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  ◆◆◆ 日が暮れてから戻った蒼汰を、光佐は心配しながら待っていたらしい。 帰ると同時に呼ばれたので、どんな話が待っているのか察しがつかなかった。進路も将来の夢も互いに異論はなく、なぜ心配していたのかソレすら解らない儘光佐の部屋に向かうと、光佐は碁盤について碁を打っていた。 「ああ、お帰り。ソコに座りなさい」 促されて、蒼汰は黙って頷き、真向かいの座椅子に腰を下ろす。 しばらく、沈黙が流れた。目の前にある棋譜に見覚えがあったから、蒼汰は眉間にシワを寄せて口を開いた。 「………父さん、日高くんと打ったの?」 光佐はぐっと詰まってうつむいた。 蒼汰は日高の師匠だから、並べた碁石を見れば直ぐに解る。当然と言えば当然なのだが、今の光佐にしてみたら針の筵(むしろ)に座っているような気分だった。 呼んでおいてずっと口を閉ざしているワケにもいかないので、光佐は歯切れ悪く答えた。 「………碁会所で偶然会って………な」 会ったのは嘘ではないが、打ったのは晴信であるとは言い辛かった。朱美が喋らない限り直ぐには解らないだろうと踏む。 ソレを聞き、蒼汰は難しい顔をして盤面にある石に視線を落とした。日高に絶交されたこと思いだしたのか、しばらく盤面を睨んで日高の行動力と運のよさに苛々しながら、この局面がどう言う状況なのかを読む。が。 「………コレ、ホントに父さんと打ったの?」 クセのある高がかりに嫌な予感が過って、蒼汰は訝しい風情で眉根を寄せた。 「………すまない。私ではない」 光佐は持っていた白石を碁笥(ごけ)に戻して目蓋を綴じた。 「新しい打ち手が欲しいと言うから、晴信くんを紹介したんだ」 棋院で開いている囲碁教室を手伝っていると聞いて、日高に丁度イイと思ったのだ。晴信に会わせる前までは。 甥の晴信は、教え方が上手だった。打つ相手の性格に合わせて打ち分ける才能を持っているので。 しかし、器用貧乏だと悪態を叩かれることもしばしばある。もう少し実績を残せば誰も文句は言わないだろうが、今はソレが伴っていないのだ。 蒼汰は静かに息を呑むしかなかった。光佐がそう言う行動を取るとは思わなかったし、日高がホイホイとついていくとは思ってなかった。ざわざわと胸騒ぎがした。 「………ソレで、僕に話と言うのは?」 光佐の口からソレを聞くのは怖かったが、早く真相を知りたかった。 ────思い過ごしなら、ソレでイイ。 ココで、どうしてそんな余計なことをしたのと蒼汰が怒れば光佐は気が楽だっただろうが、蒼汰は日高が抱いている気持ちを光佐に知られたのではないかと気が気でなかった。 光佐は思いがけない言葉に目を丸くして、ソレから息をつき、重たい口を開いた。 晴信くんが日高くんに一目惚れしたようだ。 衝撃は大きかった。大きかったが、日高の想いはまだ光佐に届いてないようであるので、取り敢えずはひと安心をする。 日高の想い人が光佐から動かない限り、晴信も蒼汰と同じ立ち位置なのだ。 光佐の重たい口は更に重くなる。 「日高くんもそのようで、晴信くんを甚く気に入ったようなのだ。晴信くんと打っている最中は終始笑顔で、なんと言うか、ほら、蒼汰が日高くんが打っているようなあの笑みなのだ。私は静かに見守るしかできず、蒼汰には悪いことをしてしまったと思ってな………」 蒼汰はきょとんとした顔をしたが、日高の行動からして晴信から光佐の情報を聞きだす可能性は大いにあると慌てだす。 「日高くんの口からそうだとは聞いていないんだが、あの目はそうだと思うのだ。こう言うきっかけを日高くんに与えてしまった私が言うのもなんだが、蒼汰、諦めてはいけない。まだ希望はあるだろうから」 そう、蒼汰は光佐に日高のことが好きだと打ち明けていたのだ。日高が光佐に想いを伝えたとしても光佐が日高に靡かないように。 「と言うワケで、日高くんと早く絶交を取り消しなさい」 「え?」 思わず声があげたとき、視界の中央に見慣れた封筒が入ってきた。 日高がよく光佐宛に書いている手紙の封筒によく似ている。 「コレに私からのお願いを書いておいた。日高くんなら解ってくれるハズだから」 晴信に惹かれる日高の姿を見て、光佐は心底モノ惜しいと思った。そして、手放したくないと言う気持ちが勝ってしまったのだ。 蒼汰は唖然とした。 光佐のことをこよなく愛してやまない日高にこんなモノを渡したらますます、光佐のことを愛してしまう。そんな恋文みたいなモノを蒼汰は日高に渡せるハズがなかった。 ハズなのだ。 なのだがしかし、この手紙を渡したら絶交と言う言葉は瞬時に解消できるのは、手をとるように解ることだった。 硬直状態から立ち戻った蒼汰は思わず、差しだされた手紙を掴みそうになる。 「何を躊躇している。遠慮することはないだろう?ココはガツンと私に頼りなさい」 対する光佐は、私欲を全開に親馬鹿振りを見せつける。 「あー、ソレじゃ………、遠慮なく………」 気迫に負けた蒼汰は光佐の手から手紙を受け取ってしまっていた。 「蒼汰、困ったことがあればどんどん私に言ってきなさい」 光佐は大いに助力すると意気込む。だが、一番の厄介者が自分だと知らない光佐に蒼汰は頭を抱えたくなった。最強の助っ人を手に入れた蒼汰は最悪な地雷を抱えることになったのだ。 兎に角今は日高と仲直りをして、晴信をどう抱き抱えようかを考えるべきだと思った。 こんなふうに考えるあたり、蒼汰はどうも光佐に振り廻されることになるようである。 「はい、父さん、日高くんと仲直りできるように頑張ります」 言い差して、そう意気込んでいるあたりで。 光佐は滅多に見せることがない満足そうな顔で頷いて、結果を報告してくるようにと蒼汰を促していた。 「解りました」 コレが後に大変なことを引き起こすモノになるとは知らず、二人は大いに笑いあった。晴信にしては、好都合なことだったが。 「さ、早く夕餉(ゆうげ)を食べてきなさい。楓が片づかないと怒る頃だ」 蒼汰はその儘頭を下げて立ちあがった。 「そうします」 光佐は座した儘蒼汰を見送ると、差していた盤面に視線を戻す。 「もう少し早くに出会っていたら………」 「なにか言いました?」 でていこうとした蒼汰が顧みて、光佐に不思議そうな顔で問うた。 「いや、私事だ。気にすることはない」 真剣な趣で、白石を掴むとパシッと力強く打ち込んで盤面を眺め見る。 「そうですか?」 蒼汰は何度か瞬きをして、手合いのときの光佐の表情を思い浮かべていた。 「早くいきなさい」 「………はい」 首をひねりながらも蒼汰は言われたとおりに部屋からでていく。光佐と言えば、蒼汰がでていった後もじっと盤面に喰らいついていた。 光佐が打ったこの場所は勝敗を大きく左右するモノだった。ソコに打った晴信はソレほど手を抜くことが困難であったと言うことである。 「実に惜しい」 光佐はまた小さく呟き大きく息をついた。  

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