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親知らず 15
20年を経て老人になった医師は広瀬に言った。
「この話は、守秘義務にかかわることでほかの誰にも言わないでほしいという彼との約束もあったからずっと黙っていた。だが、君が、奥歯の中の物質について私に問い合わせてきた。口の中の外科的な処置ということを彼が言っていたことを思い出して、ノートを読み返してみたんだ。私が会った小児科の先生は若くて、慣れない環境や重圧で神経が過敏になっていた。たいしたことでもないことを、想像を膨らませて陰謀のように感じていただけかもしれない」
そして広瀬に自分のノートのコピーをくれた。
「だが、私ももう年だし、私が死んでしまったらこのノートも他のものと一緒に捨てられるだろう。これは、君が自分のことについて知る手がかりの一部だ。だから、嘘かどうかは別にして、これを君に渡しておくよ。君の質問にあった物質がなにかはわからないがね」
広瀬は礼を言って診療所を後にした。
東城は、広瀬の話を最後まで聞いた。途中で言葉ははさまなかった。
広瀬は車の中でノートのコピーを読み、ところどころで東城に声をだして内容を伝えた。
読み終えたとき、「実験って話、どう思う?」と東城は聞いた。
広瀬は無表情だ。「本当だとしたら」と彼は言ってしばらく黙った。
「信じられませんけど」声が小さくなる。「父は優しい人でした。明るくて、朗らかで」と広瀬は言った。「いつも笑顔だったことしか覚えていません。もし、実験の話が本当だとしたら、父は俺に何をしていたんでしょうか」声はほとんど抑揚がなく、そこに感情はみられなかった。
だけど、それは痛みや不安がないということではない。表すことが上手くできないだけなのだ。
広瀬はまたコピーをめくった。何度も何度も繰り返し彼はそれを読んでいた。
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