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親知らず 14
小児科医は既に70代前半だった。
依頼されて入院していた広瀬を診察したのは50代のころだ。当時は、都内の大学病院に勤めていた。広瀬の親戚が依頼した弁護士が彼に協力を頼んできたのだ。
それまではほとんど広瀬のことも事件のことも知らなかった。広瀬の両親の事件の報道はほとんどされていなかったと思うと彼は言った。
広瀬が警視庁に勤めていると聞いて、相手は驚いた。
だが、話すのを拒否はしなかった。本人の確認もしなかった。
顔を覚えているんだよ、印象深かったからと言われた。あれからずいぶんたつのに、子供のころと面影が変わっていないね、と。
小児科医は広瀬のことについての詳細な記録をノートにとっていた。特殊なケースだったので、必要だと思ったのだ、と言った。
そして、すっかり古びてしまった大学ノートを取り出して、広瀬に見せてくれた。ボールペンで書かれた字は当時の小児科医が知った事実と驚きをすべて記載していた。
彼が診た時、子供の広瀬は病院の白いベッドの上で眠っていた。
食事をしても吐いてしまうので点滴で栄養をとっていた。
一般に自家中毒と言われる症状だった。子供がなることが多い。強いストレスで引き起こされたのだろうと推定することは簡単だった。
「病院には私と同じ小児科の医師がいた。若い医師で、彼は、自分がおかれた状況にとまどっていた」と語った。
「彼は、君の治療のために警察側が呼んだ医師で、警察内部の人間ではなかった。君の症状を診察して適切に治療をしていた。私は、この症状なら、転院できるし、今、親戚にあわせたほうが君も安心するから、退院させた方がいいだろうと言った」
若い医師は、親戚たちのことを知りたがった。どんな人たちで、子供についてどう思っているのか、ということを。親戚に依頼された小児科医は、わかる範囲で答えた。
自分が会った限りでは非常に普通の良識のある人たちであること。子供に会えず心配していること。子供に会うためなら法的な手段もいとわない覚悟はあること。
若い小児科医は、その話を聞いて、誰もいないところで打ち明け話をした。
『自分以外に、医師が何人か毎日来ています。彼らは、警察の研究所からきているようです。あの子供の患者の口の中になにか外科的な処置をしたり、薬物を使った催眠療法のようなことをしています。自分の勘違いかもしれないのですが、あの子は、何かの実験対象のように思えます。研究所の医師たちは、小児科医でもないし、そもそも臨床医でもなさそうです。ちょっとありえない話なので信じていただけないかもしれませんが、警察の研究者が、幼い子供を対象に何らかの実験をしているのではないかと思うんです』
自分は守秘義務があるが、黙っていることができない、と若い医師は言った。
『あの子供の父親は警察庁に勤めていたと聞きました。その父親と母親が一緒に殺害されたというのも。こんな事件がなんで報道されないのかもよくわからないです。頭おかしいと思われてもかまわないので言いますが、あの子は、ずっと何かの実験対象だったんじゃないでしょうか。何があったかはわかりませんが、あの子の両親は殺された。あの研究者たちは、実験の後始末をしている。口の中からなにかをとりだして、実験の痕跡を消そうとしているように、自分には思えます。とにかく、早くあの子をここから出して親戚の人たちのところに連れて行った方がいい。あの研究者たちが、あの子をこれからどうする気なのか、心配です』
その研究所の医師たちというのに会うことはなかったため、若い医師の話の信憑性は確認できなかった。
しかし、子どもがいた病室は小児病棟ではなく、心に傷を負っているだろう子供が長い期間いるにはふさわしくないように思われた。転院させ、親戚の庇護のもとにいた方が、子供にとってはよいのは確かだった。
若い小児科医の協力を得て、弁護士とともに書類を整え、子供を退院させた。親戚が手配した別な病院に移った。それからすぐに幼い広瀬の身体は回復し、伯父夫婦に引き取られていった。
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