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親知らず 5
広瀬は、その日の夜、自分のアパートに帰った後で、6歳から育ててくれた伯父夫婦の家に電話をした。
伯父は広瀬の殺された母親の兄で、大分で公務員をしている。
電話には伯母がでた。
伯母はまだ現役で公立の小学校の先生をしている。元気ではきはきした明るい人だ。血のつながりのない広瀬をかわいがってくれた。優しい人で、広瀬の記憶では、伯母に強く怒られたことは一度もなかった。
広瀬は、伯母に歯のことを聞いた。
「あなたを歯医者に連れて行ったことは一度もなかったわ。学校の歯科検診でいつも虫歯ゼロだったから」と伯母は言った。「歯がどうかしたの?」
「3歳から5歳の間に、治療したみたいな跡があるんだけど、知ってる?」
「ああ、彰也。その頃のことはわからないわ。検診はしていたと思うけど」と伯母は言った。口調が少しだけ気の毒そうになる。
広瀬の両親が何者かに惨殺されたあと、警察は証拠として、家にあったあらゆるものを持ち去った。
その中には、広瀬の母子手帳や母親がつけていた育児日記も入っていた。
警察は証拠にならないと判断したものは返却したが、大半は未だに戻されていない。だから、広瀬の手元には、自分の生育記録も含め、家族に関する記録はほとんどなにもないのだ。
写真もビデオも、母が趣味で作った手芸品さえも、なにも手元には持っていない。伯父夫婦はそのことにいつも腹を立てていて、警察を非難していた。
広瀬が警視庁に勤めだしてからは言わなくなったが、彼らの気持ちが変化したわけでは全くないのだ。
「大きな治療をしたのなら、私たちにも話したと思うわ。いつも、いろんなことを話してくれていたから」と伯母は言った。
「俺が小さい頃、海外に行ったということはある?」
「それもないと思う。海外旅行行くなんてこと、聞かないはずないもの」
「そう」と広瀬は相づちをうった。
「何か、重要なこと?」と伯母は心配そうに聞く。
「まだ、よくわからない」と広瀬は答えた。
「思い出すことがあれば電話するわ。伯父さんにも聞いておくわね」
広瀬は礼を言って電話を切った。伯母の話はある程度予想通りだった。
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