が立てられる。いや、そんなはずはない。でも、もしかしたら。
「桐谷、雅癸…?」
お願いだ。嘘と言ってくれ。お前があいつなわけがない。あいつであって欲しくない。
そんな俺の願いも一瞬にして、打ち砕かれる。
川村雅癸の整った顔が、ニヤリと口端を釣り上げ三日月を浮かべた。この顔、昔見たことがある。雅癸が何かをたくらんでいるときに、よく見せていた顔。
「正解。俺は、桐谷雅癸。今は川村、だけどな」
嘘だろ。嘘って言ってくれよ、お願いだから。こんな所でこいつと会うとか、不幸以外の何者でもねーよ。
「これから宜しくな。…裕大」
悪魔が、俺の名前を囁いた____
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